多田妙見日若神社
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
高校時代は柔道部ということもあって、当時の稽古には他のOBも
現役部員の数よりも多いくらいに練習に来られていたこともあって、
先輩とは5つ上だとも知りませんでしたが、上下関係での壁を感じ、
自分の意見や思いも言えないことも多かったのでした。
特に可愛がってくれた5つ上の先輩たちのグループを中心に
今でもOB会が続いていてLineグループでやり取りしています。
私もOBとなって現役後輩たちの試合など応援に行くようになって
早々会う機会も少なかったとはいえ、話せることも増えてきたような感じがします。
時が経ち、こうして千葉県で整骨院を経営し、古武術からの治療法を開発し、
ゴッドハンドとして活躍されている先輩ですが、その技法を伝授するために
全国を飛び回ってセミナーや弟子たちとの交流をやられていますが、
私も還暦を過ぎてもうすぐ64歳で先輩は69歳で、70歳の古希を前に
あと数年くらいが仕事もやっている活動も限界だろうと話されていました。
「老い」というものに対しての考えだと感じたので、何かを諦めること、
筋肉の衰えなどは死ぬ一歩手前まで運動することを務めて鍛え、
病気など遺伝や弱るということを認めた上で、心の在りようを正し、
これは自分の良心、真我、魂に問いかけ、良い氣を発して波動を高めることで、
引いては良い歳の取り方を目指すということが生きるということではないかと、
先輩を前にして畏れ多かったのですが、話してみました。
簡単に言えば、男性の場合、同性にはもちろん、女、子供たちに好かれる
明るいジジイです。
先輩を最寄りの駅へ迎えに行き、納骨堂、先輩の産土神の撃鼓神社とお参りした後、
鹿毛馬地区の厳島神社へと向かいましたが、先に、私がお勧めの多田妙見日若神社へ
行ってくれというので、厳島神社の前を通り過ぎて多田妙見へと行ってみました。
この神社は飯塚の町中を駆け巡る激しい夏の祭、飯塚祇園山笠のお汐井取りの神社で、
山笠前にはお汐井取りの神事が行われる神社で、神社名も多田地区の妙見さん信仰の
名残があり、私もまた来たいと思う神社の一つで、私の知り合いでも、
パソコン教室の生徒さんが宮柱の役をされている嘉麻市の
神桑野の高木神社の氏子たちもお参りに来られることなどを、車を降りて
鳥居前に来るまで話しました。
先輩は初めて来られたそうですが、既視感があり、「何処かで…?」と
訝しげに、思い出そうとしておられたようですが、どうやらデジャブのようで、
「夢なのか何処かで見たのか分からん!と言っておられましたが、
私も初めて訪れた神社に限らず、特定場所や誰か人がいるといったシチュエーションが
思考に出てくることも、良くあることだと感じるのです。
拝殿で、天津祝詞で禊払い、神社拝詞に続けて、隣にいる先輩に
「少し時間をください」と言って主祭神は伊邪那美命、伊邪那岐命ですが、
妙見さまにちなんで思考に浮かんだので造化三神報恩祝詞を奏上しました。
祝詞を奏上してお参りしているのを先輩が動画を撮影していたのを
私は気づかなかったのですが、あとでOB会のLineに祝詞と法螺貝を吹いている
動画と写真を「祝詞と法螺が凄い!」アップしていました。
まあ、一般的にも祝詞を奏上したり法螺貝を吹き鳴らす人も
これだけ神社仏閣を巡っても、見かけたこともないので珍しいのかもしれませんが、
Light Workerとして導かれた限りは何か将来あるのかもしれませんが、
私にすれば、ただ畏れ多く神や仏に礼儀作法としてやっているだけなのです。
なぜ法螺貝を持っているのか、私としては上手い下手に拘わってはいませんが、
ただ障り災いを祓う音を出すことを心掛けているのですが、
何故吹けるのかを聞かれました。
まだ30代の若い頃、真言宗のお寺に縁あって通うようになり、作法や法螺貝の吹き方、
諸仏や諸尊についてなど和尚から直に習ったこと、山に入って峰入り修行したこと、
10年ほど奉仕した後、得度(おぼうさんになること)を勧められましたが
考えた末に断ったことを簡潔に話しました。
今思えば、何処にも所属していないというメリットがあって制約や宣言がないことが
自由だし、一番だと思ったことを素直に話しました。
話しながら本殿の裏の川が流れているところへ行ってみると、
近くに住む子供たちなのでしょう、数人の女の子が川に入って遊んでいました。
「こんにちは!」と元気よく挨拶すると、「こんにちは~!」と
元気の良い返事が返って来て、先輩はその子らの近くへ行って
何かを話しかけ会話していました。
私は注連縄が掛けてあるところまでに行き、二拝して
龍神祝詞を気持ちよく奏上しました。
二拍手二拝を終えたころに先輩が戻ってきて、初めて来た神社だが、
「来てよかった!また来てみたい」と笑顔ではなされたのに答え
思わず笑顔で頷きました。
「由緒書きはないのか?」と聞かれ、あったはずだが、と拝殿を見ても見当たらず、
数百年経ったと思われる太さの神木に「氣が違うな」と礼をされていました。
先輩も整体のやり方として氣を扱い、触らずに治療をされるのを
動画で何度も見たこともあって、時に氣を送らせてくださいと断って
送ることもあると言われていました。
私も根っこを触らせてもらって氣を合わせると、根がどこまで広がっているのを
光として感じますと話してみました。
こういったスピ的な話は信じない人達もたくさんいて、誰でも
話せるというわけにもいかず、感じるという氣を活かすことが
普通に話せたりもするのです。
大抵の場合、五感といったものを上手く使えず、現実的な思い込みだけで、
そういった歪みや不具合が体や病状に出ると言われていました。
入り口まで来ると「根の国」と彫ってある石柱に、「祝詞にも出てきますが
これを見たのはここだけで」と横を見た時、由緒書きの板があるのが分かりました。
「ああ、ここかあ」と由緒書きを見ながら、祭神に「闇龗」とあったのを、
いつも行かれるお住まいの千葉県には見かけない祭神だったのか、ご存じなかったようで
「これは何と読む?」と聞かれました。
「闇龗です。単体でお祀りされているのは珍しく、高龗・闇龗で祀られているのを、
この近辺の神社でよく見かけます」と話しました。
「さて、〇〇のとこへ(厳島神社)へ行くか!」と
先輩の同級生の宮司の名を言われ、車に乗り込みました。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
おススメ記事










