昨日はジャイブを習いました。主に踏み込む足の重要性について。
「上にあがる動きで音を捉えるのが課題」な僕だからこそ、あらためて床への踏み込みを見直す機会を貰って、充実でした。
話は変わって、フラメンコ時代の先生の、かなり昔のブログより。
「毎朝のようにすれ違う二人の若い女性がいる。二人とも走っている。一人は、一流メーカーのランニングシューズとウェアを着用し、正しく美しいフォームで颯爽と走っている。もう一人は、(食パンを咥えてこそいないものの)いかにも会社に遅刻しそうな様子で、ボサボサ髪とヨレヨレ服で駅に向かって必死で走っている。さて、これがフラメンコ舞踊だとしたら、どちらの踊りを観たい? 正しさ、上手さは大事。颯爽と走っている女性も素晴らしい。でも、踊り手の人生を皆は舞踊の中に見たいんだよね」
だいたい、こんな内容。
これを、そのまま競技ダンスに当てはめることは出来ないし、当てはめる必要もありません。そもそも、(一概には言えませんが)フラメンコも競技ダンスも技術あっての表現です。
また話は変わって、今日の僕。
遅刻しそうだったので、駅まで走りました。
気づいたのは、
“僕の頭は上下しすぎ!”
ということ。
上下運動したってロクに進まず、疲れるだけなのにね。
きっと僕は、
「頑張って走っています!」
を、誰に見せている訳でもないのに、何かに向かってアピールしていたのです。
仮に誰かが「あいつ頑張って走っているな」と思ってくれても、それで駅に早く着ける訳ではないのにです。
「激しい上下運動=疲れる=頑張っている=駅に早く着く」
という無意味な幻想があったのです。
踏み込んだ力で体を前方に送れば、その分早く駅に着くんです。
「もっと速く! もっと早く!」と。
競技ダンスも、そうやってちゃんと正しさを追求しながら、必死で
「もっと上手く! もっと強く!」
と足掻いていると、踊りの中に人生が見えてくるのかもしれません。
ちなみに上下運動といえば。
むか~し、初めてサンバのクルザードウォークを習った時。体勢は妙な前傾になっていて、緊張で両手首が曲がって固まっていて、無駄に送り足を意識していて、頭をピョコピョコ上下運動させていたので、
「ティラノサウルスの赤ちゃん!」
と、笑われたことがありましたとさ。