高木神社下宮参拝 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

休日の昼から出かけ、知り合いの家を出て桂川町の宮森神社へと導かれ

 

参拝した後、嘉麻市の道の駅の手前の信号までやってきたとき

 

赤信号で引っ掛かり、そこから入ったところに鎮座する水神社へ

 

呼ばれているのを感じました。

 

 

 

この神社、神社と言っても社はなく鳥居の先には祠がある水祖神(みおやがみ)ですが、

 

私にとって神の働きを強く感じる龍神のパワースポットの神社です。

 

 

 

 

遠賀川支流の西郷川のほとりにあり、車を止めると

 

犬を散歩させている数人の方が河川敷にいましたが、

 

法螺貝を持って鳥居の前に立ちました。

 

 

 

鳥居之祓を奏上すると、神域ではなくその場で吹けと思考に出て来たのです。

 

 

鳥居の袂に法螺貝を置いて鳥居之祓いを奏上し、神域へと進み拝殿前に立ちました。

 

 

 

この神社も呼ばれたと感じることが多く、神域や空に龍神を感じるのです。

 

 

 

神社拝詞に続けて龍神祝詞を奏上し、お参りを済ませると鳥居を出て、

 

河川敷で法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

河川敷には治水工事の車両が2台止まっていてお昼で車内に工事関係者がいるようで、

 

すぐ近くの土手に犬を散歩させている人がいましたが、法螺貝を吹いている最中も

 

何事もなかったかのように誰も反応しませんでした。

 

 

 

こういったことも、そこにいる人々や動物など、本人が意識していなくても

 

魂はそれに気づいていて法螺の音を聞くために来ていると感じていて、

 

それが神の働きだと感じるのですが、実感として法螺貝を吹くときに

 

神の働きがなければ上手く吹けず、また聞くものの魔を祓い

 

神仏に届くその音は出ないのです。

 

 

 

 

高木神社も昨年、熊ヶ畑、上宮、下宮、小野谷の本宮と4箇所参拝していたので、

 

何処から回ろうかなと思っていたのですが、気がつけば

 

右折する信号を通りすぎ旧山田市方面へと車を走らせていました。

 

 

 

まず何処と決めないで、導かれて行くにも呼ばれているのがわかります。

 

 

熊ヶ畑集落の高木神社への参拝は年をまたいでになりましたが

 

昨年初参拝で縁が繋がり、今年は初詣になりますが、

 

神社仏閣に参拝したらお礼参りが礼儀ですので、また参拝に来るのも

 

楽しみと思えたら呼ばれたと感じるのです。

 

 

 

熊ヶ畑の集落について高木神社の参道の石段に落ちている枝葉を拾っては

 

枯葉が積もっているところに除けながら登って行きました。

 

 

この神社の石段も200数十段あるでしょうか、一気に上がることは出来ずに

 

途中で息が切れ、立ち止まって休むほどでした。

 

 

 

昨年初参拝したときには、宮大工さんが修理工事をやっていましたが、

 

それもきれいに終わったようで、境内には廃材などを燃やした跡があり

 

少し木材がありましたが、山の中の木々に囲まれた神域に

 

たくさんの精霊を感じたのでした。

 

 

お賽銭を上げ、天津祝詞と神社拝詞を奏上し、参拝へのお礼を述べ、

 

境内にて法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

山々に谺が返ってくるのを聞きながら神々と大宇宙の彼方に

 

法螺の音が届いたのを感じたのです。

 

 

 

石段を下りて一の鳥居で有難うございましたと感謝の言葉を述べ、

 

次の普門寺の高木神社下宮へと車を走らせました。

 

 

 

 

ちなみに普門寺というのは、お寺ではなく、地名のようです。

 

 

鳥居の横の民家へと続く細い道に車を止め、法螺貝を持ってドアを閉めると、

 

道の脇の溝に水が湧き出ているのがクローズアップされ、

 

手と口を清め、鳥居之祓を入り口で奏上し、境内へと上がっていきました。

 

 

 

 

この神社も昨年初参拝して年をまたいでの初詣となりましたが、

 

本殿がある境内に佇むと懐かしい既視感がある神社なのです。

 

 

 

 

 

 

祝詞を奏上し、境内で法螺貝を吹きました。

 

 

少し長めに吹くように思考に出て来たので、一音一音確かめるように

 

ゆっくりと吹き鳴らしました。

 

 

 

参拝を終え鳥居で一礼していると、赤ちゃんカートを押しながら

 

20代と見られる若いママが歩いているのが目に留まりました。

 

 

こんにちはと明るく声をかけ、赤ちゃんを見ると口を開けて爆睡中で、

 

気持ちよさそうに寝てますね、と一緒に笑い合ったのでした。

 

 

 

精霊たちに囲まれている天使のようだと感じ、

 

気持ちも明るく嬉しくなったのです。

 

 

 

まばらに民家はあるものの乳母車を押してくるには

 

相当距離があるのですが、神社前で若いママに会うとは、

 

と思ったのですが、これも神の働きで、

 

この子の将来は光に導かれ

 

明るく楽しいものだと思い願う気持ちが、

 

明るく嬉しいという表現なのです。

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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