勝てば官軍という言葉があります。フランス革命は旧体制の徹底的な破壊を伴っただけに、ブルボン王家の人々は必要以上に悪いことばかり宣伝されました。その歴史観は今でも根強く生き続けています。例えばマリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言ったとか、ルイ16世は性的不能だったので手術を受けたとか。いずれも事実無根です。それらは最近の研究によって完全に否定されていますが、一度流布された伝説はなかなか消せないものです。
一方で、世の中には王家マニアみたいな人々がいて、こちらの人々はまた、必要以上に王家を美化しています。ルイ16世もマリー・アントワネットもオーストリアの参戦を依頼してはいないなどという根拠のないことを堂々と主張しています。
私たちは、主義主張にとらわれずに、彼らを等身大の人間としてみてあげたいものです。マリー・アントワネット。公平に見て、かなり心のきれいな女性です。政略結婚で嫁いだにも関わらず、一度も実家であるハプスブルク王朝の利益を図ったことがありません。彼女は皇太子妃として、また王妃として、懸命に「女王の」務めを果たしていました。そうです、フランス王国のシンボルとして、最高の演技を続けていたのです。
それ以前のフランス文化を集め、それ以後の基礎を発信しました。特に彼女がヴェルサイユ宮殿のプティ・トリアノンで主催した演劇会は、それ以後の全ての演劇・映画・テレビの源流となりました。
そして革命後の立派な態度。旧制度の崩壊を良しとしながらも、野蛮な流血沙汰には断固反対しました。それはロベスピエールをも感動させたのです。そして最後まで自分を犠牲に、家族と仲間をかばい続けました。皆さんもう一度マリー・アントワネットの肖像画をよく見て下さい。当時の王家の人々の肖像画は、どれも見事なリアル描写です。そこから人格を読み取って頂いて間違いありません。
もう一人、彼女の娘のマリー・テレーズです。この人の肖像は、少女時代とアングレーム公夫人となった後とでは、ずいぶん違った印象がありますね。革命前は本当に可愛い少女です。理想の家族に囲まれて幸せいっぱいです。しかしやがて、目の前で父が母が叔母が次々に殺され、弟が虐待され行方不明になります。ひとり残されたマリー・テレーズの心境はいかばかりだったでしょう。
やがて亡命し、そして王政復古とともに帰国した彼女は、復讐の女神と呼ばれるようになります。しかしこの呼び方は公平とは言えないでしょう。家族を皆殺しにした個々の人々、そして革命の原理を許せという方が無理でしょう。それが人間の自然の情というものです。それを経験したことのない外野が、心が狭い、許せと言うのは無責任というものです。アングレーム公夫人マリー・テレーズにとっては、ジャコバンもナポレオンも一緒でした。
それに彼女が単純な復讐心から革命派やボナパルティストに圧力をかけ、旧制度の復活を図ったと考えるのは誤解です。マリー・テレーズは時代のアンチテーゼたる宿命を自らに課したのです。革命以来、フランスは放っておけば何処までも暴走する流血のレールに乗っていました。それに歯止めをかけるには、王政復古,旧時代への一時的な後退も必要だったのです。ブレーキのための必要悪です。目指すゴールは変わらなくても、暴走は止めなければならなかったのです。だからマリー・テレーズは、圧力はかけても虐殺の類いは行っていません。自分が必要悪であることを認識していたのです。だから彼女は王政復古期も一度も得意気な顔を見せなかったのです。
そして彼女が、母が育てたフランス文化をひそかに保護し、今日につなげてくれたことを忘れてはいけません。革命と帝国が壊したものも復活させたのです。今を生きる私たちは、マリー・アントワネットとマリー・テレーズの恩恵を直接受けています。
そんなマリー・テレーズがようやく笑ったのは、息をひきとる時でした。愛する父と母と弟のところへ戻れるからです。彼女にとってフランスは命がけで守らなければならない存在でした。でも本当に好きだったのは家族だけだったのです。
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太宰院マキ バサラエルボー代表 一児の母。長年エステ業界で修業し、コジハルのダンスのようなふんわりした癒しの技法を身につける。一見弱そうだが芯は誰よりも強い。
芥川ケン バサラエルボー委託講師 情熱のカウンセラー。とにかく守備範囲が広い。嘘がつけず、何でもすぐ顔に出るのが弱点。
夏目魔弓 バサラエルボー幹事 さすらいの歯科医。イギリスをこよなく愛し、バラの栽培の達人でもある。絶対に信念を曲げない孤高の戦士。