懸隔の認識 | baritontaroのブログ

baritontaroのブログ

趣味の声楽などに関する勇み足風の
所感です。たまに本業の印章彫刻に
ついてもホンネを暴露します。

時に顰蹙を買うようなことを言います
が、何卒ご容赦のほどを。

ブロ友のよはなさんから思わぬコメントをいただいた。

 

 

木谷道場とのご縁に関してである。木谷道場とは、故木谷實九段が主宰し多くの強豪棋士を輩出した囲碁界の名門道場である。よはなさんは、木谷氏の三女であられる故木谷礼子(小林礼子)元女流名人と「音楽繋がり」でいらしたとおっしゃった。意外なところに人脈を発見できるからブログはおもしろい。

 

↑木谷(小林)礼子 元女流名人(ネットからお借りしました)

 

 

 

ということで、また囲碁の話をさせていただく。

 

 

囲碁の世界では、棋院の正式手合いで飯を食っているかどうかの違いによりプロとアマで分けているけれども、ひとたび実力だけを問題にする限りその境界は非常にあいまいである。

 

 

アマチュアでも全国十傑に入るような打ち手はプロの中堅どころの力がある。私の師匠の剛田さんあたりの県十傑だとプロ低段者クラスである。これも実力としてはプロ並みである。つまり、本物のプロとアマチュア強豪は、実力的には被っているのである。

 

 

↑白を持つのは上級者である。

 

 

その下は、例えば私のような街の碁会所のカラス天狗クラスでは、県十傑クラスに歯が立たない。つまり、県十傑以上とカラス天狗以下の間には決定的な懸隔があるのである。

 

 

何がその懸隔を生ぜしめているかというと、棋理(囲碁の理論)が解っているかいるかどうかの違いである。カラス天狗以下が碁会所で切った張ったの勝負をやりながら、ああでもないこうでもないと論じ合っても、その議論は全て間違いだと断ずることができる。夢の中で議論しているようなものなのだ。そんなところに棋理を持ち出したとしても、感情的な反発をくらうだけだろう。

 

 

それじゃ、カラス天狗の同類のお前がどうしてそんなことを言えるのだと詰問されるかも知れない。

ソクラテスに倣ってこう答えるしかないかな。

「私は絶対的な懸隔があることを知っている点だけが違うんだ」と。

 

 

↑剛田さんイメージ2

 

 

あんまり説得力なかったか(笑)。

 

 

 

ありがとうございました。