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沙貴 誉 のブログ 『答えは自分の中にある☆薔薇の館でスピリチュアルなお茶会を』

歴史、皇室、スピリチュアル、都市伝説、タロット占い等を中心に話題にしています。答えは自分の中にあります。自分の頭で考え、心で感じ、魂の叫びを聞きましょう。

 皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) ですピンク薔薇

 

 皇室関係のネット記事を読むと、その多くが、ばぁばやあの一家の言い訳擁護記事だという事がよく分かります。

 

 そんな擁護記事で、また酷いのを見つけました。

 

 

 

  2025年11月04日(火) デイリー新潮

 

 

 

 記事の一部を引用します。引用部分を青色にしています。

 

 

「宮内庁は10月14日、“大学の授業を優先”するため悠仁さまは欠席されると発表しました。関係者は明言を避けますが、“園遊会に出ない”との意向を示されたのは悠仁さまご本人だといわれています。子供の自主性を重んじる当主の秋篠宮さま(59)がすんなり了承されたのに対し、紀子さま(59)はいまも残念なお気持ちを抱えてらっしゃるそうです」

 

「愛子天皇」待望論が消えない中、紀子さまは園遊会を“お世継ぎはあくまで悠仁さま”であることをアピールする絶好の舞台と捉えられていたという。

 

 

 引用は以上です。

 

 この短い文章の中に、この両親と息子の様々な問題がギッシリと引き詰められています。

 

 まずは、ぼったま。

 

 関係者は明言を避けますが、“園遊会に出ない”との意向を示されたのは悠仁さまご本人だといわれています。

 

 とのことですが、私はビックリしましたよ。

 

 園遊会に出る出ないは、皇族本人の気分次第で良い、という事なのでしょうか?。

 

 病気や、他に外せない重要な公務があるのでそちらを優先するなどでしたら、理解できます。

 

 大学生なので学業優先だから学生の間は園遊会には出席しない、という理由ならば、筋は通っています。

 

 しかしぼったまの場合、本人の気分だけです。

 

 自分の気分次第で、公務を選り好みしている。好きか嫌いかで判断している。

 

 こんな我儘、許されるの?。

 

 もっと酷いのは、父親の反応ですね。

 

 子供の自主性を重んじる当主の秋篠宮さま(59)がすんなり了承された

 

 こんなの、自主性だなんて言えば聞こえが良いけれども、実質放任ですよね。

 

 と言うよりも、放置。

 

 教育も躾けも指導もしないで、子供の自主性のみを重んじていたら、出来上がるのは自己中で我儘モンスターな子供です。

 

 だからぼったまは、あんな感じに仕上がってしまったのです。

 

 子供の自主性を重んじる?父親など、育児放棄の無責任な父親でしかありません。

 

 だったら、もしぼったまが、

 

 「僕の初海外公式訪問は、アジアや南米なんて嫌だよ。華々しくヨーロッパでよろしくね」

 

 なんて宣ったら、父親は「ハイハイ」と、息子の言いなりにでもなるのでしょうか?。

 

 971庁に、「うちの坊やの言う通りにやれ」と、命令するのでしょうか?。

 

 国民だって、幼少期から社会人になっても、自分の思い通りにならない事ばかりですよ。

 

 やりたくないと思っても、やらねばならない事だっていくらでもあります。

 

 やりたいと思っても、思い通りに出来ない事も出てきます。

 

 ままならない経験の中で、社会性を身に着けたり、真の自主性を学んだり、責任と義務を背負ったりして、山あり谷ありの人生を生きていくのです。

 

 自主性と言う名の我儘を貫き通す事を許されてしまったぼったまが、責任と義務を背負って主体的に生きている国民を、理解する事なんて出来るのでしょうか?。

 

 国民に心を寄せる事なんて、可能なのでしょうか?。

 

 息子の自主性を重んじるなんて都合の良い事を許しているこの父親自体も、これまで自分の好き勝手放題に生きていますけれどね。

 

 そう言えば、もうかなり昔の事なので記憶がおぼろげなのですが、多分テレビでの記者会見か何かの席で、この父親、「自分の両親は自分のやりたい事を好きにやらせてくれた。それに感謝している」と言う感じの事を明言していたのを覚えています。

 

 だから、元凶は、先代のご夫妻にあるとも言えるのです。

 

 家系的な悪い因果が、こちらの一家にはドンドン積みあがっているのでしょう。

 

 さて、では、母親の方ですが。

 

 

 紀子さま(59)はいまも残念なお気持ちを抱えてらっしゃるそうです」

 

 「愛子天皇」待望論が消えない中、紀子さまは園遊会を“お世継ぎはあくまで悠仁さま”であることをアピールする絶好の舞台と捉えられていたという。​​​​​​​

 

 

 だそうですよ。

 

 相変わらず、こんな感じなのですね。

 

 この母親、いつも物事の本質からズレまくっています。

 

 そもそも、園遊会とは、ぼったまのアピールをする舞台でも何でもありません。

 

 招待客が主役であり、招待客に寛いでいただこう、楽しんで頂こうと、皇族側が主催者としておもてなしする社交的な会です。

 

 それなのに自分の息子をアピールする場にしてしまったら、招待客がドン引きしてしまうと思うのですが。

 

 それにこの母親は、自分の息子のアピールよりも、自分の日本語能力を上げる事を考えた方がよろしいのでは?。

 

 けいそううま、手の技、マリーゴールドを飼う、などなど、日本語がおかしすぎて、日本語が成立していません。

 

 多分この母親、元々の性格がキーキーとしているのでしょうが、日本語が不自由だから自分のところで働く職員とも意思疎通が難しくて、職員が母親の言葉をすぐに理解できないから、歯がゆくなった母親は職員に対して、キーキーとなってしまうのではないでしょうか。

 

 十分にあり得るのでは?、なんて思ったりしています。

 

 さてさて、話は変わりますが、この記事では、筑波大の学生をわざわざ登場させて、ぼったまが一限目の授業にも欠かさず出席している、などとアピールしています。

 

 でもいつもギリギリだそうで、上げてるのか下げているのか、よく分からない記事です。直後には、ぼったまが勉学に真摯に取り組まれているお姿が伝わってくる、などともフォローしていますが。

 

 過去に、ぼったまは大学の授業には遅刻ばかりだ、なんて記事が出たので、このような擁護を出して記事の読者の記憶を上塗りしようとしているのかもしれません。そんな簡単に上塗りなんてされる人がいるとも思えませんが。それでも上塗りされた人が、一人二人でもいたら、シメシメなのかもしれませんが。

 

 それでは話を先に進めて、記事の別の部分を引用します。

 

 

 

 忙しいキャンパスライフを送られているのは確かなご様子。ただし園遊会欠席に至る背景について、さる宮内庁関係者が明かすには、

 

 「多感な年頃であられるため当然といえば当然ですが、悠仁さまはSNS上で自身に向けられるさまざまな言説をひそかに気にしておられるそうです。園遊会に出席すれば“学業を疎かにしている”といった批判の声が上がるのは避けられず、今回のご判断にはそういったネット世論の動向も影響したといわれています」

 

  前出の筑波大生も、

 

 「悠仁さまが、悪意も含め、SNSに溢れる自身への評価を目にしていないはずがない。“気にするな”というほうがムリでしょう」

 

 

 引用は以上です。

 

 ああ、もう、この一家のお家芸ですね。

 

 都合の悪い事は、全部国民のせいにする。

 

 園遊会欠席は、結局は、国民の批判のせいなんだそうです。

 

 国民のせいにするなんて、無責任極まりないですけれどね。

 

 国民の批判のせいで欠席するなんて、ひ弱すぎて、言葉が出ないです。

 

 じゃあ、何ですか。今回の騒動は、

 

 本当は母親が息子のアピールをしたくて息子を園遊会に出席させたかったが、国民から批判が来るのを嫌がった息子が欠席すると言い出して、息子の自主性を重んじる父親が息子の言いなりになった。

 

 という事なんですね?。

 

 それが真相なんですね?。

 

 レベルが低すぎて唖然としてしまいます。

 

 こんな、国民からの批判が怖い人間が、将来の天皇なんて務まるのでしょうか?。

 

 自分の心の中に芯が通っていれば、誰かから批判が来たところで、毅然とした態度で物事に当たれると思うのですが。

 

 誹謗中傷はいけませんが、根拠のある正当な批判は、避けて通れないと思います。

 

 それをネット世論の動向を気にして欠席を判断したとか、悪いのは世論であり国民なのですか?。

 

 皇位継承権を持つ若者が、国民からの批判が怖くて園遊会を欠席したなんて、ひ弱すぎて言葉になりません。

 

 もし本当に国民からの批判の声が怖いのならば、心療内科を受診するなど、メンタルケアについて真剣に考え方が良くないでしょうか。

 

 でも、誹謗中傷には毅然とした態度を取らねばなりませんが、まるで「国民は批判するな」というような記事を書かせて、国民からの批判の声を潰そうとするのは大間違いですからね。

 

 何故国民が批判するのか、その根本原因を考えた方がいいと思います。

 

 とにかく、自分にとって都合の悪い事を、国民のせいにするのはお止め頂きたい。

 

 国民に全責任を擦り付けて、さも自分が被害者であるかのような態度は、醜悪でしかありませんから。