Line止った | 希望と光のブログ

希望と光のブログ

思いついたことを書いていきます。

新型コロナでも正しく恐れ、対処すれば恐れるに足らずとLine止めてやった

PVアクセスランキング にほんブログ村

~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

同級生のLineに新型コロナ亜種が発生、変異株KP3.感染力が高く…

 

とオンラインの画面をキャプして貼り付けてきました。

 

 

 

 

即座に、「恐れるに足らず」、ポチと送信。

 

 

 

既読は人数分付いたものの、誰からも反応はありません。

 

 

 

 

2カ月前に食事会を開いてから、暫く止まっていたのですが、

 

このLine仲間は幼なじみや同級生ですが、

 

いずれも波長が合わないと感じていて

 

いつ辞めても良いかなとも思っているのです。

 

 

 

会話していてポジティブなものが感じられず、私たちの世代は

 

三無主義の世代と呼ばれていたことが思い出されますが、

 

自分を主張しない世代のようです。

 

 

 

これも個人の特性によるとは思いますが、人が良いならいい、

 

それに合わせる、自分の意見を持っていても外には出さない、

 

といったつまらなさを感じるのです。

 

 

 

かといって、良いといった物や事に対して不満であれば

 

口に出したり態度に表したりもしますが、何となく不平が少ないから、

 

つるもうとする、という意思が働いていて、

 

そう考えた方が正しいような気がします。

 

 

 

 

この幼なじみの元レーサーから私に近づいてきて

 

Lineグループに参加したのですが、私に対する不信感を

 

私に直接ぶつけることもいう事もなく、蔭でもう一人の幼なじみに

 

私の人間性をコソコソ告げている

 

ストゥージの面を持っていることが分かりました。

 

 

 

それでも幼いころから性質等は知っているので

 

それなりに付き合えばいいかと思っていたのですが、

 

K会が虐めの一環としてやっている、監視、盗撮、揚げ足を取る

 

といった私に対する噂と同じように、私がM女史と一緒になることを

 

させない、許さないと悪評を言い続け、

 

社会的に貶めるというようなことを発言までしたのです。

 

 

 

 

 

もともと噂がどうあれ、真実も確かめずに

 

彼にそんな人の動向まで制限されたり、言われたり、また貶めようとしたり

 

される謂れも無いことは明らかです。

 

 

 

もともと性格も長いものに巻かれる性格で、その「偉い」と彼が思っている

 

基準はお金を持っているとか、権力があるものが強く、相手が弱い

 

と感じると威張るような面もあって、集団等で先頭を切って

 

自分で引き受けるほどの器は無く、井の中の蛙だなと感じることも

 

多々あったので、会話していてつまらないと思ったのです。

 

 

 

 

5月に食事会をした時も、私が法螺貝を吹いていることを

 

もう一人の幼なじみに話した時、

 

「法螺貝を吹く?」と私の前に顔を合わせ、

 

「そんなことをすれば捕まる」

 

と言い放ちました。

 

 

 

 

要は騒音だと云うのです。

 

 

 

 

何処の神社でも神職に法螺貝を吹いても良いか尋ねてから吹いている、

 

と落ち着いた口調で、私の前から移動しようとした元レーサーに

 

私は威厳を持って静かに話しました。

 

 

 

大人数の前であっても、人がいなくても吹くときは吹き、

 

太宰府天満宮の節分祭で混雑する中でも

 

実際に吹いたことがあると話しました。

 

 

 

まあ、彼には神が吹けと言っているといくら説明しても

 

信じようとはしないことは明白です。

 

 

 

彼も同じ村社の氏子会員ですが、ただ町内の隣組の感覚で、

 

幼なじみでもある彼の嫁の家が氏子だったことから

 

しぶしぶ参加しているようなものだと云うのです。

 

 

 

氏子は会長を始め言っても頭が固いから何もわかっていないし、

 

仕方なしに村社の氏子に参加していると、

 

あたかも自分が仕切っているような口調で

 

村社のことを話したことがありました。

 

 

 

私は嫌いだと思う人、一緒にいるとイライラする人、波長が合わない人に

 

対しては、悪口や文句はなるべく言わないようにしないようにしていて、

 

本人以外の人前では何某か、少しでも褒めた方が、意識が高い

 

と思うからですが、村社に行って気がつけば境内の掃除をしていて、

 

時に当番の氏子の人たちと一緒に掃除をしていたとき、

 

幼なじみの彼も氏子でよくやっていますよねと彼の事を聞いてみると、

 

「彼は、氏子というものが、分かっていない」、という

 

彼と同じ言葉を聞いたのでした。

 

 

 

 

私は何も言わず、掃除を続けました。

 

 

 

 

春の例祭に参加して、彼も何かそれだけのことを云うのであれば

 

意見を言うのかなと思いましたが、何も言わないのです。

 

 

 

 

何も言わないのであれば氏子に対して不平、不満といったことを言う

 

資格も権利は無いと思うのは心情ですが、

 

本人はそうは思っていないようです。

 

 

 

 

最後に何かありますか?と総代が総会を終えようとした時、

 

私が「ハイ!」と明るく手を上げ、知人をお参りに連れて来たとき、

 

おみくじ無いのかと聞かれ、元旦祭だけでなく普段でも設置する件、

 

祭神を参拝者に知らせる案内を設置してはどうか、

 

お参りに来た神様が誰か分からないでは、参拝者に不親切なのではないか、

 

と意見を言いました。

 

 

長老たちは自分たちだけの村社、神社と捉えていて

 

氏子だけのお参りで良いと考えているのかどうかは分かりませんが、

 

検討しておきますと総代は返事しました。

 

 

 

 

総会が終わり、彼が私に言った不平不満は口にせず、何事もなかったかのように

 

彼は帰っていきました。

 

 

 

不平不満があっても相手が自分より上だと感じたらそれを溜め込み、

 

自分より下だと感じたら吐き出すというもので、

 

優しくソフトに包んで発言する、アウトプットすることだってできるのですが、

 

世間体で生きている、モロ、土の時代の人には難しいようです。

 

 

 

まあ彼には自慢の子供たちや孫がいて、自分が家族や地域の一部の人たちから

 

疎外されているという不平不満を除けば幸せなのかもしれませんが、

 

それを私に裏でぶつけ、吐き出そうとしている

 

彼の心理には付き合えないのです。

 

 

 

エネルギーバンパイヤはバンパイヤというだけあって

 

吸血鬼という鬼を心に宿しているのです。

 

 

 

 

 

 

これももっと引いて俯瞰すると

 

世間的に、世間という見方を後ろ盾にしていると

 

言った方が分かりやすいでしょうか

 

イジメようとする意識を持つ彼らから見れば

 

私の独断、偏見という見方も出来ることは分かっていて、

 

ただ彼らとは明らかに違うのは

 

人を貶めようとしたり、幸せにならないように

 

行動したりはしないことです。

 

 

 

それをやってしまうと、祝詞でも、

 

「世のため人のために尽くさしめ給え」と

 

神に奏上して言えなくなるのです。

 

 

 

 

人として、平気な顔をして人権や尊厳を侵す相手に

 

怒りを覚えるのは当然ですが、それもちっぽけなことで

 

下らないと感じ、それに対抗しないと思える

 

私の心にはもっと大切なものがあるのです。

 

 

 

 

 

人に痛みを与えると必ずや神はそれを許すことはなく、

 

応報がやってくるので、お前はなるべくそんな下らない

 

低俗なことに付き合う事無く、捉われることなく、

 

ワクワクして楽しいことを考え、やって生きていくことが

 

使命を果たすことになり、

 

楽しめとハイヤーセルフは答えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

 

おススメ記事

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ヒーラーへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルヒーリングへ