AIについて考えてみた | 希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

 

 

~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 



 

 

 

AI(エーアイ)、


Artificial Intelligence:アーティフィシャル・インテリジェンス、

という言葉を見たのはもうずいぶん前で

2000年問題が取りざたされていた頃だったともいますが、

映画などでもアンドロイドやロボットに搭載されて

というのがSF映画としてありました。



確かAndroidのソースコード、

ソースコードとはプログラムをどのように動かすか

という事を記述したものですが、それを一番最初に見たのも

この頃だったように思いますが、当時はアンドロイドのプログラムが

携帯に当たり前に搭載されているなどは想像もつかなかったのです。



人工知能と人間の知能はどのように違うかという事ですが、

最初に元となる情報をインプットするのは人間だという事で、

コンピュータ上でそのデータからより良いと思われる情報を

アウトプットしているということで、元になる情報を

AIはまだ作り出せないところにあると言っても良いと思います。




それは創造性、何かを生み出し作り出すことですが、

もう人間がAIに及ばなくなったものとして

将棋などのゲームや天文学的計算速度や複雑な解析などは

以前から言われていたことも周知です。




その元となる情報をインプットしているのが人間なので、

人間の問題や都合をコンピュータに計算させて

導き出しているのです。




それはその問題に対する最適であろうと思われる最頻値を

極限にまで高めることは可能でしょうが、

人間には感情があり感受性という素晴らしいと思える

心があります。



AIがいくら発達しても日本人の文化としての「わび」や「さび」は

現時点でも表現は模倣としては出来ても

感性を扱うには無理なようです。



最近話題となっているChatGPT、オリジナルテキスト

生成チャットボットや画像の解析などはAIが搭載され、

利用価値のあるものとして進歩、進化して提供され

広まりつつあるようです。



元々人間が行うに大変だった計算を電子計算機、コンピュータに

やらせるといった事から始まったものですが、

人間が不得手なことをその道具としてコンピュータにさせる

といった絶対不変は変えることが出来ないという前提に立っていて、

あくまでスーパーコンピュータや量子コンピュータが

適正と思える答えを導き出せたとしても

決定するのは人間でなければならないという事があるのです。



その前提がないと社会的に人間はコンピュータ、

人工知能に使われる

といった逆転現象が起きうることも考えられるのです。



またコンピュータでの仮想空間は世界の距離を一気に縮めました。



ネットが繋がれば何処でもその起きたことを目にすることが出来、

情報を得たり、世界中の人たちと会話をすることも

当たり前になってきました。



言語が違っても通訳アプリで完全な意思疎通を摂ることは

難しいにしても母国語以外を知らなくても

会話やビジネスの商談が当たり前に出来るのです。




インスタなどSNSで怪しい日本語を見ることで翻訳ソフトを

使っているのかなと思う事もありますが、翻訳ソフトのAI化で

日本人の言語脳と英語圏の人たちの言語脳、思考の違い、

それもやがて解消されていくものなのでしょう。




それも道具の一つと思えば可能な事で、大切なことは

人が不便さを無くしたり、何かの問題を解決する手段としての

道具やメソッドがAIで、平たく考えれば、

あくまで人が幸せになるように利用すべきもの

ということと捉えれば良いのではないかと思います。




 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 


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