ツインレイ、クソくらえ | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

生きていれば誰でも何か問題や困り事と向き合わなければならないのですが、

 

自分に嘘が無ければ後悔はしないものだといつも思っているのです。

 

 

 

 

後悔すると自己肯定感は下がり、波動も当然下がるので、

 

いつも思うことは、後悔しない事、覚悟を持って行動すれば、

 

結果がどうあれ、すぐにポジティブに持って行けるとも感じているのです。

 

 

 

 

 

私がそうならば、魂の片割れもミラーの関係にあるので、

 

出来事や事象は違っても、M女史も同じように

 

魂の成長ができているから心配ないとも

 

高次の存在は知らせてくれました。

 

 

 

 

私が知る限り、彼女は元々、何をやっても出来る人なのです。

 

 

 

 

自分の心を守るために彼女が置かれている環境にいて、

 

自分と向き合うために魂を磨いているのです。

 

 

 

 

 

お互いに自立して自己のワンネスに到達したとき、私たちは再び出会うと

 

ハイヤーセルフは答えました。

 

 

 

 

やるべき課題や学びには時の概念がない魂の世界なので、

 

何時かなと区切られたタイムラインでの思いは執着に繋がることで、

 

ある意味、恋しているという、行き過ぎた感情を、

 

愛、それも無償の愛へと変えることが大切だと高次の存在は伝えてきました。

 

 

 

 

 

 

言葉で云うのは簡単ですが、還暦を過ぎての私の生きられる時間や

 

年齢差を考えた時に、この気持ちになるまで、どれほどの思いをしたのか、

 

語りつくせないほど彼女を三次元的にも、精神的にも愛おしく感じ、

 

苦しみ抜いてきたのです。

 

 

 

 

かつては神や宇宙の手放せ、諦めた時に願いは叶うという意味が、

 

一緒に居たいと願うことを手放せと伝わってきたとき、

 

くそくらえ!と思ったこともありました。

 

 

 

 

手放すのは、自分の物じゃなきゃ嫌だ、という

 

子供の頃の欲しかった玩具と同じだという

 

インナーチャイルドでした。

 

 

 

 

それを理解し感情と湧き出てくる望みが一致したとき、

 

それが無償の愛であることに気づいたのです。

 

 

 

 

ネガティブからポジティブへ

 

それを何度も同心円状で動きを見せるように繰り返して、

 

今の私が此処にいると、自分の位置を時々確かめているのです。

 

 

 

 

M女史と初めて出会ったとき、何処かで会った気がして

 

懐かしい感じがしたのですが、あれから長くもあり、

 

10年という歳月が、それでいてあっという間に過ぎた

 

という感じもしています。

 

 

 

 

 

いつも脳裏から離れない彼女が居ることを意識させられているように感じて、

 

忘れようとしても忘れられない、離れようとしても離れられない

 

彼女への思いがあることに何度も、何度も向き合ってきたように思います。

 

 

 

 

ツインレイということを知り、そのことを自覚したのは3年前の事でしたが、

 

スピリチュアルな道へと導かれ、Light Workerとしての道を提示されたとき、

 

迷うことなくそれを自分で選んだのでした。

 

 

 

 

ツインレイプログラムなるものによると、通常互いの自立、自己統合、

 

そしてサイレント期間を終えて再開し、魂の統合後、支えあいサポートして

 

男女どちらかが、女性の方が多いそうですが、Light Workerとして

 

使命を果たしていくというパターンが多いとありました。

 

 

 

 

 

一概に全部当てはまるとは思いませんが、体に起こる変化として

 

体調不良や味覚や臭覚の変化、見えるものの好き嫌いといった

 

五感の変化に伴い、そして精神的に感情や意識の変化、

 

花やぬいぐるみやキャラクターなどを可愛いと思うなど

 

女性性の開花といったことが還暦を過ぎようとした

 

私にも起こってきました。

 

 

 

 

 

人によっては霊感や予知といったことも開花するとあるようですが、

 

生きづらいとは感じてはいましたが、知らずにしてか

 

30代の若いころは父の末期がんの闘病中、母に凄い坊さんが居るので

 

会ってみないかと知人から母に話があり、母のお寺通いが始まって、

 

和尚夫婦との縁ができたのが、神仏を感じるといったことへの

 

きっかけとなったのでした。

 

 

 

マントラを唱え、錫杖を振り、法螺貝を立て、山岳修行や、

 

得度とはお坊さんになることを言いますが、得度はしておらず

 

一信者として僧侶に交じって護摩供養の斧の儀の役を

 

任されるまでになっていました。

 

 

 

 

それも導かれてといった表現が合うのですが、その時々で

 

自分の意志というより自然とそうなっていったと思えるのです。

 

 

 

結局、得度をしないという自分の意志でお寺には行かなくなり、

 

縁も切れていたのです。

 

 

 

しかしその当時習ったもの、覚えたものとして

 

拝礼、作法、神仏についての知識やマントラ、祓い、心構えなどは

 

私の引き出しにしまってしまっても、そのままあるのです。

 

 

 

 

当時K会関係者からは、宗教に凝っている、という、

 

これもイジメやハラスメントの一環として

 

世間といった知らない人たちに噂を拡散されていたのでした。

 

 

 

困ったときには神頼みしている情けない奴だという声を聞いた時、

 

魂が届かないとは、こういうことを言うのだと感じていました。

 

 

 

 

清い心、美しい魂とは、かけ離れた低俗な大衆の意識として、

 

持っているものへと妬みや嫉みとして、私に向けられたのです。

 

 

 

 

積年の怒りや恨みの念が目に見える相手に対してなかったかと言うと、

 

それは嘘になります。

 

 

 

実際に面と向かって私に何かを仕掛けることはなく、あくまで合法的に

 

心理的に不安や恐怖をあおり、自分たちの方が上であるという

 

比較の安心材料でしかなく、エネルギーバンパイアや悪魔の手先として

 

周りの人たちは動いているように感じていました。

 

 

 

不都合なことは全て私のせいにすることで、魂が愛と光に届かない人々は

 

安心できるのが伝わってきました。

 

 

 

 

そして許し、赦すということ、

 

それが一番難しいのではないかと

 

感じるのですが、時には時間がかかり、

 

人によっては、人も自分も赦すということさえ

 

カルマとして一生向き合わねばならない魂も

 

多いのです。

 

 

 

ほとんどの場合、許せないのは自分です。

 

 

 

さらに赦すのは、自分が無償の愛を感じた時

 

気づけたとき、自分自身を癒せたとき

 

だと感じているのです。

 

 

 

 

 

生きていることへの感謝です。

 

 

 

 

 

Light Workerとして生きることを選択する前から思っていたのですが、

 

死について、これはある意味何度か経験したことから、死ぬのは誰でも怖い

 

と思うのが当たり前の反応ですが、何事か危険があっても

 

M女史や大事な人のためなら命を投げ出して死ねるだろうなという、

 

変に肝が据わったところがあったりするのです。

 

 

 

それはスターシードや光の存在たちは魂が不滅であることを

 

本質的に知っているからです。

 

 

 

魂が愛に導かれ、戦い

 

魂が望むことをやることに肉体が滅ぶとも、

 

魂は不滅であることを理解しているが故に

 

怖れを感じないからでもあります。

 

 

 

 

これは極論ですが、神や宇宙は自分を殺してまでの犠牲を好まないし、

 

明るく楽しくといったポジティブを心に投影、それをアウトプットするには、

 

極論であってはいけないのです。

 

 

 

あくまで普段の生活の定常状態での生き方、考え方をしないと、

 

生きていてつまらないのです。

 

 

 

 

だから光のワークでも母やM女史に

 

愛と光と感謝のエネルギーをダウンロードして送り、

 

私のご先祖、M女史のご先祖にも供養をするのです。

 

 

 

そしてこの世に残りたるものを見守り、お助けくださいと光を送るのです。

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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