【皇室歴史対談】③小田部雄次氏×篠原常一郎氏 | 沙貴 誉 のブログ 『答えは自分の中にある☆薔薇の館でスピリチュアルなお茶会を』

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歴史、皇室、スピリチュアル、都市伝説、タロット占い等を中心に話題にしています。答えは自分の中にあります。自分の頭で考え、心で感じ、魂の叫びを聞きましょう。

 皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) ですピンク薔薇

 

 

 

 七月も、もう後半です。本格的な夏となりました。

 

 私はこの前の三連休(15日~17日)には、用事があって外出したのですが、あまりの暑さに頭痛が起こり目もチカチカして、熱中症を起こしてしまいました。

 

 幸い熱中症は重度にはならずに済んだのですが、頭痛はしばらく続いて大変でした。

 

 皆様も熱中症には十分にご注意下さい。

 

 

 それでは、前回からの続きを書いていきます。

 

 

 ※以下、篠原さんと小田部先生の対談部分は、私の言葉でまとめてあります。詳しくは篠原さんの動画をご覧になって下さい。

 

 

 

 

 

ほんの少しだけ、天智天皇の話題を 

 

 本題とはかなりズレますが、せっかく前回で天智天皇、天武天皇を書いたので、皆様に歴史の興味深さをお伝え出来ればと思い、少しだけ話題を続けます。

 

 実は天智天皇は殺されたのでは?、という暗殺説があります。

 

 何故暗殺された?、という理由については、天智天皇の政治が良くなくて人々からの不満や批判を受けていた事を背景に、権力闘争が絡んだという事が挙げられます。

 

 特に『白村江の戦い』の敗戦で、天智政権は地に堕ちました。

 

 世の中は、天智天皇派と大海人皇子(後の天武天皇)派に分裂しました。

 

 天智天皇はある日、狩りのために現在の京都府山科区の森の中に入りましたが、行方不明になりました。

 

 どれだけ探しても見つからない。

 

 ただ、天智天皇が履いていた沓(くつ)は見つかった。

 

 その沓が見つかった場所に、天智天皇の御陵(お墓)が作られました。

 

 …という伝説があります。

 

 (実際、天智天皇の御陵は、京都府山科区にあります。)

 

 一般的には(多分『日本書紀』の記述かな?。確認してないので違っていたらすみません)、天智天皇は病気になって近江大津宮で崩御したとされています。

 

 (他には四国の山中で崩御された説もあるみたいですね。)

 

 病気になった天智天皇は病床で大海人皇子を呼んで、事後を託そうとしたが、蘇我安麻呂に警告された大海人皇子は、それを断って剃髪・出家し、吉野に下った…とされています。

 

 それなのに、天智天皇暗殺説があるのです。

 

 どれが真実なのかは分かりませんが、歴史の闇は深いなぁと思います。

 

 さて、京都府山科区での暗殺説。

 

 誰が暗殺したのか?、については、もちろん天武天皇派だと言われています。

 

 天武天皇については、前回「いわゆる男系男子ではない」かもしれないと書きましたが、「いわゆる男系男子ではあるが母親が側室」だったという説もあるみたいなので、何が真実なのかは現代の我々ではさっぱり分かりませんね。

 

 ともあれ、『日本書紀』が天武天皇の正当性を表すために編纂されたとも考えられていますが、その実質的な責任者は藤原不比等です。

 

 この藤原不比等というか藤原家も交えて、天智天皇と天武天皇を見て行くと、さらに歴史の深みが理解できると思います。

 

 今回はそれが本題ではないので、この話題はここまでとします。

 

 

 

 

 

 

側室と皇統について 

 

 側室については、篠原さんと小田部先生の対談でも語られていましたが、大正天皇はご自分が明治天皇の皇后の子供ではなく、側室の子供だと知って大変なショックを受けられた。そして大正天皇の正妻である貞明皇后もともに庶子(側室の子)であったために、大正天皇はご自身に側室を持とうとはしなかった、と言われています。

 

 幸い、大正天皇と貞明皇后の間には、皇子が4人生まれました。

 

 昭和天皇の時代では、天皇自ら一夫一妻制を推し進めて、女官制度を改革しています。

 

 それと、対談でも指摘されていますように、当時は西洋的なものが日本に入ってきている時代であり、アジア的な一夫多妻は文明的ではないと西洋からはみなされていた。

 

 そういった時代背景も、皇室から側室が無くなった経緯の要因となっています。

 

 天皇のお気持ち、そして時代の変化などの幾つかの要因で、日本からは側室が無くなりました。

 

 今後も、天皇のお気持ち、時代背景や人権意識などから、天皇や皇室が側室を娶るという事は難しくなるでしょう。

 

 それなのに、“男系男子”にこだわっていたら、いずれ天皇は自然消滅してしまいます。

 

 自然消滅でいいのか、それとも皇室典範を改正して女系天皇への道筋を作るのか、日本は岐路に立たされています。

 

 女系天皇とは言っても、天皇の血筋の子孫が天皇になるならば、男女にかかわらず歴代天皇の遺伝を受け継いで天皇になります。

 

 男系か女系かで正当性を論じるなど、それ自体が差別に他なりません。

 

 ただし、天皇の血筋を引いていない者が天皇として即位したならば、それは天皇ではありません。偽物です。

 

 それと、多くの方々が気付いていますが、もしもA宮家に皇統が移ったら、その後の皇室は、A宮家のみの血筋で受け継がれていく事になります。

 

 現在の皇室典範のままだと、今の天皇家、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家は、消滅するしかないからです。

 

 私は、“日本人”とは、現代に生きる人々だけの事を言うのではないと思っています。

 

 過去に生きた人々、そしてこれから未来に生まれてくる人々、その全てが“日本人”だと思います。

 

 過去に生きた人々がガッカリするような、現代に生きる人々が失望するような、未来に生きる人々が絶望するような、そんな皇族しか存在しないようでは、日本は終わりです。

 

 これから生まれてくる子供たちのためにも、A宮家のみが君臨する皇室にはならないように、注視していかなければならないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 篠原さんと小田部先生の対談に対する私の感想は、以上になります。

 

 あくまで私が気になった部分のみの感想に過ぎないので、興味のある方は是非とも篠原さんと小田部先生の対談の動画をご覧になって下さい。

 

 篠原さんと小田部先生の対談を機に、もっと沢山の方々や専門家が皇室や歴史について語られるようになれば良いですね。

 

 どのような考えを持つ人であれ、様々な考え方が自由に議論出来る世の中であって欲しいです。

 

 

 

 

ブーケ1篠原さんと小田部先生、今回の対談、

本当にありがとうございました。ブーケ1

 

 

 

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございました虹クローバー

 

 

 

 

 乙女のトキメキ愛と平和と喜びが皆様と共にありますように乙女のトキメキ

 

 

 

 

 

参考資料

 

Wikipedia