皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) です。
遅くなりましたが、三笠宮妃百合子殿下が薨去されました。
心よりお悔やみを申し上げます。
喪主は彬子さまという事で、多分そうなるだろうとは思っていました。
三笠宮家については、多くの皆様も心配されている事と思います。
ネット記事を紹介します。
『女性自身2024年11月19日(火)』
こちらの記事を読むと、やはり信子さまは三笠宮家の中では孤立していたようですね。
記事を一部引用します。引用部分を青色にしてあります。
「百合子さまのご容体が悪化していることが判明し、イギリスを訪問されていた孫の彬子さまは緊急帰国して連日、ご入院先の聖路加国際病院へお見舞いに行かれていました。
また、もう一人の孫である瑶子さまや高円宮妃久子さまら、ご家族がこぞってお見舞いするなかで、“長男の妻”である寬仁親王妃信子さまだけは病院に姿をお見せにならなかったのです」
彬子さまが月刊誌に次のような文章を寄稿し、長年にわたる家族の断絶を赤裸々に明かされたのは、’12年に父・寬仁さまが薨去されてから3年後のこと。
《寬仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙(わた)る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた。母(編集部註・寬仁親王妃信子さま)は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上、きちんと母と話をすることができていない》(『文藝春秋』’15年7月号)
信子さまが“病気療養という理由”で、寬仁親王邸から出られたのは’04年だった。
「“家出”は寬仁さまとの夫婦仲の悪化のためでした。寬仁さまのアルコール依存症の治療を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったと報じられています」(前出・皇室担当記者)
だがこの対立は夫婦間だけにとどまらなかった。ある宮内庁関係者によれば、
「お嬢さま方は心の底から寬仁さまを敬愛されていました。お二方からすれば、“病気のお父さまを置いて家を出てしまうなんて許せない”という気持ちになられたのでしょう。
’12年、危篤状態になられた寬仁さまに会うため、信子さまは何日も病院に通われたのですが、“ご家族の意向”により、ご夫婦の対面は最後まで叶いませんでした。信子さまはこのことについては、百合子さまのご意思も介在されていたと考えられているようです。
三笠宮ご夫妻のご意向もあり、斂葬の儀の喪主は彬子さまが務められることになり、信子さまは葬儀にも参列されませんでした」
引用は以上です。
百合子さまのお見舞いに信子さまが姿を見せなかったのは、百合子さまのご希望だったのか、彬子さまの意思が働いたのかは分かりませんが、信子さまは遠慮なさったのでしょう。
家族の事は家族にしか分かりませんし、部外者の私が勝手な事も言えないのですが、皇族は国民統合の象徴である天皇に準ずる立場の方々なので、全くの無批判という訳にはいかないでしょう。
信子さまは16歳?くらいの頃から三笠宮家の寛仁親王に見初められて、望まれて寛仁親王妃となられた方ですが、寛仁親王は破天荒な自由人で女好き。アル中でDV加害者。信子さまは非常なご苦労を背負われます。
三笠宮ご夫妻は、おそらく外部から嫁いできた嫁よりも、どんなに不出来でも自分の長男の方が可愛いかったでしょうから、長男寄りの心情だったと思います。
彬子さま瑤子さまは、おそらく父親である寛仁親王からは溺愛され、父親によって母親である信子さまを悪く思うような接し方をされたのではないかと推測します。
家庭内暴力を起こす人の中には、全ての人がではありませんが、自分の気に入る人にはトコトン親切にしますが、気に入らない人に対しては相手の人格を無視して平気で踏みにじる人がいます。
寛仁親王は、娘二人を溺愛し母親の印象を悪くし、信子さまが孤立するように仕向けたのではないかと想像してしまいます。
仮にそうだったとしても、娘二人は、子供の頃は父親の言う事を真に受けていたとしても、大人になり社会に出て様々な経験を積む事で、父親と母親の関係性を見つめ直して、父親ばかりが正しい訳では無い、母親ばかりが悪い訳では無い、などと思いを馳せるようになったりするものではないかとも思うのですが、そういうチャンスが無かったのか、とにかく娘二人は母親に対して強情だと思います。
それにしても、三笠宮家って、冷徹非情な人ばかりだと思わずにはいられません。
信子さまが寛仁親王や娘たちと離れて別居した理由は、寛仁親王による信子さまへの暴力なのに、誰一人として信子さまを労わろうとはしない。
特に年長者の三笠宮ご夫妻。そりゃあ自分の息子が可愛かったとしても、息子が妻に暴力を振るった事が原因での、信子さまの別居ですよ。少しは悪かったとか思わなかったのでしょうか?。
おそらく、思わなかったのでしょう。当時は現在よりもずっと女性の地位は低くて、夫が暴力振るっても妻が一方的に我慢しなければならなかった時代です。
都合の悪い事は、全て女性側のせいにされた。女性側が常に犠牲になって、家族全体の和を図っていたような事も少なくなかった時代なのです。
もちろん、家族の事は家族にしか分かりません。三笠宮ご夫妻にはご本人様方にしか分からない事情や心情はあると思います。
しかしそうだとしても、年長者である三笠宮ご夫妻が冷静に客観的に長男夫婦に向き合っていたら、もっと違った結果になったのではとも思うのです。
彬子さまや瑤子さまも、祖父母が長男夫婦に対して冷静で客観的な態度でいたら、ここまで母親に対して拗れた心情にはなってなかった可能性もあります。
そして私が思った事は、おそらくあの時代、女性は男性に一歩下がるのが普通で、妻が夫の従うべきというのが常識だった時代です。
女好きの寛仁親王は、自分の言いなりになって媚びてくれる女性しか知らなかったのでしょう。
しかし、信子さまは自分の意見と信念を持った、自立した女性だったのではないかと思います。
自分に意見をして毅然とした態度の妻の存在が、寛仁親王にしてみたら、腹が立って憎たらしくて仕方なかったのではないでしょうか。
もちろん、これらは全て私の妄想なので、決して鵜呑みにしないで下さいね。
妻の癖に、女の癖に、平民出身の癖に、などとの思いが、寛仁親王の心の中になければいいのだけど…と想像してしまうほど、信子さまへの当たりが酷すぎて、悲しくなってきます。
仮に、信子さまに何か欠点があったとしても、それを理由にDVして良いという言い訳に名なりません。
あと、彬子さま。
たとえ母親の事が気に入らなかったとしても、メディアを使って公然と母親を批判したり悪口言ったりするのはやめましょうよ。
いくら、母娘のことは本人たちにしか分からない、とはいっても、メディアを使って母親の印象を悪くする彬子さまの方が、母親である信子さまよりもずっと権力者である、という事がハッキリしていますよ。
彬子さまの方が、信子さまよりも遥かに立場が強いので、信子さまが毒親だったとは考えられません。
むしろ、信子さまのお住いの鍵を勝手に変えるなど、彬子さまの方が毒娘ではないですか?。
いくら皇族は一般の家庭とは違うとは言え、家族の中のいざこざは家庭内で解決しましょうよ。どうしてメディアを使ってわざわざ国民に向かって、母親への印象操作をするのでしょうか?。
やはり、どうしても、寛仁親王家・三笠宮家の実質的な後継者は自分である、と国民に印象付けたいのですか?。
それとも、単に母親への私怨をメディアを使って晴らしたかったのですか?。
病気の父親を心配しても、その父親によって病気に追い込まれた母親を心配しようともせず、むしろ痛めつけようとする、彬子さまのその性格が怖いです。
もし、このままなし崩し的に彬子さまが三笠宮家の当主となったら、実質的な女性宮家の出現であり、女性皇族が独身のまま皇室に残れば宮家の当主にまでなれてしまうという前例を作る事になるのでは?、と思います。
と言うか、皇室の今後の課題となると思います。
高円宮家も、もし将来久子さまが薨去されたら、残された承子さまはどうなってしまうのか、など、承子さまがお一人になられたらという未来だってある可能性はありますからね。
ただ三笠宮家は、三笠宮妃殿下の百合子さまが薨去されたからには、廃宮となるべきだと思います。
信子さまや彬子さま・瑤子さまについては、本来は独立した寛仁親王家だったのですから、この際に寛仁親王家を再建して、妃殿下の信子さまが当主となるべきなのではないかと思います。
彬子さまや瑤子さまが、それに反対するようならば、もう皇族離脱して独立されたらどうでしょうか。
特に彬子さまは京都にマンションを買って、そこを本拠地にしているようですし。独立されても全然困らないでしょう。
御二方の尊敬してやまない御父上・寛仁親王は、かつて皇籍離脱したいと騒ぎを起こしたのですから、今こそ御父上に成り代わり御父上のご無念を晴らすまたとない機会かもしれませんよ。
もし彬子さまが当主となるのならば、再建した寛仁親王家の当主・信子さまが薨去された後に、ということでしたら、まだ筋が通っていると思います。
あれは嫌だこれも嫌だ、でもこれだけは譲れない、などと我儘を言うだけでは、自分にとって都合の良い甘い汁を吸っているだけです。
もしこのままなし崩し的に彬子さまが三笠宮家の当主となったら、私は彬子さまの事は傲慢で強欲で愚かな野心家の女性としか見れなくなると思います。
そして、事なかれで無能な971庁。
問題を先延ばしにせず、誠実に三笠宮家のお家騒動に向き合うべきです。
声の大きな人の声が通るだけの皇室ならば、無能な971庁なんていらないでしょう。
彬子さまの状況も気になりますが、M子さんが日本に帰って来たがっているような?怪しい空気を醸し出す変なネット記事も出ていましたので、それはまた今度ご紹介したいと思います。