【206】走れ舞踏家 | 吟遊舞踏苦労狂 Bard Ball Chronicle~競技ダンス冒険譚~

吟遊舞踏苦労狂 Bard Ball Chronicle~競技ダンス冒険譚~

理想を語るだけのヘタッピ中高年による
競技ダンス冒険譚、幻想譚もとい妄想譚
『ファンタジーとダンスが交錯する世界』
のつもりで書き始めましたが
気づいたら普通の(変な)ダンスブログになっていました

 昨日はジャイブを習いました。主に踏み込む足の重要性について。

 

 「上にあがる動きで音を捉えるのが課題」な僕だからこそ、あらためて床への踏み込みを見直す機会を貰って、充実でした。 

 

 話は変わって、フラメンコ時代の先生の、かなり昔のブログより。

 

「毎朝のようにすれ違う二人の若い女性がいる。二人とも走っている。一人は、一流メーカーのランニングシューズとウェアを着用し、正しく美しいフォームで颯爽と走っている。もう一人は、(食パンを咥えてこそいないものの)いかにも会社に遅刻しそうな様子で、ボサボサ髪とヨレヨレ服で駅に向かって必死で走っている。さて、これがフラメンコ舞踊だとしたら、どちらの踊りを観たい? 正しさ、上手さは大事。颯爽と走っている女性も素晴らしい。でも、踊り手の人生を皆は舞踊の中に見たいんだよね」

 

 だいたい、こんな内容。

 

 これを、そのまま競技ダンスに当てはめることは出来ないし、当てはめる必要もありません。そもそも、(一概には言えませんが)フラメンコも競技ダンスも技術あっての表現です。

 

 また話は変わって、今日の僕。

 遅刻しそうだったので、駅まで走りました。

 

 気づいたのは、

 “僕の頭は上下しすぎ!”

ということ。

 上下運動したってロクに進まず、疲れるだけなのにね。

 

 きっと僕は、

「頑張って走っています!」

を、誰に見せている訳でもないのに、何かに向かってアピールしていたのです。

 仮に誰かが「あいつ頑張って走っているな」と思ってくれても、それで駅に早く着ける訳ではないのにです。

 「激しい上下運動=疲れる=頑張っている=駅に早く着く」

 という無意味な幻想があったのです。

 

 踏み込んだ力で体を前方に送れば、その分早く駅に着くんです。

 「もっと速く! もっと早く!」と。

 

 競技ダンスも、そうやってちゃんと正しさを追求しながら、必死で

 「もっと上手く! もっと強く!」

と足掻いていると、踊りの中に人生が見えてくるのかもしれません。

 

 ちなみに上下運動といえば。

 むか~し、初めてサンバのクルザードウォークを習った時。体勢は妙な前傾になっていて、緊張で両手首が曲がって固まっていて、無駄に送り足を意識していて、頭をピョコピョコ上下運動させていたので、

「ティラノサウルスの赤ちゃん!」

と、笑われたことがありましたとさ。