将棋部バカ話 | baritontaroのブログ

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趣味の声楽などに関する勇み足風の
所感です。たまに本業の印章彫刻に
ついてもホンネを暴露します。

時に顰蹙を買うようなことを言います
が、何卒ご容赦のほどを。

今日は将棋の思い出話を書きます。学生の名前はすべて仮名です。

 

 

 

大学に入ってすぐに将棋部に入部した。合唱部との掛け持ちである。

 

 

将棋は子どものころから好きだった。一応の定石や手筋は知っていたが、それがどの程度通用するのか興味があったのだ。

 

 

将棋部の部室の向いは音楽鑑賞部だった。いつもマーラーの1番がかかっていた。

「何だよ、またマーラーか。レコード1枚しか持っていないんじゃないか」などと笑い合った。

合唱部では『さすらう若人の歌』を練習していたので、この曲は親しいものだった。

 

 

 

 

私は腕試しのつもりで入部したのだが、さすがに将棋部の面々は強い強い、平手では先輩にはほとんど勝てず、同期の者たちの中でも私は弱い方だった。一緒に入部した駒沢という男と親しくなったが、彼は奨励会時代の安江照剛8段に個人指導を受けていた。本でしか学ばなかった私が敵うはずがなかったのだ。

 

 

将棋部の実力は全国区だった。4年生の神村さんは、この年の春の全日本学生将棋選手権大会(正式名称ではないかも)で準優勝を果たした。快挙であったので皆でお祝いしたが、本人は決勝で負けたことが悔しくてならない様子だった。

 

 

入賞こそ逃したものの、実力は神村さんより上だと評判の高かったのが2年生の長尾さんだった。童顔でとびきり陽気な性格だった。容貌は『名探偵コナン』のイメージかな。

 

 

 

長尾さんには「taro君の駒組はヘンテコだねえ」といつも笑われていた。いや、私も定型は知っていたのだが、それでは面白くないからとわざと変な駒組みを試みていた面もあったのだ。それで一層負けが混んだ。アマノジャク根性は今も変わらない。

 

 

その長尾さんにはバカなエピソードがある。

 

夜、繁華街を歩いていたときのことである。中年のおっさんが親しげに声を掛けてきた。

「にいちゃん、腹減ってねえか? おじさん、今日は馬で儲けたからな、何でも奢ってやるよ」

「えっ、いいんですか?」と言ったかどうかは定かではないが、ちょうど腹も減っていたので、すっかりご相伴にあずかった。

 

学校生活などよもやま話をしているうちに、おっさんはこう切り出した。

 

「ところで、にいちゃん、悪いんだけどアレ貸してくれねえかな?」

 

おっさんは、そう言いながら両手でまるい輪っかを作った。

はっと気がつきうろたえたが、ここまで接待されて拒絶するのは済まない気持ちになり、減るもんでもなしということで承諾した。

 

それから二人で最寄りの○○○に入り・・・・ビー!!!

 

 

 

「まだ痛くてしょうがないんだよ」と長尾さんは、ケラケラ笑いながら下半身をさする。

こういう経験をあっけらかんと部室で披露するのが長尾さんの長尾さんたるゆえんなのだ。

しかし、みんなはどういう対応をしていいか混乱して、しばしおかしな沈黙が場を覆った。

 

 

これも陽気な2年生の秋山さんがおどけた口調で沈黙を破った。

 

「まあ、うらやましいわ。指す一方だと思っていたのに!」

 

堰を切ったように、どっと笑いが巻き起こった。

それから、また何事もなかったようにみんなは盤面に集中するのであった。

 

 

 

 

先輩たちは決して威張らず、みんな紳士だった。これも私の主観だが、将棋指しは碁打ちよりも穏やかな性格の人が多いように感じる。激戦~あっという間の勝敗決着というパターンは将棋の方が多いのに、これが何故なのかはよく分らない。

 

 

和やかで居心地のよい部であったが、合唱部との両立は難しいと判断して、私は3カ月で将棋部を辞めた。私のまともな(?)将棋履歴は後にも先にもこれだけである。

 

 

ありがとうございました。