沙貴 誉 のブログ 『答えは自分の中にある☆薔薇の館でスピリチュアルなお茶会を』 -10ページ目

沙貴 誉 のブログ 『答えは自分の中にある☆薔薇の館でスピリチュアルなお茶会を』

歴史、皇室、スピリチュアル、都市伝説、タロット占い等を中心に話題にしています。答えは自分の中にあります。自分の頭で考え、心で感じ、魂の叫びを聞きましょう。

 皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) ですピンク薔薇

 

 

 もうすぐぼったまの成年式ですね。

 

 このようなネット記事がありました。

 

 

 2025年09月04日(木) 女性自身

 

 

 まあ現実としては、物価高の現代では、何をするにもお金はかかります。

 

 なので、皇族の儀式で、ある程度お金がかかるのはやむをえません。

 

 しかし、無駄を省き倹約に努めた上でお祝いに相応しい華やかな雰囲気の儀式と、見栄と面子を重視したプライドの高い贅沢三昧な身の丈に合わない派手な儀式では、経費も中身も全く違うものになります。

 

 国民の生活は、米や食料品をはじめ日用品に至るまで値段が上がりっぱなしで、日々の生活で苦しいと思う部分も出てきます。

 

 そのようなご時世だからといっても、皇族の成年式をやるなとは申しません。

 

 しかしいつの時代であっても、お祝いの席とは言え、天井なしに贅沢な資金ぶりを国民に見せつけるのは、とても賢明とは思えません。特に今のようなご時世ならばなおの事。

 

 お祝いをするにしても、最低限お金のかかる部分はきちんとお金をかけねばなりませんが、権勢を誇るような贅沢なやり方では、民心を失う結果にしかならないでしょう。

 

 上の記事から引用します。引用部分を青色にしています。

 

 

成年式によって悠仁さまの存在感を増すことを期待するあまり、これまでも前のめりになってきたという紀子さまに対して、“秋篠宮家は一宮家である”というスタンスを頑なに崩さない秋篠宮さま。ご夫妻の姿勢の違いもあり、成年式では “異例の事態”が生じているという。

 

 

 引用は以上です。

 

 まあ、成年式によって悠仁さまの存在感を増すことを期待するあまり、これまでも前のめりになってきたという紀子さま、というのは、いかにも浅慮なキーコさんらしいのですが、私はそんな愚直なキーコさんもどうかと思いますが、対して、“秋篠宮家は一宮家である”というスタンスを頑なに崩さない秋篠宮さまという、善い人ぶった謙虚ぶった嘘吐きも大嫌いです。

 

 あくまでも“秋篠宮家は一宮家である”というスタンスを頑なに崩さない秋篠宮さまというのが本当ならば、決して一家で半蔵門は使わないし、ましてや、伊勢神宮の内宮行在所などは使用しないはず。

 

 しかし実際はどうでしょうか。

 

 言ってる事とやってる事が全く正反対です。

 

 こういうのを、噓吐きと言います。

 

 それにあくまでも頑なに一宮家を主張するのならば、皇嗣などという一代限りの特別なニックネームを使う事はしないはずですし、英語でクラウンプリンスなどとも表記させないようにと周知徹底したはずです。日本史上初の立皇嗣の礼などといった前代未聞の儀式も拒絶したでしょう。皇族費の増額も拒否するはずですしね。

 

 でも、言ってる事とやってる事が全然違う。

 

 秋篠宮さまが本気で「我が家は一宮家に過ぎない」と思っているのならば、

 

 何故いつもキーコさんの好き勝手にさせているの?。何故ご自分が妻を指導しないの?。

 

 なんかこの記事、いえ、過去の他の記事にも思った事があるのですが、

 

 秋篠宮さまを良く書いていて悪いのは全てキーコさんだと誘導しています。

 

 悪い事は全部妻…キーコさんのせいにすれば、上手く世の中が回せると思っているのかもしれません。

 

 まあ、キーコさんを悪者にして秋篠宮さまの印象を良くしたいという、どなたかが裏で蠢いているのでしょうけれども。

 

 そもそも、宮家当主である秋篠宮さまがもっとしっかりしていれば、皇室は今日のような混迷を極める状態にはなっていなかったのです。

 

 「秋篠宮家は一宮家である」というスタンスが本物ならば、産み分けで男児製造なんかすべきではありませんでした。これが現在どれだけの混乱を皇室にも日本にももたらしているのか、本人は全然理解できていないでしょうね。

 

 本当は皇統簒奪が本望だったのでしょう。

 

 だから、一宮家に過ぎないとか言いつつ、行動では皇太弟ぶって、半蔵門使ったり行在所使ったりも、当然の権利として甘受しているのでしょう。

 

 兄上が即位したときの大嘗祭では、「身の丈に合った」などという暴言をカメラの前で吐いていた秋篠宮さま。

 

 どの口が言う?。

 

 では、ご自身の立皇嗣の礼やぼったまの成年式は、身の丈に合っているのですか?。

 

 兄上に対して「身の丈に合った」などと、一体どの口が言っている?。

 

 兄上に対しては偉そうに暴言吐いて、ではご自分は身の丈に合うように有言実行をしているのですか?。

 

 このような人間性が信用できないエピソードばかりを持つ宮家から天皇が出ても、象徴天皇としてやっていけるのか、はなはだ疑問です。

 

 ぼったまの成年式、仮に加工を施して表面だけ綺麗に整えても、国民を騙す嘘吐き親王という事実は、決して消えません。

 

 どうか、加工ではなく、ありのままの姿で、成年式に臨んで下さい。

 

 未熟でもいい、ミスくらいあってもいい、課題の残る儀式だったとしてもいいんです。課題は成長する中で乗り越えて行けばいいのだから。だけど自分の人生なのですから自分の力で自分で乗り越えないと、意味がないんですよ。

 

 自分の足で立たないとダメなのです。自分の魂の力を信じて、自分の足で歩んで行くしかないのです。

 

 成年式が、ぼったまの運命の分かれ道となるかもしれません。

 

 加工で表面だけ整えた嘘と欺瞞に満ちた成年式ならば、ぼったまの将来も明るいとは言えないと思います。