村社で転倒 | 希望と光のブログ

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村社で転倒

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

神社で転ぶという事のスピリチュアルな意味を調べてみると、

 

大まかに4つ、一つ目は厄落とし、二つ目は神様に引き留められている、

 

三つめは「気をつけなさい」という警告、四つ目は神様に歓迎されていないサイン

 

というのがネットにありました。

 

 

 

 

3つ目までは喜ばしいサインですが、四つ目の

 

神様に歓迎されていないサインというのは

 

私には?と思えるのです。

 

 

 

神社へ詣出、参拝に行くのは、基本、直感やインスピレーションで

 

呼ばれたと感じた時に行くようにしているので、野別熊なしにいくのは

 

少し違うかなとも感じるのです。

 

 

 

 

それは興味本位や何か神頼みがあるときに行ってしまう時なのかなとも

 

過去の経験から思うのです。

 

 

 

私の場合、日によっては20数柱参詣するときもありますが、

 

気がついてみればその神社の前に来ていたとか、思考に気になるほどに

 

出てくるときが呼ばれたと感じるのです。

 

 

 

地域順、道順通りに次々と神社があっても、呼ばれなかった神社は

 

駐車場がいっぱいで車が止められなかったり、工事中など

 

何かの都合で入れなかったり、行こうと思っていたのに素通りしたり、

 

また鳥居前まで来ているのに、思考に次の神社と出てきたりするのです。

 

 

 

参拝しに神社仏閣に行くのは、個人の悩み、願い事、ご利益を求め

 

願いに行くのではなく、神に成り代わりこの物質的な体や意思を使って

 

世のため、人のために何か私に出来ることはないか伺いに行くのが

 

参拝の大きな意味です。

 

 

 

個人的な願い事はしなくなって、もうずいぶんと経ちますが、

 

神社仏閣に出来るだけ行くようにと宇宙からメッセージを受け取ってからは、

 

よりその意識は強くなりました。

 

 

 

 

これは神社へ行って願い事をするのが悪いと言っているのではなく、

 

願い事をしたい人はどんどんやった方が神様も喜ぶと思うのです。

 

 

 

 

ただ神社仏閣にも作法、礼儀、といったものがあり、願い事をしたければ

 

絵馬に書く、神社やお寺に祈願や祈祷をしてもらうというのが、

 

ある程度決まっています。

 

 

 

 

そして神社に行ったときには楽しみとしておみくじを引くといった

 

イベント的な要素もあるので、それはそれで明るく楽しいことなのです。

 

 

 

 

また神社という神域で神に触れ、感じる、時には託宣、オラクル

 

神の言葉が聞こえたとか、神から降りてきた、といったことが

 

思考に出てくることもある人もいます。

 

 

 

人によってはそういった科学では説明できないことを頭で考え理解しようとしますが、

 

五感+アルファで感じること、意外に何となく思った事など、

 

これはこうなるとか思ったことが実際に現実的に起きたなど、

 

第六感で感じた、インスピレーション的なことは事の大小あれど、

 

気がつく気がつかないは別にして誰にでもあることだと思います。

 

 

 

 

スピリチュアルなことはそういったことを信じるかどうかで、

 

信じない人たちは現実だけを信じているだけの違いなのではと思います。

 

 

 

アセンション、次元上昇して覚醒を繰り返し次元の高い魂の領域、

 

神や宇宙の領域まで達しても、それだけで生きることは

 

この世に生まれてきた以上、物質として軽んじることはできません。

 

 

 

この現実世界を悲しみも苦しみ、痛さも辛さも

 

憎しみといったネガティブなことも、

 

楽しみとして味わうことが、生まれてきた意味だと

 

高次の存在は答えたことがありました。

 

 

 

 

心の在りようとして、どんなことがあっても神や宇宙は、愛と光だと

 

何度もハイヤーセルフや高次の存在は

 

愛は単純に周りに優しいこと、光は明るく楽しいこと、これ以外の何物でもない

 

と繰り返すのです。

 

 

 

 

辛いことや悲しいこと、嫌なことがあるのは反対に愛が溢れ楽しいこと、

 

心躍ることが何なのか、どういうことなのかを知るため、確認するためにある

 

というのです。

 

 

 

 

夕方、雨が降る中、村社へ行って拝殿前にやってきました。

 

 

そうだ、書いた紙を見ながら大祓詞を練習がてら奏上しようと、

 

財布に入れておいたカンペを取り出し、天津祝詞に続けて、

 

大祓詞を奏上してみました。

 

 

 

 

長くもあり、天津罪、国津罪が書いてある古式の大祓です。

 

 

 

 

 

時々間違いそうになり、ここ間違えやすいなと考えながら祝詞のあと

 

「かんながら、たまち、はえませ」と二度繰り返し、二拝二拍手一拝で

 

拝殿でのお参りを終えました。

 

 

 

 

柏手がいつものようにパーンパーンと鳴らず、鈍い音と

 

手のひらの痛さだけが残りました。

 

 

 

 

 

右手にある境内神社の祇園神社へ行こうとした時、スポーツシューズを履いていた

 

にもかかわらず、足がすべって腹から転倒し、胸ポケットに入れていた

 

タバコと祝詞を書いた紙がすぐ前に飛んで、眼鏡はその先の方へと飛んでいきました。

 

 

 

 

 

手を突こうとしたので左手の手の付け根と肘を擦りむいて血が出ていましたが、

 

まったく痛みもなく、何事もなかったように立ち上がり、

 

祝詞が書かれている紙とタバコを胸ポケットに入れ、

 

眼鏡を境内の砂利の上から拾って掛けました。

 

 

 

 

有難うございますと拝殿奥の氏神、産土神様に感謝して頭を下げ、

 

祇園神社で何事もなかったかのようにお参りしました。

 

 

 

 

悪くとらえればカンペを見ながら読み上げるだけの祝詞になり、

 

心がこもっていなかったから神が転ばせたとか思ったりするのでしょうが、

 

明らかに思考には、これから先に起きる悪いと思えることが、

 

今の転倒で厄を落とすことになったと出て来たのです。

 

 

 

 

氏神さまは産土神でもあり、たとえ転んで痛い目に遭ったとしても、

 

拝殿奥や周りに感じる気は、守られていて優しさと癒しに包まれているのを感じ、

 

私のために転ばせ厄を落としてもらったと感じるのです。

 

 

 

 

それから境内神社の天満社と猿田彦大神にお参りし、雨降る中

 

傘を差して神社を出て参拝を終えました。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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