最近、世の中に出回っている話がみんなウソに思われてきた。そこで「汎嘘論(はんきょろん)」とでもいうものを書いてみたくなった。
ウソもいろいろだ。可愛いウソ、おべっか~見栄張りのウソ、大風呂敷ぐらいまでなら笑って済ますことができる。しかし、約束違反、契約不履行あたりになるとタダで済ませるわけには行かなくなり、詐欺、誹謗中傷の拡散などに至ればれっきとした犯罪である。
↑ネットからお借りしました。以下同じ。
報道機関のことなど今さら言うに及ばず、この世界はウソに満ち満ちているのだ。そんなウソの溶液に浸りながら「真実はどこにある~?」と探すのは、かのディオゲネスのように真昼間にランタンを灯して「人間」を探すと同じくらい難しいのかも知れない。
しかし私は、汎嘘論的な世界を嘆く前に、自らの心のあり方を顧みてあるべきではないのかと思った。ウソを簡単に信じてしまうのは、自分の中にウソを信じたいという無意識の願望があるからではないかと考えたのだ。
ウソの世界に浸っていた方が気楽なことが多い。何とか事故なく日常生活が送れるなら、敢えてウソを暴きたてなくてもいいのではないかという気持ちがある。そういう安逸を求める精神から改めていかなくてはなるまいと思った。
ありがとうございました。