夏がやってきた。

自分の内側から「声」が聞こえて来たのは去年の夏。




とっさにピンと閃く事じゃなくて、思う事でも無くて、第三者が私に何かを語りかけてくる。

妄想じゃない。
妄想にしちゃ近すぎる。
でもそれが病気。

声が出る前のことは忘れもしないよ。



ある日眠っている時に、いきなり勝手に口からペラペラと言葉が出てきて、知らない言葉や、ぜんぜん思っていない言葉がたくさん出てきた。
呪文のような、何かを追い払うような言葉がたくさんたくさん。

その言葉のひとつに、ある宗教の悪魔払いをする預言者の名前が出てきていたと知ったのは「声」が出てから随分後の事。


呪文みたいな言葉の後、左足から玉のような塊みたいなものが、体の中に入ってくる感覚があって、その塊が左足から右手、右手から右足と言ったように、体の中を塊が動いて行く感覚があって、その塊が体中を動き回り、それが顔に行った途端、自分の表情がくしゃくしゃと自分の意志に反して動いて、その後ふーっと息を吹いた後に塊は消えた。



その日から、声のない人格が私の中に存在するようになった。
今まで「種」と書いて来たのはこのこと。


そして「憑依」があったのはその数日後。


声に振り回されて疲れて休んでいたら、今度は首が勝手に動き出し、手がすっと動きだし、胸のあたりをくーっと糸で引っ張られるような感じで上にあがったかと思うと、今度は糸が切れたようにすとんと体が落ちる。これが何度もあった。


今度は足が勝手に開いて、体の一部がずっと動いてる。


誰かといるような。
儀式みたいな。
一人じゃ絶対に出来ない事。


意識はちゃんとある。しっかりと。
金縛りにあったような感じ。


冷静な自分がちゃんといて、でも体が勝手に動く。
とても怖かった。
動きながらも、自分の欲求は無意識に体が動くほどそんなにでかいのか、と自分の欲求の大きさにも恐怖を感じた。



でもって、これは憑依のごく一部。



これは何度も記事に書いているけど、首や手を不自然に動かして、当時の夫に「前向きに生きないと呪うぞ」なんて、良い言葉なのか悪い言葉なのか訳が分からないこともあった。
これもまた、自分の意志じゃない。



全て病気の現象なんだけど、当時住んでいた家はラップ音がすごかったと言うことと、娘が家に一人でいるのに、男性の声で名前を呼ばれたと言われた事もあったりと、当時は霊を感じる材料は十分揃っていた。



今ではすっかり落ち着いて、もう「種」なんかないわよーと、ぼんやり空なんかを眺めていたりすると、自分の意志と反して、自分が空に向かってウィンクなんかしたりしてる。


痙攣なんかじゃない「種」の仕業だ。



儀式はともかくとして、この一件は先輩のシャーマンから言わせると、これは神さまの仕業で、ある道に入る前に今までの人間関係で不要なものの清算をさせられるんだとか。


憑依で不要なものは一切無くなり、この一件で「助けて」と言った人には逃げられたりもしたっけな。


今まで大事にしようと思っていたところがすっぽり抜けて、代わりに自分が思っている以上にたくさんの人に助けられてここまで来た。



神さまありがとう。
人を見る目がついたわ。
その分、私も大きく傷付いたけど。



夏が来る度にきっと思い出す。
霊や神さま。
お盆の時期でちょうど良いけど。



今度大きな「声」と「種」が来たら、こう呪文を唱えよう。
「みーんーなーわーたーしーよー」と。



だからそう


夏って緊張するのよね。

演劇やるときっと教わるんだろうね。


「サブテキスト」


私はちょっとしか演劇をしていないので、あまり詳しくわからないけれど、サブテキストってのは「言葉の裏側」で、例えば「あなたのこときらいっ」と言っても、その言葉の裏に「大好き」と言う感情が入っていたら、動きが変わってきたりや言葉に深みが出るとか。


言葉と思っていることとが違うってこと。
反対言葉じゃなくて。


そう言ったら、世の中はサブテキストだらけで、歳を取るとサブテキストが増えるような気がする。


私の言葉の裏側はいっぱいあるよ。



「がんばってね」


と言っても、心の中では「がんばれんのか、おい」と「がんばって欲しい」と「この人今日良い服着てるわ」と「今日の夕飯何すっかな」と「早く彼氏みつかんないかな」と「昨日娘とケンカした」


が「がんばってね」にぎゅっと詰まってる。

それはやり過ぎか。
間違ってるか。


誰かと話してて、どう思っているのか、感じているのか考えるけれど、今まで最高のサブテキストを感じたのは、洗面所に置いてあった一本の化粧水だろうか。もう言葉じゃないけど。


化粧水一本にすごい気迫を感じたよ。


「アタシ、つきあってんのよ」

とかとか。


当時彼には全く興味が無く、むしろその一年前に「ユー、モテちゃいなよ」と香水を彼にプレゼントしたので、願ったり叶ったりなんだけど。


それからやりたい放題の彼女と彼にはもう


「幸せに生きて欲しい」
「生きて生きて生き延びて欲しい」



ほんと。
もういいや。




「君は次にいい人が出来たときは、本当の感情をきちんと相手に出せるようにならないといけないよ」



と精神科の先生に言われたけれど、本当の感情を出すのって、特に好きになってしまった相手に出すのって難しくって、どうしても素直になれないから、相手を傷付けたりしてしまう。




自分や相手にとってどんな言葉をかけたらいいのかとか。
もっとわがままを聞いてもらいたいとか。
実は他に付き合っている女の人がいるんじゃないかとか。
忙しそうにしているけれど、身体大丈夫かしらとか。



ひとつひとつが邪魔をして、なんか上手く自分出せないのよね。


これからゆっくり自分を治していって、いつか素直になれる自分がいるといいな。


まずは胸の奥の恋のお相手に。
そのすこーし薄い頭に、いつか私の熱いクチビルをつけることが出来たら、どんなにすばらしいだろうか。
禿げてても好きになるようになるんだな。
私も歳取ったな。
ま、叶わないけど。



娘に「アンタとおかーさんと、どっちが早く彼が出来るか競争よ!」と言ったら、「それ絶対やめて、アタシほんとに彼がいなくて、マジやばいから」って言われた。


マジやばいのは、娘の日本語だ。
と思いながら笑っていたけれど、心の中では「おかーさんも相当やばいわよ」と思う私。


でも本気で争うとこなんざ、血は争えないわ。


日本語の使い方も親子ね。
母も相当間違えるわ。


自分を素直に出せて、相手を大事に思えるような出会いがあったら、きっと今よりもずっとずっと幸せに深みが増して行くんじゃないかしら。


娘よ、私はそう思うわ。


娘と夜遅くまで話し込む日々はまた幸せ。



今日もまた素直になれて、またとっても幸せな夜なのでした。
「演劇素質のある人がいきなり即興やったら危険だよ。あなたは自分が思っている以上に演劇をやってしまったんだよ」



医者からの言葉です。



「演劇素質がある」という言葉をググッとクローズアップして、都合良くその言葉だけを自分に残して、まだまだ続けてやろうと思っている私。


だから今、演劇お休み中。
毎週あるワタリーショップを出来る限り見学して、メモしてメモをみんなにお知らせ。
みんな喜んでくれる。
みんなが喜んでくれるなら、私も嬉しい。
いつか出来る日が来るのかしら?
この見学の日々が「宝」になる日はやってくるのかしら?

演劇素質があるのだから、いつか出来るわよきっと。
早く復帰するために、いまは大人しくしていなくちゃだわ。


とそんな中、マスクインプロの話を聞いて



気持ちが一瞬固まった。
今まで悩まされて来た「病気」の感覚そのものだ。

トランス状態かね。これは。
遠くから自分を見ている感じとか、よくわかる。


役者さんたちはそれを目指してるの?
それもやることのひとつなの?


「憑依」と「人格障害」で悩まされて来たけど、結局はまた「病気」を目指しているということなのかしら私は。


「憑依」の感覚はまだ残っている。
遠くからみている自分、声を出す別の自分、動きの指示を出す別の自分、声のない表情や身体を動かす別の自分


自分だけれど、自分じゃない感じ。



そう言えば「君の感情の器は壊れたんだよ」と先生に言われたけれど、その感じもよくわかる。
悲しくもないのに悲しい感情が、ぶわっと溢れたり、楽しくないのに笑ったり、自分の感情とはまた違う感情が溢れるときがある。


「憑依」の余韻みたいな。


自分の裏側の感情がふっと浮かび上がってくるような感じ。
時々ある幻聴もそんな感じ。


完璧にばかになってるのよ。
私の感情って。


ま、なってしまったものは仕方がないので、壊れてしまったら直すしかないんだけど。

感情の器の中に入っているいままでつけてきた私の仮面(ペルソナ)は、修復がきかないくらいバラバラに壊れてしまったような気がします。



私の仮面
今までどんな感じだったかしら?



作り直さなきゃだわ。


ついでに、いつかマスクインプロも出来る自分のペルソナも作っておこう。


また壊れない程度に。


「演劇素質」

いつか発揮するわよ。
「あーなたーの燃える手でー、わたしーを抱きしめてー、ただふーたりーだけーでー、いーきーてーいたーいのー」


・・・・・・


「愛の賛歌」です。
頭の中をくるくるまわっています。



もう恋をしたのか?
ん?もうしているのか?


先生から恋の許可をもらってから一週間。


「恋人でも作ったら?」の前にこんな言葉があったのを思い出した。


「心の奥で想うのもいいよ。誰かを応援したり、心配したりという行為も愛なんだよ」と。



いやいやいやいや。。。。せんせい。
それだったら、もうとっくにしてるわよ。


でもこの恋は距離が遠いので、撃っても届かないわ。
でもって今撃ったら、しょぼい銃口から旗が「ピー」と鳴って出てくる。


でも、最近少し気が大きくなっている私。
次に会ったら、その恋の相手に水鉄砲くらいは撃ってやろう。



先生の言う、愛するという行為も私は大人なので、応援する、心配する以外にもいっぱいあるわよ。


妄想が膨らみすぎて「愛の賛歌」から「愛のコリーダ」にならないようにしなくちゃだわ。


おばさんになるって相当よ。いろいろと。


まずはこの妄想の状況を乗り越えたら、これから終わることのない幸せのラリーがずっと続くのよ。生活って球を投げれば続くし、オトコって球を投げれば続くわ。きっと。


あと、今まで愛したオトコたちの事を並べて「私なんて・・」なんて事は絶対に思って無いから!





だから

しーっ


大丈夫大丈夫
ゆっくりゆっくり


まずはお母さんをちゃんとして。
ひとりで生きて行く準備をして。
生活や仕事に追われない毎日を過ごす。
一歩一歩進んだら、そこから毎日何かを発見できるような。


だから大丈夫
どんなことがあっても


今の優しい日々はこれからもずっと続くから大丈夫
即興集団ロクディムの渡猛さんのインプロワークショップ。


「経験ワタリーショップ」


夏と経験って言ったら、あれだね。
百恵ちゃんの歌だ。

「ちーいさなーむーねーの、おくーにしまあったーたいせつなー、ものをあげるわー」

と誰かに歌ったら、誰もがいらないって言うってゆーか、きっとドン引きだな。
きっと胸の奥には、自分が思いもつかなかったエロスが溢れてるよ。この歳だもの。

どちらかというと、辺見マリの経験の方がしっくりくるわね。



話がそれちゃった。


経験ワタリーショップが始まっても、ドクターストップがかかっているので、まだまだ見学。
今自分が出せるようになったからもっともっとやりたいと言う気持ちと、見てるだけでも面白いってと言う気持ちとが行ったり来たりしながら、指をくわえて見学。


だから去年に比べて、私はちょいとモチベーションが下がり気味。


でもって、演劇って宗教っぽい。
信仰する気持ちとか、考え方とか。


やっぱり「般若心経」は即興で教えていることが、ぎゅっと詰まってるよ。


何も考えずただそこにいるだけって、とっても難しくて、そうなるまでに色んな自分の何かをクリアしなくちゃなって思う。


自分、親、兄姉、子ども、家族、友達、その中の一番赦せなかった事を赦せるようになったら、生きてて楽なんだよね。


きっと演劇って技とかなんとかを磨いて「ほら、私ってステキでしょ」と演技してる人はステキでも何でもなくて、自分のどろどろぐちゃぐちゃべろんべろんしたものがうっかり出ても、「ああ、出ちゃった」って人の方がとっても魅力があるのよね。出したいって人は論外、私のような変態だ。


ま。自然体でいられる人って事か。
あるがままを受け入れる。


あるがままを受け入れて、相手を鼓舞する。
インプロは愛ですわよ。

経験ワタリーショップは愛とエロスに溢れてたさ。

参加メンバーみんなの魅力を発見しながらまだまだ見学。
いつか魅力を出せるといいな。


iPhoneからの投稿