誰かの歌のタイトルにこんなのあったな。

まぁいいや。


私は演劇をする事にドクターストップがかかっているけれど、その演劇の他にもひとつドクターストップがかかっているものがある。


ほんと、いやんなっちゃうわ。


ストップかけられているから尚更したくなる。

許可もらったって、直ぐにできるもんじゃないし。


なので今では自分に都合のいい妄想が大爆発


もしこれから、誰かに出会って恋愛するような事があったら、妄想と現実の区別がつくかわからないくらい妄想が大きくなってる。


因みに私は四十を超えた。
乙女にもほどがある。

子どもも二人もいるから、そんな生易しい妄想じゃあない。


「妄想は中毒性があるから気をつけて」と友人に言われたけれど、もう遅い、私はいつも脳内で誰かに愛されてる。


解離性障害の事を精神科医に「狂気的な事」と言われ、なので私は一度狂ってしまったから、これからもとに戻らないように演劇みたいな刺激はしばらく避けなきゃならない。

妄想でも全身の毛が「ぞわわ」と逆立つくらいだから、リアルに恋愛なんてしたら、神や霊が出てきちゃう。


もう自分の変人さには気付いて「変人は遺伝する」って言っては、娘と互いに変態自慢する位だし、もう神や霊は自分自身だってわかるんだけど。


でもいつか誰かに


「君はクレイジーなんかじゃないよ。それに君から神や霊が出てきたら、僕が守ってやる」


なーんて言われたら、きっといつ死んでもいいと思ってしまうわ。

その彼にはあんな事やこんな事、いろんな事してあげちゃうよ。


ふぅ。。。




恋がしたい恋がしたい恋がしたい
思い通りに行くのは自分の想像だけ

恋がしたい恋がしたい恋がしたい
いつか誰かの腕に抱かれて、眠る日が来るのかしら


恋がしたい恋がしたい恋がしたい




iPhoneからの投稿
人生ってやっぱりすごろくみたいだな。。。と最近になってしみじみ思うのです。


すごろくは結婚した時にゴールだと思っていたけれど、結婚した途端に新しいすごろくを自分の前に、うわーっと敷かれた感じで、離婚したら振り出しに戻った感じで、病気休養中はサイコロ振っても振っても「一回休み」しか出ない感じで、仕事復帰したら5コマくらい進んだ感じで。。。。


ふぅ。


いっつもいっつもサイコロを振って、行きたい所にはなかなか行けないもどかしさを感じては、へこんでみたりもがいてみたり。


だから最近私は自分からサイコロを振らないようにしてるのよね。


そうしたら、気がつけば周りがサイコロを振っているのに気付く。


誰かのサイコロを振るのに協力すれば、自分のコマを進めることが出来るんだなぁと言うことに気付いた。



娘と別れて暮らして数ヶ月。

娘の頑張りのおかげで、一緒に暮らすことが出来るようになった。


私のふたつの宝
ひとつ手元に戻った。

もう娘たちが愛おしくてたまらない。


他愛ないやりとり
他愛ない言葉

どれを取っても大切なことなんだと、気付かされた数ヶ月間


私の人生すごろくってまっすぐじゃないのねー。
自分、仕事、母親、オンナ、どれをとってもぐねぐね、ぐるぐるしてるわ。


でも


娘の振ったサイコロのおかげでひとつ前に進んだ。


さて、今度は娘とすごろくを楽しもう。



iPhoneからの投稿
2年前から趣味で始めた即興演劇


インプロって言うんだけど、世間では馴染みのない言葉なので即興演劇



いまドクターストップがかかって長期お休み中



普通なら辞めていると思うけど、いつか絶対復帰して「ちょいと趣味を極めるひと」になりたい



つーか



こりて無いんだろうな。きっと



診断書によると、解離性の症状は演劇によるものらしい



内側から聞こえる自分の意志に反した「声」か
内側からわき出る自分の意志に反した「種」か



どちらも演劇のせいらしい



自分の何かをつかみたくてたくさんの演劇のワークショップを受けた

役者志望の人や演出家志望の人に混じって



インプロはタマネギの皮を一枚一枚はがすように、自分をゆっくりはがして行くとか

でもってリスクに飛び込んでいく


思えば


一枚一枚はがすと言うより、脱ぎ捨てていってたわ
そして丸裸で崖に飛び込んだ



はだかになればすっきりする



あまりにもむき出しになってしまったので「いやいや、それは脱ぎ過ぎよ」と医者から止められているような感じかしら



自分ではそんな意識は全く無い
というより「もっと脱げるはずだ」とも思っている




自分をはがす


自分にあるいろいろな感情の層を、ゆっくりきちんとはがしていかないと演劇は危険



でもあの裸になった感じはやめられない
相手の裸もまたおもしろい



最近出来なくて苦しいから前に書いたようなことまた書いちゃった




いまぐっとこらえて
即興演劇はまだまだ



でもあきらめない
自分らしく生きること
自分の人生でやっぱり自分が主役


その中で誰かのために生きてみたり
何かに挑戦してみたり


そういったことを繰り返して生きて行くんだなぁ。


私も子育てに奮闘してた時期あったわー



なんて



最近は社会復帰への山を登るために、よいしょよいしょと登っている



医者の言うとおりに



朝当然ながらきちんと起きて
夜は11時までには布団に入る


とにかく医者の言うとおりに過ごし、夜11時に布団に入るためにはどういう生活をすれば良いのかだけを考えている



診察の時にはよく眠れているか見られていると思い、毎日パックをしてお肌の調子を整えているので早く眠るのも手伝って、お肌はツヤツヤだ


自分に刺激を与えないように穏やかに穏やかに過ごす


私の主治医は私にとって嫌なことをはっきりいうので、診察の度にある種の「名言」を吐く



だからいまの最高の刺激は、主治医の言葉なのよね



以前から記事に書いているけれど、白衣からつきだした悪魔の矢印のしっぽをくねくねさせて厳しいことを言ったり、時には優しく微笑んでみたり



「そうよ、社会に出ればもっともっと厳しい言葉があるのよ」


そう思いながらも自分の本質をグリグリとえぐられるような厳しい言葉に


最近では若干「じーん」と気持ちが良くなるのを感じている

だから肌ツヤが良くなるのか?
だからきちんと医者の言うとおりに生活してるのか?



「じーん」効果で社会復帰への道もしっかり歩けそう


何かに挑戦したり
誰かのために生きることは


今はお休み


自分のためにゆっくり時間を取ろう



年頃になった娘たちに起こされるまで






娘と別々に暮らすようになって時折聞く娘のセリフ



「いいんじゃん、別に。」



その投げやりな言い方と表情を見ると


「良くないでしょっ!!!」と言いたくなるけれど、彼女もいろんな事を飲み込んでやっと出した言葉だと思うと



「わかった」



しか言えないのだ



一旦物事を飲み込める娘を見ると、私より娘の方が賢くて、大人かもしれない




ある書類を取り寄せるために、「声」が出てから今までの経緯の診断書を受け取った




解離性の内言語の症状
夫に攻撃的
内言語が優勢となる→元気をだして、優しい気持ち、離婚して




・・・・・


笑った
冷静になって読むと、悪いことはひとつも言っていない




今でも忘れない



「明るく前向きに生きないと呪い殺されるぞ」



そう言って、獣のような声を出したりして離婚したっけ




何度も何度も思い出しては



はて不思議



と思う日々だった




診断書を見て、冷静になってる自分を感じて、まだまだたくさんの事にこだわってる自分がいる



まだまだ
まだまだ


病気や神や霊をまだ受け入れ切れてない




いま


自分を変える
自分が変わる
大きいチャンスなんだろうけれど


このチャンス


ぐいっと大きくわかりやすい事ではなく



ゆっくりゆっくり進んで、じわりじわりと変わっていくから



じっくりと自分を楽しんで行かなくては



診断書を見て笑ったのも、自分を受け入れたことのひとつなのかもしれない




娘のように

いろんな事を一旦飲み込んで

進んで行こう


でも娘よ、母はあきらめ切れない性分だと言うことを忘れないで




この歳になると、飲み込むものもたくさんだわ


たくさんの事にこだわっている自分


いいんじゃん、別に。