4月16日に発生した、統幕所属の自衛官の小西議員に対する不適切?発言事案について


報告書の内容(できる限り原文ママ)


●4月16日、概ね20:30頃に国会議事堂周辺をジョギングしていた。(常々、体力づくりのために国会周辺まで往復2時間ほど走っている)

●交差点信号待ちの小西議員と偶然遭遇し、目が合って会釈をされたが、一言想いを述べたいという気持ちが高まり、「国のために働け」と大きな声で言った。

●小西議員は「国のために働いている。安倍政権は国会で憲法を危険な方向に変えてしまおうとしているし、日本国民を戦争に行かせるわけにはいかないし、戦死させるわけにもいかないから、そこを食い止めようと思って、私は頑張っている」と反論した。

●戦死という言葉の言い方が軽く感じ、災害派遣等で遺体を目の当たりにしたときの強い衝撃や使命感、そして全ての自衛官が持っている『事に臨んでは危険を顧みず』という覚悟を軽ろんぜられたと感じた。

●「俺は自衛官だ。あなたがやっていることは、日本の国益を損なうようなことじゃないか。戦争になった時には現場にまず行くのは我々だ。その自衛官が、あなたのやっていることは、国民の命を守るとか、そういったこととは逆行しているように見える。東大まで出て、こんな活動しかできないなんて馬鹿なのか」とむきになり言い返した。

●小西議員は近づいてきて「あなたは現役の自衛官なのか。現役の自衛官がそんな発言をするのは法令に反する」と言ったが、「私の発言は政治的活動には当たりません」と言い返した。

●名前と所属を名乗るように要求されたが、「今は、一国民のしての私の想いを伝えています」と拒否した。

●小西議員から「撤回しなさい。現職自衛官がそんなことを言うのは大問題だ。防衛省の人事局に今から通報する」と携帯電話を出したが、「何が悪いのでしょうか?」と応えた。

●再びジョギングに戻ろうとしたところ、小西議員が「お巡りさん、お巡りさん、現職の自衛官が…来てください、お巡りさん!」と向かいの交差点の警備の警察官を呼んだので、やましくて逃亡したと誤解されると思いその場にとどまった。

●そこで「あなたは国民を代表する議員でしょ。私なんかよりも、何倍もの力を持っていて、何だってできるのに、何で一国民が訴えていることを聞いてくれないんだ」と反論したが、小西議員は電話をして取り合ってくれない状態で、私がジョギングに戻らないように近づいてきていた。

●その姿を見て「あなたは何で権力をかさに着るようなことをするんですか?国会議員だったら、一国民が行っていることを、ちゃんと聞くぐらい、いいじゃないですか。本当にそういう行為が気持ち悪い」と言った。

●そうこうしているうちに警察官がひとり近づいてきたので、「勤務中に余計な仕事を増やしてしまい本当に申し訳ないです。」と言った。小西議員は「この人は現役の自衛官らしいんですけど、いきなり私に国のために働けって、強く罵るんですよ。私は国民を代表する国会議員なんですよ。その国会議員に対してね、一自衛官がこんなこと言ってくるなんてありえないから。彼は自衛官でね、強力な武器も扱う、警察のあなたたちもかなわないような実力組織なんですよ。実力組織の人間があんな発言をするなんて、恐ろしい」と言っているのが聞こえた。

●その後4人の警察官が合流し、事情を聴かれたので説明し、住所、氏名、生年月日、所属などを答えた。警察官から「どうする?謝っておくかい?」と聞かれ、事の重大さを認識し謝罪しようと思い「はい、もちろん。ご迷惑をおかけしましたし、ぜひ謝りたいです。」と言った。

●小西議員と向き合うと「あなたのさっきのような、人格を否定するような罵ったところとか、私の政治活動を冒涜するようなとことか、そういったところを謝罪してもらえるんだったら、特に防衛省に通報したりとか、そういうことはしないから」と言われた。

●「馬鹿」「気持ち悪い」といったことについて、「個人の尊厳を傷つけるとうなことと、考えの違いはあるかもしれませんが、日々日本を良くしようと頑張っている政治活動を冒涜するようなことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした。」と謝罪した。

●小西議員は自身の政治理念の述べ、2/26事件や5/15事件などクーデターが起きたことを踏まえ、シビリアンコントロールが大事というような主旨のことを話し、「あなたはどう思う?」と問うたので、「勉強になりました」と答えた。

●小西議員は私に近づき右手を差し伸べ、私も両手で握り返した。小西議員は、そのまま手を強く握りしめ「見解の相違もあるけど、あなたも家族がいるでしょうし、組織の中でも若いだろうから、しっかり頑張ってもらわないといけない。今回のことはそうやって言ってもらったから、防衛省には言わないから。あなたのような自衛官を殺させるわけにはいかないし、だからこそ憲法改正を何とか辞めさせようと思っている。だから活動しているんだ。先日も、質疑の時に防衛大臣に服務の宣誓の意味を問うたけれども、あの人は答えられなかったんですよ。あなたはそのような人の下で働いているんだってことを良く認識した方がいいですよ。そういう所を私は危機感を持っているから、頑張っている。あなたもまだ若いから、日本の為に一緒に頑張りましょう。」と言った。

●私は「すみませんでした」とだけ言い、小西議員からも「帰っていいから」と言われ、ジョギングしてアパートへ戻った。



「防衛省には言わない」と言っておきながら問題化した小西議員の器の小ささ…

今、新聞やテレビではモリカケ問題、加計問題、財務省の決裁文書改竄だの、防衛省の日報問題隠蔽や自衛隊の派遣は戦闘地域だったなど、与党への追及を強めるものばかりが話題となっている。
そんな中、国会前での集会などで「民主主義を取り戻せ」などと叫んでいる国会議員や野党支持者がいる。

 その民主主義であるが問題点もある。その最大の問題点は、民主主義が本質的に持つポピュリズムに支配されることである。
古代ギリシャでは、プラトンがソクラテスを処刑したアテネの民主政治(※1)を衆愚政治として否定し、哲人政治を説いた。
 第2次世界大戦のドイツでは、ヒトラー率いるナチスも民主的に議会で支持され生まれた政権であり、国民は熱狂的に支持した。
 戦後の日本に生まれた人々は、そんな昔話に耳を傾けないかもしれないが、日本もポピュリズムの国と言われたら耳を傾けるのではないだろうか?
 
 実は、日本の政治も、戦前からポピュリズムに支配されたものであったのである。日本のポピュリズムは、日露戦争の講和を不満とする民衆の「日比谷焼き討ち事件」(※2)に始まり、普通選挙の後に本格化したと言われ、そして軍部を台頭させ、日米戦争へと導いたのはポピュリズムと言われている。

 普通選挙制度後、大衆受けに腐心する政党の党利党略に幻滅した国民は、中立的な軍部や官僚支持するようになり、その世論を軍部も常に意識するようになった。しかし、国民は満州事変と満州国建国を熱率に支持し、国際連盟を脱退して帰国した松岡洋右を英雄として歓呼の声で出向かるほどであった。そして、政党政治を批判するばかりのメディアも問題であったのである。それは、新体制(※3)といった非民主的な体制と軍部の独走を生むこととなった。日中戦争勃発後、軍部は報道統制をしたが、これに抵抗する新聞社はなく、生き残るために自ら戦争を煽ったのである。全紙が軍部のプロパガンダ紙となり、発行部数を飛躍的に伸ばした。
 新聞を信頼する国民は、軍部を支持し日米戦争に行着く。しかし敗戦後は、国民も報道機関も、その責任を全て軍部に押し付けた。戦争支持の国民的熱狂に支配された昭和の魔性を作り出した正体は「ポピュリズム」だったのだ。しかし、生き残るために戦争を煽った新聞各社は責任を取ることなく、終戦後から「戦争は終わった、これからは民主主義だ」との論調に豹変。所詮そんなものなのである。

 メディアに異常な人気のあった近衛文麿はポピュリストであったと言われた。戦前、議会政治が始まって以来、ポピュリズムに無縁と言われた政治家として原敬がいる。この政治家が暗殺されなければ、政党政治を確立し、日米戦争の悲劇に至らなかったかもしれない。
 なお、戦後のポピュリズムに無縁な政治家として吉田茂(麻生副総理の叔父)と岸信介(安倍総理の祖父)がいる。
 
 今の日本はどうであろうか?
ネットの普及によって、フェイクニュースを暴き出すとは言われていても、新聞、テレビに煽られている国民がまだまだ多いのではないだろうか?

 ポピュリズムを克服するためには「国民の見抜く力」にかかっている。

 
※1: ソクラテスは「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられることになった。アテナイの500人の市民がソクラテスの罪は死刑に値すると断じた。原告は詩人のメレトスで、政界の有力者アニュトス(英語版)らがその後ろ楯となった。しかし、ソクラテスの刑死の後、(ソクラテス自身が最後に予言した通り)アテナイの人々は不当な裁判によってあまりにも偉大な人を殺してしまったと後悔し、告訴人たちを裁判抜きで処刑したという。告訴の背景には、上記の他にもペロポネソス戦争とその後の暴政(三十人政権)など複雑な事情があったと考えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
 
※2: 1905年のポーツマス条約によってロシアは北緯50度以南の樺太島の割譲および租借地遼東半島の日本への移譲を認め、実質的に日露戦争は日本の勝利に終わった。しかし、同条約では日本に対するロシアの賠償金支払い義務はなかったため、日清戦争と比較にならないほど多くの犠牲者や膨大な戦費(対外債務も含む)を支出したにも関わらず、直接的な賠償金が得られなかった。そのため、国内世論の非難が高まり、暴徒と化した民衆によって内務大臣官邸、御用新聞と目されていた国民新聞社、交番などが焼き討ちされる事件が起こった。なお、同事件では戒厳令(緊急勅令)も布かれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E7%84%BC%E6%89%93%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 
※3: 1940年(昭和15年)、近衛文麿が中心となり、ナチ党やファシスト党を模して一国一党の国民組織を結成しようとした政治運動。明治維新に始まる帝国主義路線(小ブルジョア‐市民革命)路線を批判し、明治以来の学校制度の廃止、政党の解体、労働組合の大同団結を通して、私有財産制の廃止と帝国主義列強との戦争を目指した。   (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BD%93%E5%88%B6%E9%81%8B%E5%8B%95


引用:神田 淳(かんだ すなお)高知工科大学客員教授の寄稿文引用

陸上自衛隊がイラクへ派遣した際の日報に関し、「戦闘」という言葉が複数あり、政府はこれまで自衛隊の活動地域を「非戦闘地域」と説明してきたが、当時の状況との整合性が改めて問われることになるとして追求の構えです。


しかし、私は以前から国会での「戦闘」の言葉の定義と軍事用語としての「戦闘」をゴチャ混ぜにして議論しているから話がおかしくなると思っています。


では、戦闘の定義とは何なのか。


政府→戦闘行為を国または国に準ずる者による組織的、計画的な攻撃


自衛隊→作戦の個々の場面における戦闘力を行使する行為及びその状態


という事です。


「日報では『戦闘』と書いてある!」と吹っ掛ける野党やマスコミは勉強不足って話になるんと思うわけです。

国会議員や記者であれば、制服組に直ぐに聞けるはず。

頭の良い方々であろうから、言葉の定義というのは基本だと思うのです。


敢えて知っているのにも関わらず、わざとゴッチャにして言っているのであれば、国民を煽るための確信犯という事になるわけですよね。