バス・バリトン歌手 新見準平のブログ

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バス・バリトン歌手新見準平のブログです。
音楽、日常、発信していきます。

久々のヨーロッパ旅行から帰ってきてバタバタと過ごしておりました。

めちゃくちゃ暑いですね。あと2ヶ月こんな感じなのかと思うと心が折れそうです。予備のシャツ、タオルは忘れられません。

今年はBBQとか海で泳ぐとか叶うかなあ…


今年もSAIKI第九プロジェクトがスタート!

2年目の第九です。

今年は師匠の宮本修先生も指導陣に加わっていただき、佐伯の皆さんにとって、より充実した時間になるはずですっ!


福岡ボルドーワイン祭りで歌わせていただきました。皆様が美味しそうにワインをお飲みになられる前で一滴もお酒を飲まず歌い切る、いわば修行のような時間(笑)…というのは冗談ですが、お楽しみいただけたようでよかったです。


5/19

中津文化会館での「新見準平と愉快な仲間たち」

こうげふるさと合唱団、グリーンヒルコール、うたわの会の皆さんでボリューミーなステージでした😊

たくさんの仲間と音楽を作れて幸せです!


5/25 

福岡でのデビュー15周年のリサイタルでした。

もう何度目のリサイタルになるのでしょうか…今歌いたい19曲を歌い切りました…!


6月からは合唱祭、そしてコンクールのシーズンが始まります。

行橋でのハーモニーフェスタでこうげふるさと合唱団は信長貴富「春に」、モーツァルト「魔笛」フィナーレを演奏しました。


毎年お世話になっています、福岡市のあかし幼稚園「音楽週間」の最終日のコンサートで女声合唱団あかしコンセールのみなさんと充実のステージでした😊


この日はダブルヘッダー…!

久留米の石橋文化ホールにて「福岡県合唱祭」に出演。 

声楽アンサンブル極-KIWAMI-福岡は初ステージ!ブルックナー「Locus iste」と武満徹「小さな空」を。

グリーンヒルコールでは中田喜直「ねむの花」高橋晴美「海よりも空よりも」を演奏しました。


翌日は大分県臼杵市で「大分県合唱祭」に出演

混声合唱団 はじめは初ステージ。

信長貴富編「朧月夜」とラター「5つの子ども時代の抒情詩」から2曲演奏しました。


大分中央合唱団はブルックナー「Locus iste」、團伊玖磨「河口」を演奏しました。


警報が出て、荒れに荒れた沖縄に飛んで「おかあさんコーラス九州支部大会」に出場。

グリーンヒルコールは5年ぶり6回目の全国大会推薦をいただきました!

それなりにプレッシャーがありましたが、なにより良い演奏ができたことが嬉しかったです。

沖縄から全国大会は札幌へ…!


9/29「魔笛」の稽古もスタートしました。

東京組の音楽稽古!


竹田でのコンサートシリーズも2回目。

今回はソプラノ歌手の本郷佳奈さんとご一緒させていただきました。髙橋依杏さんのピアノも背中を押してくれます😊


シングインメサイア大分もなかなかな盛り上がりです。11/9 大分県立芸術文化短期大学音楽ホールでの本番に向けて頑張ってますっ!とてもいい感じです。




7/6 

愛媛県松山市の萬翠荘にてコンサートに出演させていただきました。

ソプラノの渕野恵美さん、神原かおるさん、ピアノの大澤宣晃さんと日本の歌、世界の歌を!

ジュニアコーラスstellaのみなさんとの共演もとても嬉しかった…!1年ぶりの共演でしたが、みんなレベルアップ、パワーアップしていました…なんであんなに感動するんだろう…こどもたちの声。


ヨーロッパ旅行記

【最終回:いきなり北九州】

仁川では一睡も出来ず離陸と同時に秒で寝落ちし、目が覚め飛行機から踏み出したらすごい湿気。
税関出たらめちゃくちゃよく知ってる風景…変な感じ。
よく考えたら九州に戻るのも19日振り。


アムステルダムから離陸してみた夕陽


北京大興空港で食べた味千ラーメン


仁川のりつぎのお夜食

仁川からはジンエアーで

あとちょっと

ここ、よく知ってるわ



これから少し身を清め(笑)福岡県合唱連盟総会へ。
韓国から連盟総会に向かう人、僕くらいだろうなあ😂

皆様、旅行記にお付き合いいただきありがとうございました!
ヨーロッパ旅行記

【最後の最後に財布紛失@スキポール空港】

ただ、ダメージのないクレジットカード(すぐ止めて、即再発行)そして30ユーロが入ってました。これがパスポートじゃなくてよかった。
トランジットの中国、韓国のお金も、日本で必要なカード類も全てカバンの中に入れていた。
使い古した財布、運気を変えようと買い替えたいところだった。
しかし、被害が最小限でよかった😅














なんか、色々あった旅でした。

自分の生き方をどうするか考えるきっかけをたくさんいただいた旅だった。

旅はいい。儚くて。

また誰かに恋をして一緒に旅をしたりするのだろうか?

なああああんて、色んなことを考えた10日間でした(笑)

さあ、帰る!
【あっという間のアントウェルペン】

9日がキリストの昇天祭なので、動けるのは今日だけ。
なぜアントウェルペンに来たかと言いますと、フラマン語歌曲を研究する上でどうしても入手したい資料があったので帰りに立ち寄りました。















さあ、フラマン語歌曲とは?!昨年授業で発表したレジュメから抜粋して…

"ベルギーは地理的にヨーロッパの中心であり、欧州連合(EU)の本部が首都ブリュッセルに置かれている事からも現代において政治、金融的な面で重要視されている国家、地域である。しかし、スペインやフランス、ドイツからの支配、フリーシー族、ベルガエ族が共存した隣国オランダとの併合、独立などその歴史は実に複雑である。
また音楽の分野では、西洋音楽の発展に於いて重要な働きをした 15〜16 世紀フランドル楽派以降、この地域の音楽が知られ、多くを語られることはない。そこで、ベルギーの北部フランドル(フランデレン、フランダース、フラームス、フラマンも同義語)地方で発展した音楽を「フランドル楽派」と定義する。

ブルゴーニュ領ネーデルランド17州がヴァロワ=ブルゴーニュ家の元で統一され、やがて神聖ローマ皇帝カール5世の1549年国事詔書により1つの実体に集約された。1568年から1648年までの八十年戦争により北のネーデルラント連邦共和国と南ネーデルラントの2つに分かれ、うち後者が現代のベルギーとルクセンブルクとなる。1517年にマルティン・ルターが『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端にローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生。オランダは早くから新教(プロテスタント)信奉者が多かったが、オランダを支配する旧教(カトリック)国スペインは重税を課し、宗教的弾圧を避けるため、1581年にオランダは独立を宣言したという経緯がある。すなわちカトリックを信仰することを受け入れた10の州がベルギーの元となったのである。
この地域はブルゴーニュ家のうちハプスブルク家の分枝による統治が継続し、スペイン領ネーデルラントと呼ばれ、ルイ14世時代のフランスからの侵攻により現フランス領ノール=パ・ド・カレー地域圏にあたる地域が失われ、残りはオーストリア領ネーデルラントに発展していった。
フランス革命戦争によりベルギーは1795年にフランス領になり、当時カトリック教会領だった地域の半自治が終結した。1814年にフランスが敗れ去ると、ネーデルラント連合王国が成立するが、1830年から1839年までのベルギー独立革命で再び分裂、現代のベルギー、オランダ、ルクセンブルク3か国が成立した。このベルギー独立の発端は、ブリュッセルのモネ劇場オペラ座でのオベール「ポルティチの啞娘」におけるテノール歌手 A.ヌーリの歌唱が聴衆の愛国心を鼓舞させ熱狂させたことによるもので、劇場の聴衆は終演後に劇場を飛び出し、政府の建物を占領した。

◾️2つの「フランドル楽派」

①15〜16世紀に興隆したフランドル楽派
② 1830年以降のフランドル地方に於けるフランドル国民楽派

① 15〜16世紀に興隆したフランドル楽派

ルネサンス音楽を開拓したギヨーム・デュファイ(1397-1474)を代表するブルゴーニュ楽派の流れを汲み、3声部から4声に発展したポリフォニーによるミサ曲、モテットなどの作品群がある。東フランスからベルギーにかけての地域を発祥とする音楽様式はヨーロッパ全体に広がり、ヴィラールトはイタリアでヴェネツィア楽派を創立。後のモンテヴェルディらバロック時代の作曲家にも影響を与えた。

フランドル楽派の主な作曲家たち

前期フランドル楽派
ヨハネス・オケゲム(1430頃 - 1495)
ヤーコプ・オブレヒト(1450頃 - 1505)
ジョスカン・デ・プレ(1455頃 - 1521)
ハインリヒ・イザーク(1450頃 - 1517)
ピエール・ド・ラ=リュー(1460頃 - 1518)

後期フランドル楽派
ニコラ・ゴンベール(1495頃 - 1560)
クレメンス・ノン・パパ(1510頃 - 1556)
アドリアン・ヴィラールト(1480頃 - 1562)
ジャック・アルカデルト(1514頃 - 1562)
チプリアーノ・デ・ローレ(1516 - 1565)
オルランド・ディ・ラッソ(1532頃 - 1594)

②1830年以降のフランドル地方に於ける国民楽派

1830 年にネーデルランド連合王国からベルギー王国が独立して以降、ベルギー北部フランドル地方はフラマン語(オランダ語の方言とみなされる)、ベルギー南部ワロン地方はフランス語の方言であるワロン語を話し、ひとつの国家に二つの言語と文化が共存するという複雑な状況にあった。ワロン語を公用語として政策が推し進められる中、フラマン語話者は自らのアイデンティティである母国語を失いかねないという状況を迎え、自らのアイデンティティを問うこととなった。ベルギーの音楽界はそれまで主にドイツ音楽とフランス音楽のそれぞれから影響を受け発展してきたが、ベルギー独立の動きの中で民族意識が高まり、作曲家ペーテル・ブノワ Peter Benoit や詩人のエマニュエル・ヒール Emmanuel Hiel などのフラマン語を用いて芸術活動を行う芸術家が現れた。ブノワはハーレルベーケに生まれ、ブリュッセル音楽院でフランソワ・ヨーゼフ・フェティスF.J.Fetisに師事。ベルギーのローマ大賞を受賞後、ドイツとチェコにて研鑽を積み、パリのブッフ=パリジャン劇場で指揮者を務める。パリ滞在中に作曲した宗教的四部作(レクイエム、盛儀ミサ曲、クリスマスカンタータ、テ・デウム)は帰国後にアントウェルペンの音楽人に衝撃を与え、師であり当時の大御所であったフェティスも絶賛した。しかし、その時期からフラマン語による作曲活動に舵を切り、Pierreというフランス風の名前をPeterに改名した。この後、作曲のみならず母国語による音楽教育、音楽学校(現在のアントウェルペン王立音楽院)や劇場(フランダースオペラ)の設立など多岐にわたり他のフラマン人芸術家のアイデンティティを鼓舞した。しかしながら、ブノワの圧倒的なリーダーシップに反対した作曲家も多く(フェティスでさえ)、それらの音楽はドイツ音楽でもフランス音楽でもないスタイルを確立したものの、インターナショナルなアピール力をもっているとは言い難い。しかし、以降のフランドル地方の作曲界を代表するロデヴィク・モルテルマンス、エドゥワルド・クールヴェルス、ヤン・ブロックスなど生徒を育成した功績は大きく、現在も北部ベルギーの音楽の祖として尊敬されている。

フランドル国民楽派の主な作曲家たち

ペーテル・ブノワ(1834-1901)
ギュスターヴ・ユベルティ(1843-1910)
エドゥハール・ティネル(1854-1912)
ロデヴィク・モルテルマンス(1868-1952)
エドゥワルド・クールヴェルス(1853-1916)
ヤン・ブロックス(1851-1912)
フロール・ペーテルス(1923-1986)

…ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でした…!

本屋と図書館を巡って楽譜や資料をかき集めるぞっ!と意気込んだものの、5年前と図書館の場所が変わっていたりで時間をロスしてしまったのが惜しかった。









ルーベンスの家の側にあるDe Slegteは新しい本も古本も充実した本屋。ペーテル・ブノワのパリ時代を研究した本を見つけることができました。



アントウェルペン音楽院の図書館は素晴らしい楽譜の量で楽譜の撮影OKということでArthur Verhoevenの歌曲は全て網羅し、Meulemansもほぼほぼ網羅。Mortelmansに差し掛かったところで時間切れ…。
でも450ページ分は入手!入手できなかったものがまだあるので、これは次回😉ということで。また来ねば!



20時には就寝、5時起床。
よく寝ました。
携帯のヘルスケアを見てみると毎日2万歩以上歩いていたようなので、そりゃ疲れるわなあ…と。
でもこれで時差調整が楽になりました。
午後、スキポール空港へバスで向かいます。
ああ、あっという間だった!!
【Wiederseh'n Wien!】

9:30
最初はすったもんだあったApartmentをチェックアウトし、レッスンへ。
今日は「魔笛」全曲。
コレペティの先生が間違えてタミーノのアリアを弾き始めた…歌えば良かったか?!(笑)
パパゲーノのアリアも重唱もほとんど見ていただいた。うまくいく場合といかない場合で何が起こっているのかが見えてきた。そして如何に軽く歌えるか。ドイツ語を喋れるか。歌い慣れた役だけに整備し直さなきゃいけないことがたくさん。
日本に帰って、技術を確かにして9月の魔笛公演までに良いものにしていこう。そして来年また来よう。







14:30
再びこれからブリュッセル・シャルルロワ空港に戻る。なかなかゲートが開かない。
時間がかかって列に並ぶのに疲れた子どもたちと目があったので、変顔で国際交流…3人兄弟は喜んでいました。そしてベビーカーを持ったお母さまが階段の下りで苦労されていたので手伝った。これでただの変顔おじさんではなく、普通の人間に昇格。
やればできる。

ウィーンの街並みを飛行機で見下ろして帰ろうと思ったものの、厚い雲に覆われて全く見えなかった…シャルルロワまで一眠り。

17:30
水が500円したシャルルロワ空港からブリュッセル南駅までバスで向かい、電車でアントウェルペン中央駅へ。バスの中でイタリア人がずっと携帯で話している。次から次へと相手が変わり、話しまくる。舌打ちを打つ…バスの冷房が効かず蒸し風呂のような中、話しまくる。当然ライライする。

19:00
バスの外に出ると天国のように快適でした。
ブリュッセル南駅からアントワープ中央駅までICで移動。また周りがイタリア人の早口軍団!勘弁してくれ…。。でも、イタリアは好きなんだよ。
隣にいた、パソコンで仕事しながらにんじん齧ってるベルギー人がかなりお淑やかに見えました。

20:30
アントワープ中央駅前のホテルにチェックイン。
実はアントワープで予約していたホテルが潰れていたらしく(笑)Booking.comが代替ホテルとして取ってくれたホテルが実に快適で。清潔で。
スタッフさんもすごく丁寧な仕事をされていて。
旅の最後によかったなあーと。













これ以上何も起こるなよ…

21:00
少し疲れもあり、スーパーで買ったもので晩ごはん。
ハムもチーズもクオリティ高し。コレが当たり前だなんて。
多分荷物が重いのでウィーンで買ったワインを開ける。美味すぎて泣きそう。
今夜は寝る。

今年関わらせていただいている合唱団や講座の一覧を記事にしてみました😊


◆福岡県


【福岡ジルベスター合唱団】(福岡市・混声合唱団)

2024年の年越し〜2025年を迎える瞬間、一緒に音楽で迎えませんか?!福岡市で活動している混声合唱団です。初心者の方から経験者の方まで広く募っています。本番には70名を超えるメンバーがエントリー。

◾️練習曲目

ベートーヴェン:第九交響曲第四楽章

ヴェルディ:ナブッコのVa, pensiero ほか




【グリーンヒルコール】(東区・女声合唱団)



創団30年を超える女声合唱団です。

笑いの絶えない、でも音楽に直向きな合唱団。

2022年から私が常任指揮者を務めております。

◾️練習曲目

信長貴富:うたうたう

中田喜直:美しい訣れの朝 ほか



【声楽アンサンブル極-KIWAMI-福岡】(福岡市・混声合唱団)



18名ほどの室内合唱団。高い志で練習に臨み、アフターも高い志で楽しむ九州合唱界の精鋭?!が揃う合唱団です。

◾️練習曲目

J.S.バッハ:イエス、我が喜び

ブルックナー:Locus iste

武満徹:「うた」    ほか



【こうげふるさと合唱団】(上毛町・混声合唱団)



私のふるさと上毛町でスタートした「ふるさと音楽祭」に向けて結成された混声合唱団。今年活動をはじまて10年目です!笑いが絶えません。ホントにみんな笑ってます…30代〜80代まで40名が在籍。

◾️練習曲目

佐藤 眞:土の歌

モーツァルト:魔笛 ほか



【黒崎ひびしんホール・うたごえホール】(北九州市・黒崎)

2024年度の講師を務めております。

こちらも笑いが絶えません。ホールで声を出して思いっきり歌えるそんな講座です!楽しいよ〜!



◆大分県

【混声合唱団 はじめ】(大分市・混声合唱団)



 2024年4月からスタートした混声合唱団です。

合唱祭、コンクールなどのイベントに参加し、高い志で合唱ガチで上手くなりたいメンバーを募集しています。高校生〜60代まで15名が在籍。

◾️練習曲目

團伊玖磨:七里浜

ラター:5つの子ども時代の抒情詩

松下耕:子猫物語 ほか


【大分中央合唱団】(大分市・混声合唱団)



師匠宮本修先生より常任指揮者の任を引き継がせていただきました。私が指揮し始めて9年目…音楽で人生を楽しむ20〜90代が在籍する元気な混声合唱団です。30名在籍。

◾️練習曲目

大中恩:島よ

團伊玖磨:筑後川 ほか




【シングインメサイア大分合唱団】(大分市・混声合唱団)



https://singin-messiah-oita.jimdosite.com/

今年からスタートしました、シングインメサイア大分のリードクワイアです。いよいよ大分でメサイアが演奏できる!とても嬉しいです。現在、25名在籍。

◾️練習曲目

ヘンデル:メサイア(抜粋)



【SAIKI第九プロジェクト】(佐伯市・混声合唱団) 



昨年からスタートした大分県県南、佐伯市の第九!

今年もやります。バリトンソリストとしても関わらせていただいております!

◾️練習曲目

ベートーヴェン:交響曲第9番4楽章




【舞台「天の花」合唱】(大分市・混声合唱団)

初めて関わらせていただく、コンパルホール主催のイベント合唱団。今年は選考ありです。

渡邊智道さん制作の舞台「天の花」に出演する合唱団を募集しています。15名、少し狭き門?!是非奮ってご参加ください!



◆東京都


【声楽アンサンブル極-KIWAMI-東京】(東京都)



アンサンブルを極めよう!と集まった21名からなる混声合唱団。練習後の中華料理もたまりません!
男声絶賛募集中!
◾️練習曲目
レーガー:3つの合唱曲
J.S.バッハ:イエス、我が喜び
武満徹:「うた」 ほか

【シングインメサイアトウキョウ合唱団】(東京都)

2010年からはソリスト、2015年から指揮者として関わらせていただいております。会場を巻き込んだシングイン形式のメサイア!日本中のメサイアを愛する皆様が集います。初夏からメンバー募集予定!

◾️練習曲目

ヘンデル:メサイア(全曲)



そして吹奏楽団の指揮者も務めています!

◆大分県

【ジョリーカンパニー・ウインドアンサンブル】(大分市・吹奏楽)


2018年から指揮者を務めております。

元々は別府商業高校OGOBを中心に結成された吹奏楽団。今は大学生から一般の団員まで30名が在籍しています!


ヨーロッパ旅行記

【ウィーンもあと少し】

なんだかんだで滞在も後半戦。

今日は留学時代からの親友佐々木くんにバーデンを案内していただくことに。
今でも僕より少し若い世代の歌手の方にお会いすると「ラジオ体操の方ですよね?」と訊かれることがある。留学の最後に住んでた家で、なんでもカバレッタというネタ動画を撮ったもので、イタリアオペラのカバレッタ風に「ラジオ体操の歌」を歌い上げるという内容だ。

https://youtu.be/ECC21euPCxc?si=0bGzvrthR5EoKEEK

その時の「何もしないアナウンサー役」がまさに彼で、独特の存在感を示してくれた。彼は今バーデンの劇場で働いている。頼もしい人だ。



Lising 駅で待ち合わせて、車に乗せてくれた。...”あの佐々木が左ハンドルを運転している”。少し緊張感の切れない運転だったけれど、僕を楽しませようとしてくれるから彼の気持ちが嬉しくてしょうがなかった。



リーヒテンシュタインの古城は逞しく、崩れた城壁はかつての繁栄した頃を想像させる。
ここのことではないけれど、シューベルトの歌曲Auf der Donauを思い出さずにはいられなかった。





そして、シューベルトが「菩提樹」の着想を得たとされるフェルドゥリッヒスミューレのホテルへ。実はこの菩提樹は2代目。以前のものは雷に打たれたか、焼けてしまったかで失われてしまった。2代目の菩提樹も明るい陽射しに5月の眩しい緑で、風にざわめく様子は冬のそれとは大きく違うだろうけれど、感慨深いものがあった。優しく語りかける友好的な佇まいに思わず抱きついてしまった。







色んな状況や忙しさに呑み込まれるけれど、こういう対話を忘れてはならない事を痛いほどに教えてもらえた。人間的であるという事がどう言う事なのか、またそれを求めるタイミングが来ている。

ベートーヴェンが散歩していたヘレーネンタールの渓谷もそれはそれは気持ちの良いところで。








バーデンに住んでいた頃、鳥の囀りも聞こえなかったであろうベートーヴェンは何を求めてここに来たのだろう。バーデンには第九を作曲した家もあった。確かにここにベートーヴェンが居た。

バーデンのカジノ、クアパーク、そして佐々木氏が働く劇場を通りながら、バーデンの外れSooßへ。
Weinbau Buchart というワイナリーが留学中から好きだった。
ワイン好きな悪い後輩達に教えてもらったところだ。
白、赤、と感動的なラインナップを試飲させてもらって4本購入。これは、大切な人が出来たら(笑)飲もう。




Liesingまで送っていただき、お別れ。
なんでも話せる友人って少ないいのですが、こうやって時間が経っても一緒にいれる友人がいて本当に幸せなんだと思います。久しぶりにあっても全くその時間が気にならない、埋めようとしなくてもいい。不思議なものです。次は日本かウィーンか...ありがとう。

Erdberg駅からFlixbusでハンガリーのジェールへ。
もう20年近くの友人がこの街のオーケストラで働いていて、会いに行きました。そしてもうお一方、10年前にクレジットカードのトラブルでウィーンに戻るチケットを立て替えてくださったヴァイオリニストさんにお金をお返ししたくて(ご本人はお忘れだったようですが...)やって来ました。
ウィーンとジェールは特急電車でも高速バスでも1時間半ほど。福岡と熊本を移動する感覚に近いと思います。
リハーサル終わりに2人で駆けつけてくれました。ハンガリー料理を楽しみながら、積もる話はたくさん。また近い将来、来る事を約束して別れました。





色んな方に助けていただいて生きて来たんです。
先日のレッスン、うまく歌えない箇所で苦心していたら先生が「もっと人生、楽よ」と言ってくださったのが忘れられない。全部、自分でなんとかしようとして首を絞めているのかもしれない。自分回収の旅、と冗談で名付けた旅でしたが、本当の自分を取り戻す旅になってます。やっぱり日本に帰らなきゃいけないいのかなぁ(笑)

ジェールからウィーンへの復路もFlixbusで。
連絡いただき、去年の福岡ジルベスターコンサートでご一緒させていただいた飛ぶ鳥落とす勢いの指揮者大井駿さんに会えることに!
音楽談義もウィーン談義も、それはそれは楽しく。
改めてこの人は音楽に祝福されている人だなあ!と。
新宿で飲もうね!は叶わず、ウィーンで飲めたことを可笑しく思います。世界は小さい!



ヨーロッパ旅行記

【時差に慣れてきた?か。】

初めて6時間以上眠ることができた。いい睡眠をあまり取れてなかったけど、やっと「寝た!」という感覚。
朝ごはんを作って、シャワー。
お湯が出ない。
行水を楽しむ。これは修行なのだと言い聞かせる。
身も心も綺麗になった。(ブルブル

しかし、今日は暖かい日でよかった。
シャワーで冷え切った身体もすぐに回復した。 

ただ、シャツ一枚「ATTACK ON TITAN進撃の巨人」を着て出てきたことを後悔。




そして留学中あまり体験できなかったミサへ。
冷たいシャワーを浴びて身も心も綺麗な状態で来れてよかった…進撃の巨人だけど。
たくさんある教会の中から今回は10年前に2〜3日前の急な依頼でシュッツの「ヨハネ受難曲」イエスを歌ったペータース教会へ。クリスチャンではないけれど、こっちの人の生活の中にある礼拝、そしてそこに必然的にある音楽を体感したかった。







行って本当に良かった。僕らがバックボーンなく演奏しているKyrie,Gloria,Credo,Sanctus,Agnus Deiとは一体何なのか、より深める必要がある。そのためにもいい経験をさせていただいた。
聖歌隊の響きの美しさ…これはまさに「神に捧げる」音楽だ。そのあと少しだけシュテファンのミサも見れてよかった。







もう一つ行きたかったのが、行き詰まると必ず登っていたKahlenbergだ。
昨日食事した二人を誘って、Heiligenstadtからバスで登った。息を呑む本当に美しい風景だった。
またここに来たんだなあ、と感慨深い景色。





夕方からは親友ご家族とホイリゲへ。
留学時からの親友。こちらで立派に仕事していて、本当に尊敬する。彼のような忍耐強さは僕にはなかった。会ってない5年のうちにお子さんは3人。すっかりパパの顔になっていた…僕は何をしてるんだろうか。そう思った。僕は僕なりに歌って振って教えて食べて飲んで頑張るのだ!









ヨーロッパ旅行記

【やはりウィーンはいつもウィーン】

6:45
鳥の鳴く声で目を覚ます。



何故、こうもヨーロッパの鳥は歌が上手いんだろう?いつもこちらにくると感じることで、甲高くよく通る声で鳴く。うるさいくらいに(笑)それはいろんな作曲家にインスピレーションを与えるよなあ…



宿には共用のキッチンもお風呂も洗濯機もあり快適。そばにはスーパーHoferがあるので、今回は留学してた時みたいに自炊をしようと買い物へ。
いやあ、目の毒ばかりでした…
ハム、チーズ系の品揃えは日本のスーパーの10倍以上でしょう。Mozzarellaは€0.9、アンティパストのセットも€2、ワインもビールももちろん野菜も安い。
朝から食べ過ぎてしまった…



そこに掃除のアラブ系兄ちゃん登場。
僕は「昨日はよく眠れたよ〜」と嫌味というかあいさつのつもりで。
アラブ兄ちゃん「何時間待ったの?昨日は?」
にいみ「6時間だよ。15時にきたけど開かなかったんだもん」
アラブ兄ちゃん「嘘だろ?大変だったな!」

ハハハッ!

お 前 の せ い だ よ (はーとまーく

日本の常識なんて世界では通用しないことを知っていたはずなのに全く笑わせてくれたもんだ…まあ、こんなこともあるよな、って思える人間でよかった。

午前は住んでいたKettenbrükkengasseへ。
住んでいたマンションは改装工事中。





国立歌劇場の専属歌手を長年務められ、今東京芸大の教授をされているバリトン歌手さんから引き継いだ部屋…工事現場のお兄さんに10年前ここに住んでいたことと中が見たいことを伝えて入ってみると全く変わっていました。ただ、菩提樹はそのままで。色んなことを思い出しました。200年以上経つWohnungで、晩年同じ通りに住んでいたシューベルトがレッスンしに来てたらしいんです。あの強気な大家はどうしたんだろうな…喧嘩しまくったなあ。。

今日は土曜日だからFlohmarktの日。
所狭しと骨董品や絵画、食器が並んでいます。
住んでたことは全然行かなかった…。
自分のためにプレゼントを買った。これからは好きなものがすぐそばにある生活をしようと思うから。



今回日曜を挟んでの滞在なので、お店が開いてないことを考えて今日の午前が勝負!とばかりにDoblingerへ。ユーロが高いと日本で買うのとほとんど変わらないからほしいものは全て却下…!合唱コーナーがあれだけ充実していたことは知らなかった…単語帳形式のウォーミングアップ集を購入。



オペラ座裏の好きなカフェCafe Tirolerhofで大学の後輩と再会。逞しく頑張っている様子に元気をもらった!今こちらで学べることが羨ましいなあ。

午後は留学時にもお世話になっていた斉藤先生のコレペティレッスン…全てを見抜かれ裸になった気分。ああ、心の中、身体の中いろんなものが動く動く。これなんだろうな…本当の僕。本当に毎週受けたいレッスンです。

今夜はWiener Symphonikerの演奏会。

Dirigent OSCAR JOCKEL
Klavier FRANCESCO PIEMONTESI
WIENER SYMPHONIKER  

ベートーヴェン:レオノーレ序曲3番 
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ヒンデミット:画家マティス

演奏者が見えないOrgel Balkonの席が1席だけ空いてて、ラスト1枚をなんとか取れました。
空気が振動して、倍音を含んだ明るい響き。音楽のベクトルが向かう方向(終着点に向けて)が見えるアンサンブル。比べるのはおかしい話だけども、僕らがいかに普段拍で合わせようとしすぎてるのかが分かる…
ピエモンテージのピアノの煌びやかさ、フォーカスされた響きに驚かされました。素晴らしい演奏だった…



このオケは
2ndファゴット奏者が芸大カンタータクラブの後輩。
彼女は凄いところまで来てしまった…開演前に手を振ったら気づいてくれて。終演後会おう!というジェスチャーだと勝手に解釈。
一緒にカンタータをやっていた仲間がこの場所で活躍されていることを誇りに思いました!

そのあとは長い付き合いになった歌手仲間と初めましての方とお食事を。
世間の狭さには驚かされることばかりです…こっちで頑張ってほしい!心から応援してます😊







ヨーロッパ旅行記

【ああ、懐かしのウィーン】

5:30やはり時差の影響で早めに目が覚めてしまう。

今日のウィーンへのフライト、"ブリュッセル"Charleroi空港だから予約したのに、市内からはめちゃ遠い。まあ、東京都心を想像して、成田くらい離れてるようなもんだと思います。

ブリュッセル南駅からflibcobusに乗り、南に50kmほど行ったシャルルロワ空港に向かう。
乗車時に物乞いのおばあさまに金くれ、とお願いされる…そうだ、イタリアもオーストリアもフランスも物乞いがいる。そう言えばベルギーも主にカトリックだ。プロテスタントのオランダと国を二分した大きな理由もそこにある。ネーデルランド連合王国から1830年ころにベルギーが独立したきっかけはモネ劇場でのオペラ公演がきっかけと言われている。(オーベールのオペラ上演時に国民、民族意識を鼓舞する曲で観客が興奮し、そのまま国会を囲んだと言われる)
北部ベルギーはオランダ(フラマン)語。南部はフランス(ワロン)語。国民の4%は母国語がドイツ語話者。首都のブリュッセルはオランダ語とフランス語が共存する都市で、仕事してる人たちは当たり前にそれにプラスして英語、人によってはドイツ語も喋る。
まさにヨーロッパの交差点、すごい国です。

Flixbusは手荷物預けが有料だけど、このバスは代金に手荷物も含まれている。車内はWifiもあり快適だし、隣に誰も座らないから"必殺サンドイッチ作り"!

調子に乗ってパンにハムを挟みすぎたからか喉がカラッカラ。
空港で水を買おうと見てみると大体€3...500mlのミネラルウォーター1mlあたり1円(笑)価格爆発してますね…コロナ禍以降の値上がりは凄そうだけど、ここまでとは、ね。ビールの方が安いのでビール飲んで過ごします(違)



シャルルロワ空港は世界でも最も大きなlcc航空会社のライアンエアのハブ空港。
でも大分空港と大きさもさほど変わらない気がする。
もっと誇っていいぞ、大分空港!ホーバー事故ってる場合じゃないぞ!

なんでも自分でチェックイン。
アプリがダウンロードできないと窓口へ。どこまでも手続きの簡略化を徹底しているlcc、係員さんの対応も○。

フランス語が増えてきた。さっきまでgの擦るフラマン語の響きが心地よかったけど、声と舌と唇が戯れるようなフランス語も耳に心地いい。飛行機に乗ってしまえばドイツ語ばかり…こっちにいると常に色々な文化、言語が隣にあったよなあと。


12:45 シュヴェヒャート空港着。
変わったこと変わってないこと、色々あるけど遂にここに来れた感はすごい。
手荷物を受け取って外に出ると知ってる匂い。そしてスーパーBillaに入ると一気にこの10年間を取り戻すが如くBillaの匂い。不思議と買い物してても全く困らない…それはそうか、住んでたんだもん。
留学最後の日に初めて食べた惣菜のハムを挟んだパン、これが忘れられなくて今回食べてみた。泣きそうになる美味さ。高くて美味しいものが美味いんじゃなくて、これが美味い。








14:15
市内へ電車で向かうけど、こんなに券売機は煩雑だったか?一瞬たじろいだが、無事に購入。MeidlingやWestbahnhofに繋がってるのがビックリ。確か僕がいたころは乗り換えなきゃいけなかった気がする。

15:00
アパートメントにチェックイン。
入っているはずの鍵がBOXにない。
電話する。間違い電話する…笑
そしてWhat'sAppを近くのスーパーのWifiを拾ってダウンロード。やりとりをする。時間がないのでレッスンに向かう。

16:30
9年ぶりのレッスン。
階段を登って先生の家に着くまでなんとも言えない緊張とドキドキと9年間もご無沙汰した申し訳なさと。いろんな気持ちが溢れたなあ。
83歳を迎えた先生はお元気そう。意外とドイツ語が出てくる出てくる。不思議な感覚だった。
発声なしでまず今の状態を聞かせてほしいと先生に言われる。一曲弾くためだけにコレペティの先生も来てくださった…一曲聴いただけで僕の今抱えている問題を一気に述べてくださった。全て見抜かれている。
東京で受けているレッスンとかなり共通するものだったけれど、また違う角度から的確にアドバイスいただけたことは本当にありがたかった。あとはやるだけです。



ご飯に行こう!

でも、鍵がまだ。
1時間は粘りましたが、他の部屋のギリシャ人が開けてくれて共用スペースには入れた。
その人とも経緯を話したりしてて、優しかったな、ギリシャ人。ちなみに晩御飯はギリシャ料理(笑)しっかりたべるよ。部屋が開いたらね。
しかしやりとりしてる人が言うことがコロコロ変わるから、信じられんなあ…と。ドイツ語わからない説、英語も変。本当にこの人オーナーなのか?とイライラが頂点に達した時にヒョウキンなアラブ系の兄ちゃん登場。他のボックスに鍵入れてたよ、本当ごめんねー!てノリで対応される。
笑うしかなかったが、とにかく寝床が確保できてよかったよ。

21:15
師匠ご夫婦をギリシャ料理屋にお待たせしまっている…急いでU4に乗りStadtparkに向かう。
いつも使ってたU4、匂いも音も変わらない。知ってる、これ。感動したいけど急いでる。もっとウィーンを味わいたい!ウィーンを感じたい!!ギリシャ料理屋にシュニッツェルはあるのか?美味いビールはあるのか?!

結局、ギリシャ料理は食べず豚肉のシュニッツェル食べちゃった(はーと)