供物の入れ替えをさせてもらう
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
村社に昨年の総代と会計の役に相談して、1円でも賽銭が増えるならと
鳥居横に祓所として立札と賽銭箱、境内神社で不明だった祠が甲子神社であることと
祭神が大国主之命であることの立札と賽銭箱、拝殿奥の本殿扉前に榊、お神酒、神饌、
盛塩と供物を設けていましたが、氏子の長老の一部からは異論が出ていたらしく、
総代に連絡があったそうで、先日の例祭のあと外すことにしました。
元々氏子全体の総意が必要なことは分かっていましたが、退任された前神主、
前総代や役員全員ではありませんが、ほとんどの役員が顔みしりなので
その旨お祀りさせてもらっていることは話していました。
反対された長老が誰なのかはうすうす分かっていましたが、私と会っても
何も言うでもなく、もし反対があればいつでも外すことは前総代や役員にも
話していましたので、供物や賽銭箱を外すことには違和感はありませんでした。
6月も月末近くになり村社へお参りに行った際に境内神社の榊と水を換え、村社の裏手の
宮の森に鎮座する豊前坊へは、前神主に聞いて確かめた村社管轄でないことから
月末と月半ばのお供えはいつも通りにさせてもらうようにして、生産組合の長老には
話しておきました。
現在境内神社となっている祇園神社は下の区から移設された神社ということもあって、
村社がある上の区の長老たちは祀ることに関しては
関与しないという方針のようで、ややこしくなっています。
榊と水換えだけだとすぐ終わり、猿田彦大神、大行事社、天満宮、祇園神社、
甲子神社、神木、拝殿と祝詞を奏上しました。
豊前坊の祠に関しては前神主に尋ねたところ、管轄外で知らないと聞いて確かめた
ことがありましたが、昨年の大注連縄づくりの際に、長老の一人から
「豊前坊」と呼ばれていて農家の生産組合の氏子の一部の人たちが
年に一度お参りに行っていると聞いたのでした。
そのとき初めて豊国社という祠に刻んである文字の意味が分かったのでした。
調べてみると豊国社は豊臣秀吉公を祭っている神社が多くあり、
謂れは豊前坊と聞かなければ、そう思い込んでいたのかもしれませんが、
榊と神饌を毎月換えに行き、お参りしていて
何処かでお参りしたような感覚がいつもありました。
毎年お札を授かり崇敬している英彦山神宮先の日本八大天狗の神社の一つ、
豊前坊高住神社の豊日別命で、3年前、村社の境内にいた時、誰かに呼ばれた気がして
大池の横の山道に分け入って見つけた、という感じでしたが、
呼ばれたことを感じたのでした。
それから毎月、榊やお神酒や水を換えに祀ってきましたが、氏子の一部の人たちと
関わりがあったものの村社氏子会とは直接関係がないということでしたが
先日生産組合の豊前坊のことを聞いた長老と二人で一緒に村社の掃除をしたとき、
氏子会全体として扱ってもらい神職にお祓いなど行事の際にしてもらえるといいですね
と私の思いを話してみました。
まあ、村社の氏子会の役を任されいろいろなことが分かってきましたが、
私に無理なくできることであれば、それも神社拝詞で「世のため人のため」と
そうじょうしているように、楽しんでやって行こうと思っています。
拝殿で産土神に祝詞を奏上した後、境内外れの榊を積んで、大池の横の山道から
豊国社にやってきました。
榊と水を換えた後、豊国社に天津祝詞、神社拝詞、愛獄社に
神社拝詞を奏上してお参りしました。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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