許しと赦し | 希望と光のブログ

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許しと赦し

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

ライトワーカー向けのサイトや動画に太陽フレアーの影響や

 

宇宙からのエネルギーが強くなっているとか、入ってくるのですが

 

それも全部鵜呑みにはしていなくて、ただどう感じるかという事の方が

 

大切な気がするのです。

 

 

 

 

おそらく意識に入って来るものがすんなり腑に落ちたりスーッと違和感なく

 

入って来ることで今現在そういった次元にいることが分かりますが、

 

それでもネガティブな人の気持ちを受け取る、妬みや嫉妬からくる虐めなど、

 

生来のHSP、エンパスが無くなるかと言えばそうでもなく、

 

アセンションにしても5次元、7次元といったワードがいくつも入っては来ますが、

 

この現実の世界の3次元だって一人の人間が3次元を離れて生きていく上で理解する、

 

また高い次元の意識のまま生き続けるのは難しく、それよりもどのように同調するか

 

といった意識に至るかといったことになるのではないかと何となく思うのです。

 

 

 

 

それは心が自由さを感じ、自分自身が解放されるという事、

 

何に、というと自分自身からということになります。

 

 

 

それだって突き詰めれば二元論からまだ離れていないし、生きていること自体が

 

皮膚という殻に閉じ込められた肉体でいるためで、良い時もあれば

 

恥をかくことを繰り返すという、意識しようとすまいと

 

モロ3時限で生きているという事に気づきます。

 

 

 

 

人に寄り添い愛、物であったり気持ちを発するという事の裏には、

 

無意識に人を愛し、守る、ということが勇気や優しさという愛を

 

自然と発した無償の愛でないと、意識していなくても

 

何処かで相手を独占や支配することにもつながる、諸刃の剣であることも

 

何となくでいいので理解していないと、何時か何処かで

 

「して上げた」、「してやった」という悪魔のささやきが

 

出てきたりするのです。

 

 

 

 

して上げたことで物事が上手くいき、

 

それ以上でもそれ以下でもないという

 

本物の無償の愛だから素晴らしい、美しいと思えるのが

 

本質なのではないかと感じるのです。

 

 

 

 

心の自由さを阻害するものは記号とレッテル張り

 

いわゆる決めつけと思い込みです。

 

 

生まれて来た時からこの世界、社会に適合して生きていくために、

 

こうしなきゃダメだよとか、こういう出来事の記憶から、自分はこういうものだとか、

 

父母や兄弟、周りの人たちなど良し悪しの判断、または教育によって

 

刷り込まれてきたもので判断して複雑に絡まって生きているのが

 

自分と世間を構成していることにも気づきます。

 

 

 

スピ的に言えば、そうした意識や想念が現実を作り出している

 

ということになるのですが、その段階にいない人にそういったことを言っても、

 

理解してもらえない、理解して賛同するものが少数で

 

意見を取り入れてもらえないのは普通だろうなと考えるのです。

 

 

 

 

より意識の次元が高くなると、すべてを受け入れるということになりますが、

 

それはある意味人や動物引いては地球を助けたいというポジティブな意識を

 

ある意味放棄することにもなります。

 

 

 

自分の気持ちや意見を、勇気を出す・出さないにしても、

 

意として思う時、発したとき、衝突が起こります。

 

 

これは二元論です。

 

 

自分が正しい、あるいは自分自身の心を守ろうとして、争いが起きます。

 

 

すべてを受け入れるというのは、究極何もしないこと、ただ見守ること、

 

すなわち不動であることと言い換えることができます。

 

 

 

そういったときに自分には理解できないが、放っておいてそういうこともあり、

 

そういった人たちもいるのだろうと考え、居心地よく自分の機嫌を

 

いつも取っている人になることだとも思うのです。

 

 

 

そこには許しと赦しがあればそういった衝突、葛藤、わだかまりといったものを

 

開放することができるように思うのです。

 

 

 

一般的に何か相手に対して迷惑をかけた、悪いことをしたというのは

 

当然相手に対してその気持ちを出すのですが、自分に向けられた

 

ネガティブなことに対しての「許し」は対外的な相手ではなく

 

内なる自分に向かっての「赦し」です。

 

 

 

 

自分が許せる、赦せるようになると心の自由度は

 

格段に広がるように思えたのです。

 

 

 

すると自分を好きになれたのです。

 

 

 

音信不通で魂の片割れを思い詰めたり、どうにかしたいと思う事ではなく、

 

今は自分の波動を上げる事、楽しくワクワクすることが大切で、

 

返って好きという気持ちは無くなるどころか、結果がどうあろうとも

 

愛している気持ちが強くなっているのを感じ、

 

自分自身をもっと大切にしようと思えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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