皆様こんにちは。沙貴 誉(さき ほまれ)です。
今回は、私が普段思っている事を書いてみようと思います。
あくまで私が現在こう思っているというだけですので、それが正しいかどうかのジャッジのつもりはありませんので、よろしくお願いします。
人生を豊かに幸せに過ごすには、ポジティブな思考が欠かせません。
しかしポジティブ思考にこだわり過ぎると、逆にネガティブな言動を振りまいてしまうという逆転現象が出てくる場合があります。
例えば、ポジティブな言動を心掛けている人がいるとしましょう。
その人は、ポジティブな言動を重視するあまり、話し相手が少しでもネガティブな発言をするのを、酷く嫌います。
例え相手が世間話程度のつもりでも、ネガティブな言動が一言でも入っているとその人には許せないみたいで、「そんな言霊聞きたくない」と捨て台詞を吐いてその場から去ってしまう人が、いたとしたら。
それは果たして、ポジティブ思考を大切にしていると言えるでしょうか?。
とは言え、相手がウジウジ・グズグズと延々と愚痴を言っていたり、誰かの悪口を嬉々として話していたら、場合によってはその場から離れるのはアリだと思います。
もしくは愚痴や悪口に付き合わずに、さり気なく別の楽しい話題に変えてしまうというのも一つの手だと思います。
しかし世間話のレベルだったら(「疲れちゃった」とか「記憶力に自信なくなったなぁ」「体力減ったかも」等々)、それすらも許せないのだとしたら、それはちょっと極端かなと思います。
それに、突然捨て台詞を吐いてその場を離れるなんて、相手に対して失礼になってしまいます。
これでは、自分の人生を豊かに幸せにするためにポジティブでいようとしているのではなく、自分が常に機嫌良くありたいために相手にポジティブを強制しているようにしか見えません。
「私がいつでも気分良くいられるために、あなたが私に会う時は、常に最高の状態でいてね」
と、要求しているようなものです。
全ての人がスピリチュアルな要素を大切にした生活を送っているとは限りませんし、全ての人がスピリチュアルを知っている訳でもありません。
スピリチュアルを知っているかいないかに当然優劣はありませんし、言霊を大切にしようとしている人であっても、たまには愚痴を言いたくなる時くらいあるでしょう。
自分の気に入らない事があったからと、台詞を吐き捨ててその場から去るという事自体、既にポジティブな言動ではないと思います。
それは明らかに、ネガティブな言動です。
そこに気付いていないとしたら、それはポジティブな思考を大切にしているのではなくて、ポジティブ思考を原理主義にしているだけなのかもしれません。
原理主義というのは、原理から外れる事は許さない排他的な考え方です。
自分の意に添わぬ者は、排除しようという考え方です。
これではせっかくポジティブに生きようとしているのに、本末転倒になってしまいます。
“ポジティブな言動を心掛けよう”との思いは、あくまでも自分自身に対する決意です。
自分自身がポジティブであろうと、心に決める事だと思います。
相手に対しては、ポジティブ思考を勧める事は出来ますが、それが強制や強要であってはいけないと思います。
相手が自分の思う通りのポジティブな反応を示さなかったからといって、相手を責めるのは違うかなと思います。
相手がどうであれ、自分はポジティブであろうとする。
その心構えが大切になってくるのではないかなと思います。
少しキツイ言葉を使います、すみません、
スピリチュアルの相手への強要は、心の暴力です。
どんなに自分が正しく良い事をしていると思っていても、心の暴力になってしまってはいけません。
相手を傷付けてしまう事になるからです。
自分の心掛け次第で、ポジティブ思考だけではなく何事でもそうですが、愛のある言動になるのか、暴力に変化してしまうか、違いが出てくるようになってしまうと思います。
以上、少しキツイ言葉を使ってしまいましたが、私の考えや思いを綴ってみました。
長々と書きましたが、自戒を込めて自分の考えをまとめてみました。
本当は、読んで下さる皆様がワクワク楽しめる話題だけを書いた方がいいのかな?、と悩んだりもしたのですが、私は個人的に、
「光も闇もどちらも大切」
と考えているので、自分と向き合う一つの機会として、今回のような話題もこれからも時々書いてみようかなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と平和と喜びが皆様と共にありますように