高校生カップルの前で法螺貝を吹き鳴らす
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
前の日の夕食で頂き物の豚足を食べていた時、ガリっという音と共に
上の3連の差し歯が取れ、口に含んだ食べ物から取り出しました。
この差し歯も先月外れたのをつけてもらっていて歯医者さんから
「また取れるようなら作り直しますが、いいですか?」と言われていたのです。
どちらにしてももう20年くらい前に入れてもらっていた差し歯でしたが、
歯肉の後退で隙間ができたからと言いうのが原因のようでした。
歯が無いと食事も違和感があって食べづらいのですが、朝歯磨きをしたあと
鏡で見てみると、口を開けて笑うと、締まりがありません。
午前中は受講予約があっていけなかったのですが、午後から取れた差し歯を持って
隣の歯医者へ行ってみました。
今から型を取っても技工士が休みなので月曜日に来てくださいと言われ、
午後3時過ぎに予約をして自宅へ戻りました。
時間が空いたので、村社へ行くか、ウォーキングに行こうかなと思っていたのですが、
思考に立岩熊野神社の熊崎洞の事が浮かびました。
立岩熊野神社は、お礼参りがまだだったので、初参拝は何時だったけ?
と神社参拝の記録を見てみると9月9日でしたので
もう1ヶ月になろうとしています。
何処かの神社仏閣には毎日、他の神社へ行かない日でも村社だけは行っていますが、
つい最近行った感覚があり、時間の経過が早く感じるのです。
それだけ毎日充実しているという事でもありますが、
記録するのは、どの神様にお参りしたか、お伺いを立てたかということを
重要視してつけています。
今日の時点で2,080柱を参拝していて、昨年、一昨年と1,300柱余りだったのが、
このペースで参拝し続けると2,700~2,800柱くらいは行きそうな勢いです。
時に欲を出してあの神社や仏閣が近いから、ついでに参ろうというのは、
今年になってからは特に気をつけて止めていて、出来得る限り直感に頼って、
神に呼ばれたと感じた時だけ参拝するようにしてはいますが、
昨年や一昨年に参拝した方が多く回っていたような感覚があるのです。
それも記憶、印象の問題なのか、村社へほぼ毎日行って
境内神社まで参拝しているからなのかはわかりませんが、
今年は遠出が少なくなっているので宮地嶽神社や英彦山神宮、宗像神社、筥崎宮など
遠出をして人出の多い大きな神社へ行く機会が少ないから
そう感じるのかもしれません。
呼ばれたと感じる時の参拝は、体に感じるビリビリした感覚や
氣当たりしそうになったり、柏手の音、法螺を立てると
音がかすれたりして出ないことですぐに分かります。
今回は一の鳥居がある参道の裏道からやってきましたが、
駐車禁止の道路標識が目に留まり、神社下の道から
境内へ車を入れて止めました。
車から降りると参拝を終えた女性が一人、参道を上がったところのベンチに
高校生のカップルが座っていて、神に呼ばれた人たちかと、
何故かそんな風に感じたのでした。
拝殿で天津祝詞、大原詞、神社拝詞を奏上して、
境内神社の須賀神社、高木神社、恵比寿神社、天満宮、宮地嶽神社と
順々に神社拝詞を奏上して参拝していきました。
高校生のカップルは私の祝詞を聞いていたようで
その子たちが座っている向かいにある、前回気がつかず、お参りしなかった
熊崎祠へお参りする前に、「どこの高校?」と話しかけてみました。
「すぐそばの私立高校です」とその子らは答え、前回気がつかなかった
熊崎祠で略拝詞を奏上しましたが、ここで法螺を立てるように
言われた気がしたのです。
先に参道の石段を下りて猿田彦大神に略拝詞と天狗のマントラを唱えてお参りし
参道を登って「神社の境内は落ち着くよね!」と笑顔で言うと彼らも頷きました。
車に法螺を取りに行き、また熊崎祠に戻ってきてそのカップルに
「法螺貝で祓っておくね!」と、法螺作法を唱え吹き鳴らしました。
その子らは法螺を立てる意味が分かったかどうかは別にして
法螺の音は谺と共に空へと消えていき、辺りは清々しく
澄んだ空気感を感じたのです。
それから拝殿へ戻り、賽銭箱が無い境内神社の分ですと千円札を賽銭箱へ入れて
深々と拝して神恩感謝を述べました。
帰る時境内を撮影しようとすると距離的にも遠かったので
顔は写らないだろうと思っていたのですが
そのカップルは慌てて端へどいてくれました。
「有難う!」と車に乗り込み、ずっと並んで見ている高校生のカップルに
会釈をして、幸あらんことを、いつまでも仲良くね!と念じ、
お礼参りを終えました。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
おススメ記事













