今となっては2月22日が「爆弾三勇士」の日であることを知っている人はほとんどいないのではあるまいか。
1932年第一次上海事変の折、2月22日払暁、上海近郊廟行鎮(びょうこうちん)の中国軍陣地の鉄条網に3名の工兵が爆弾筒を持って突撃、爆破は成功したが、3名はいずれも爆死したという事件である。
↑靖国神社の灯篭に刻まれたレリーフ。(ネットからお借りしました)。
これが「軍国美談」としてNHKや各新聞が取り上げ、大いに軍国熱を煽り、陸軍は3名を「軍神」として顕彰した。各新聞社は競って『爆弾(肉弾)三勇士の歌』を募り、与謝野鉄幹作詞の次の歌は後に小学唱歌にも採用された。
♪廟行鎮の敵の陣 我の友隊すでに攻む 折から凍る如月の 二十二日の午前五時
しかし、元陸軍少将・田中隆吉の1965年の談によれば、この美談も上官の過誤により爆薬の導火線を通常の半分の50センチにしたため、逃げ帰る時間を失って爆死した事故でしかなかったという。
さまざまな思惑や策謀により、事実認定の段階から誤りを事実とし、尾鰭を付け加えた上でマスメディアを使って国民に喧伝するというやり方は、昔も今も同じである。
アメリカ大統領選挙の偽報道や新型コロナの馬鹿騒動は、そもそもの事実認定を誤っているか、事実を調査すらしない故意の怠慢から生じている。
事実を検証せずして立てた議論はすべて誤謬であり、マスメディアがそれを拡散する行為は犯罪的である。
↑靖国神社(2018年7月)
ありがとうございました。