しっかりと休めというメッセージ
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
ブラインド越しの太陽の光で目が覚める。正座をして二拝、八咫の印を額に結び
秘文を唱え、スーで息を吸いながら太陽を片目ずつ見つめ十言の神咒をやりました。
二拝二拍手一拝でやる気がみなぎり生きていることへの感謝を覚え、
仏間に設置した両親の遺影の壇で般若心経を唱えて供養しました。
あ、顔洗ってないやと思い、洗顔と歯磨きです。
タライにお湯を出し除菌洗剤を布巾につけ、ギューッと絞ってシンク周りなど
拭いていきました。
神棚と三宝荒神の神棚は母が亡くなって封じていますが、不思議にも
気にも留まることがないのです。
四十九日が5月3日で、喪が明ける5月4日は大型連休中ですが
以前ほどたくさんの祝詞を奏上したりマントラを唱えたりするのは
やらないだろうと何故かそう予感しているのです。
ここ最近やっているのは十言の神咒、神の祓詞、母の遺影前で般若心経、
外のお堂で先祖供養、時には外で大元造化三神報恩祝詞を奏上するときもありますが、
以前のように決められた時間にワークとしてグラウンディングや光のワークさえも
やらなくなりました。
光を送らないってLight Workerとして、どうなん?
と思う事もありますが、
そういったワークさえも波動を上げるための手段の一つであり、
無暗にルーティーン化すればいいというようなものでもないと
思考に出てくるようになりました。
何が大切で大事かということを考えたとき、今の一瞬一瞬を無駄にしないことで
波動を高め続ける事が出来るとハイヤーセルフは答えたのです。
無駄にしないとは生きるということ、直感を高め、普段の何気ない思考や行動が
生きているということを楽しめているのかということだと言うのです。
時に出て来る思考の発想は、飛べ!、ぶっ飛べ!という破天荒なものが浮かんできますが、
ここぞという時、という時にそれを出せるかという勇気を問われ、
世間体やしがらみ、自分では気づかない思い込みが、光を発することを
邪魔しているということに、気づくことが多々あります。
一方で自分に不都合だと思われる出来事が起きたとき、動じず
揺れない心をもって神のように俯瞰して、ただ観る、ことが
必要な時もあったりするのを感じます。
それを信念という言葉で表現するのだと思いますが、それも経験したことにより
分かるという小さな悟りです。
悟りは覚醒であり全体を俯瞰してみる事が出来たとき初めて分かるものだと
高次の存在は答えました。
すると今まで不安や恐怖と思えたものが、ちっぽけでつまらないことに
思えたりもしたのです。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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