今年も残りわずか。
日頃の感謝を込めて、頻尿改善体験をこちらに残しておきます。
薬いらず、病院いらず、副作用ゼロ、リスクゼロ。
悩んでいる方の参考になれば嬉しいです。
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おかしい、何かがおかしい![]()
一体全体、私の膀胱どうしちゃったの?
弘法も筆の誤り。いや膀胱がなんか誤ってる!とにかく、おかしい!
コトの発端は、数か月前。
田舎の母が遊びに来てからだった。
私と違ってお出かけ大好きな母につきあって、あちこち出歩いた。
80歳になる高齢の母。慣れない土地での心配もあるのか頻繁にトイレに立ち寄る。
駅に着いたらトイレ。
目的地に着いたらトイレ。
途中でトイレの看板を見ると「一応行っとく」と、さっき行ったばかりなのにまた行く…。
トイレのスタンプラリーがあったら、すぐコンプリートする勢いだった。
最近のトイレはお洒落で「流すボタン」が見つけにくいものもある。
母も戸惑うかもしれない。
私は根が優しいもんだから、彼女に付き添ってトイレに行く。
そして「来たついでに」と、自分も用を足す。
知らず知らず母のリズムが体に沁みついていった。
母が帰ってからも本来の自分のペースを取り戻せない。
私はしょっちゅうトイレに行くようになっていた。
下手すると、5分もしないうちに行きたくなる。
え?さっき行ったばっかりなのに?
「トイレ」という単語が頭に浮かぶともうダメ。行かないと気が済まない。
母もとんでもない置き土産を残して行ってくれたものだ。
こんなお土産いらなーーーーい!!![]()
冷静に考えると、私よりずっとお出かけをしている母。
あちこちに出かけて各地でトイレスタンプラリーを繰り広げているに違いない。
私よりよほどトイレ体験も多いはず。
実際、遊びに来ていた間、どこに「流すボタン」があるか戸惑ったことはなかった。
むしろ私の方が「どこーー?」「ったく、お洒落ばっかり優先してさぁ。表示がわかりにくいなんて本末転倒じゃん」とブツブツ言ってたくらいだ。
小さな親切、自分の首絞める……余計なことはするもんじゃないわね。
まさかこんなことになるなんて。
会社に行って、同い年の同僚に話してみた。
「ええ―――っっ? 今までなんともなかったのーーー?
」
彼女はとっくに頻尿だった。
いつも私の先を行く彼女だけど、この分野までもか。
彼女は、最初の頃は家族にその頻尿っぷりを呆れられていたけど、今では「ママのデフォルト」と認識してくれて、もう誰も何も言わないそうだ。
「ホント困るんだよねー。『国宝』を観に行きたいけど、長いからさあ」
※ちょうど『国宝』が公開され、話題になり始めた頃だった。
ああ、映画!
映画館で観賞しているとき、「なんで今?」というクライマックスのシーンで席を立つ人がいる。
そうか、膀胱がクライマックスだったんだ……。
「新しい『ミッションインポッシブル』も観たいけど、あれはもっと長いんだよね」
『国宝』178分。
『ミッションインポッシブル』210分…。
長い、長すぎる、十万石まんじゅう(埼玉の人しかわからないギャグ)
何て長いんだ……途中で休憩入れてくれ。
どうやら頻尿は、行きたいだけ行くがいい、という単純な話ではなさそうだ。
こんなふうに生活を制限される場面も出てくるらしい……。
なんでこうなったんだ?以前の私は、長持ちタイプだった。
過去と比べるのは比較三原則(「他人」「過去の自分」「親」と比較しない byみうらじゅん)に反するけど、この激変ぶり、比較してしまわずにいられない。
とにかくどう考えても母からの影響だ。あそこが分岐点なのは間違いない。
病院で調べたわけではないけれど、膀胱に異常があるとは考えにくい。
それじゃあ、なんで頻尿に?
私は、ハッとした。
これは脳の誤作動だ。
そんなに膀胱にたまっていないのに、脳が「トイレに行け」と信号を送っている。
長く続いた慢性痛のときと同じ構図だ。
器質的異常はないのに痛みが出る。脳が壊れた火災報知器のようにずっとアラートを出し続ける。
問題は脳にある。脳の回路を書き換えれば頻尿を改善できるかもしれない![]()
私は早速、認知行動療法を使った頻尿改善プロジェクトを始めることにした。
調べると「膀胱トレーニング」というものがあると知った。
「トイレに行きたいな」と思ってもすぐには行かないで我慢する。
最初はまず5分、次は10分と徐々に時間を伸ばしていく。そうやって、成功体験を重ねていくのだそうだ。
ふぅん。5分、10分ねぇ……。
でも。
そんなチマチマやってられない!!
そう思った私は、アドバイスを無視していきなり「2時間」持たせることを目標にした。
幸い今はテレワークだ。ギリギリまで我慢してもなんとかなる。
マジで漏らす5秒前。そこまでは頑張ってみよう!
5秒あればトイレに駆け込める。怖いことを乗り越えるには、その怖いことをやるのが一番。(危険な賭け)
そして、痛みの時にどうやったかを振り返り、それを踏襲することにした。
あのときにやったことと言えば……
1. 痛み以外に意識を向ける→脳を忙しくする
痛いときに痛みのことを考えていると、余計痛くなる。
それは脳の回路が強化されるからだ。
その仕組みを知った私は、脳を痛み以外のことで忙しくするようにした。
動画を見る。誰かと話す等々…なんでもいい、痛みとは別のことを考えるように仕向ける。
今の私は、「トイレ」と頭に浮かぶと、トイレに行きたくてしょうがない状態になっている。
脳のトイレ回路がぶっとくなっているんだ。
なので、トイレから意識を遠ざけるように、「まずはこの仕事を片づけてから」と決めるなどして、
トイレから意識を逸らすように仕向けた。
(だからプロジェクト期間中は、すんごく仕事が捗った。普段手を抜いているとも言えるが)
仕事以外のときは、手芸、そろばん、掃除など、なるべく手を動かすようにした。
スマホや読書も意識を逸らすことはできるけど、ふとした瞬間に意識の向きが変わって、トイレ方向に行ってしまう。
脳が「トイレ行かない?」とささやいてくる。
でも、手を動かしていると脳が忙しくて、そんな誘惑が入り込む余地がない。「脳をだますなら、まず手から」らしい。
2.受け入れる、排除しようとしない→解釈を変える
痛みの時、痛みを受け入れると決めてから改善した。
だから、尿意も排除しようとせず「いていいんだよ」「せっかくだから、そんなもっとゆっくりしていきなよー」と共存するようにした。
すぐに追い出さなくていい。遊んで行ってもらうくらいのゆとりを持った気持ちで、自分の体に留まることを認めるようにした。
私はマジで漏らす5秒前まではOKだよ。のんびりして行って。と、頻尿?膀胱? とにかくその辺りに語り掛けた。
そうこうしているうちに、トイレの間隔は徐々に開くようになっていった。
マジで漏らす5秒前になるほど、切迫した状況になることもなかった。セーフ!!
前は頻尿やトイレのことが頭の片隅にいつもあったが、今ではほとんど考えなくなった。
脳の回路が書き換わって、誤作動が収まったんだと思う。
認知行動療法って、ほんとすごい!![]()
なんて万能なんだろう。まさか頻尿にまで使えるなんて。
もし認知行動療法を知らなかったら、病院で無駄な検査を受け、無駄な薬を出され、最後には何かの呪いをかけられていたかもしれない。
「年を取るともっと頻尿がひどくなりますよ」
「夜中に何回もトイレに行くようになりますよ」
「体を冷やさないように」
「水分は取り過ぎないように」
「綿のパンツを履くように」とかなんとか。
ネットで頻尿のことを調べると、決まって「まずは病院へ」と書いてある。膀胱トレーニングのやり方も載っているけど、中には時間・量・色まで記録しろと勧めているものも。そこまでやる意味ある?![]()
でも中には真面目に実行する人もいるだろう。
そんなことしたら余計に脳がトイレのことばかり考えて誤作動が加速するかもしれないのに。
幸い私は、脳の仕組みを学んだおかげで、自分で判断し、自分用にアレンジした認知行動療法を実行できた。
これからも、何か体に不調が出たときに、真っ先に「病院!」ではなく、「これは脳の誤作動では?」と疑える視点があるのは大きい。
心の不調だって、突き詰めれば同じ構図。脳の誤作動を、書き換えていけばいい。
認知行動療法で、たいていのことは何とかなるかも——そう思うと、前途洋々だ。
そして、このプロジェクトには素晴らしいおまけがついてきた。
トイレが楽園
だということに気づかせてくれたのだ。
頻繁に気安く行っていた頃は何も感じなかったけれど、ある程度時間を置いてから行くようになると、トイレの価値が格段に上がった。
一球入魂というか、一回入魂のトイレは本当〜に気持ちがいい。
足湯に浸かっているような心地良さ。
ため息が出るほどうっとりすることさえある。
恍惚と至福の時間。ああ、私のパラダイス。こんな身近で、安上がりな幸せってある?
そんな身近な幸せに気づかせてくれた頻尿さん、ありがとう。
こうして頻尿も治り、頻尿改善プロジェクトは無事終了しました。
もう母が遊びに来ても、お土産は受け取り拒否します!
そうか、母こそ認知行動療法を……いや、あの人は絶対聞かないだろうなぁ~。

























