よく言われます。



「普通はそう思いませんか」



この言葉、私もうっかり使ってしまうこともありますが嫌いです。


これは同意を求めるときに使う言葉です。
でもって主観だったりすることが多いです。

責任を負いたくないときに使う言葉にも思えます。

きっぱり「私はこう思います」と言われた方がきもちいい。



最近の世の中同意を求めるのに必死のような気がします。
フェイスブックやブログも、どう同意を求めてもらうかみなさん必死に見えてきます。


同意を得られることによって、繋がった感じがいいのでしょうか。
それは自分と繋がっていますか?


不快なものは不快。
でも不快な気持ちになったとしても、誰かを傷つける権利はありません。


精神病や精神世界のことは、実はあまり書きたくないです。
でも書きたいときには書く。

自分に囚われず自由に生きたいから。


私は特別で「普通」じゃないです。
凡人だけど、狂人でもあったりします。
私は特別だけど、関わる人全てはもっと特別です。


深い深い闇の中にぽっかり自分が浮いていて、それが浮き上がって本来の自分を映す。


繋がる自分
自分の中に溶け合ってるわたし
人と関わる私
距離感

自分のものさしは自分でしか測れないのよ。


今日はシンプルに。
答えは自分の中にあるから。




ぱくりました。


ある演劇団体の言葉をぱくりました。
訴えられるかな。

よっしゃ!こいっ!(腕まくり)


人生は即興芝居ですよ。ほんと。


私はどんな仕事についているかは、明かせないのですが。
私はいろんな人の話を聞く仕事をしています。

人の数だけそれぞれ考え方や思いや悩みがあります。
ほんとそれぞれです。
似たような考え方とかは多々あるけどね。


いや、人生って芝居なのか?と考えた時に、よーーーく考えたら、芝居なんですよ。

ナマな感情ぶつけたら終わりです。

じ・えんどです。

そこで「雨降って地固まる」は理想ですけどね。
大抵の場合は終わります。


生きる上で、みんなその場その場で仮面を被ります。
会社とか家とかね。

仮面はインプロで言う、キャラクターになりきると言うことでしょうかね。
キャラクターになりきり、相手との関係性を作る仮面を被ります。

そのために私は「こっちよりこの仮面被った方がいいんじゃない?」的なアドバイスすることもあります。言い方とか姿勢とね。けっこう難しい。これも即興です。

仮面を被りきれなくて、逃げてしまった人を追いかけることもします。(これは余談です)




様々な環境の中で、それに合わせた仮面を被ることの難しさったら。


インプロライフです。
表現するって難しい。


私が最近思うのは、役者さんとか役者志望の方のほうが仮面を被っていないことが多いです。


好きに生きてる。
ナマです。


でも舞台で演じる役とは関係無しの「こんな風に見られたい」という仮面を被っているように見えます。

そのわりに「マスク」好き。
自分の可能性を感じるのでしょうか。


偏見でしょうか。
かなり偏ってます。


批判しているつもりは無いし、良いとか悪いとかではないです。
ただそう思っただけ。


映画やドラマや舞台で、ベロッとナマな感情が垣間見えたとき。
私はたとえようもない、ぞくぞくっとした感情を感じるのです。



いつも仮面を被っているゆえに、そういったものにあこがれるのかもしれませんね。


でもパフォーマンスあげる時の仮面を剥がす時の難しさよ。自分らしくがテーマだからね。でもって、これがインプロをやる時のマインドだったりします。

私はペロッて出ちゃうけど。
被りきれてません。



はー
つかれたつかれた。
ここからは愚痴ですが、こんなになってから医者や上司に「人の話を聞き過ぎるな」と言われていたので基本右から左。なのでうっかりはちべい多数。へこみちうです。



神に感謝を。
祈りをこめて。
新しいわが土地に、踏み込む何かを歓迎せよ。


なんのことやら。
やっぱ病気か、あーめんか。

昼はラーメンにしよう。

思ったんだけど。
演劇では仮面のこと「マスク」って言うけど、生きる上では「マスク」じゃなくて「ペルソナ」ですね。精神学では「ペルソナ」って言うしね。演劇の「マスク」は全く別物です。ちゃんと調べて無いけど(超余談)

で行ったら、今回は「ペルソナ」だわね。
人生という名の舞台で演じましょう。リアルに。自分を生かして。ナマは小出しで、限られた人に。

そうしたら、人生に感動が産まれるはず。
たぶんきっと。

自分の引き出しを作るために、そして豊富な仮面を持つために、様々な経験をしよう!

人生は即興芝居です。
みんなみんな表現者です。
そのへんの役者さんより、演技上手いですよ。
周りが営業さんばかりだからでしょうか。
失敗もしますが恐れずに、相手のためにお客さんのために鼓舞してます。

偏った意見ですが。
今日もただただ、思ったことを書いてみました。

今日は金曜日!
がんばろー!
心がけていること。


いつも幸せを感じること。


誰かにこう見られたいとかああ見られたいとか、そんなこんな思った瞬間、自分の幸せは逃げていくものなのよ。


自分を過大評価しない。
だから自分にがっかりしない。
いいわけしない。


自然を感じることによって、周りがクリアに見えてくる。
小さなこと全てを、自分に取り込んでいく。
自分も相手も。すべて。



まずお腹から声を出して(丹田にチカラをいれよう!)


「おはようございます」「ありがとう」「こんにちは」「お疲れさまでした」と言う。


気持ち良く過ごしたかったら、自分から笑顔になり感じ良く話す。


そうしたら周りが変わってきて、幸せで満ち足りた日々を過ごせると思うわよ。


自分にも誰にも勝とうと思わない。



これ以上書くと愚痴になるので、やめときますー。


最近体調が悪かったのもあるけど、いいかげんに仕事し過ぎて、いまぱっつぱつなのでしたー。
そろそろやらねば。


疲れ果てて、言葉が降りてこないっ!
がんばるぞーい!



最近アップが多いせいか、アクセス数が多くなりました。

気のせいでしょうか。
精神病と精神世界の事を書くとアクセス数が多いような気がします。

そればっか、書いてるしね。
日々のことなんて書けないもの。

ここで書いてると、自分のことに囚われているような気もしてきました。

これはあまり良くない状態です。

ただ誰の意見も求めず、ただただ書くのは私にとってはいい自分整理になっているようにも思えます。

最近なってから読んでくれている方に、今まで散々書いてきましたが、あえて伝えたいことがあります。


タイトルの「ゆきおのこと」ですが、ここでのブログの名前でもあり、私の中に住んでいる霊の名前です。

ここではあえて「人格」とは書きません。

今回はちょっと現実とは離れた目線で書きます。

ゆきおちゃんは私の中に一番最初からいる霊で、約4年前に名乗って出てきてから、ずっと私の中にいます。

あと女性の霊もいます。
この霊は名乗らないので、わかりません。

あと書くときと人にメッセージを伝えるときは別な霊です。

声のない動きの霊もいます。


霊が降りた当初は「狐に憑かれた」と思われたこともあり、狐に憑かれると部屋が荒れてだらしがなくなるようです。

私も散々聞かれました。
「部屋、散らかってない?」と。

その一方で精神科医からは「この病気はだらしがなくなるよ。気をつけて」と言われました。


不思議な事にこれも一致します。


私は部屋が汚くなることもありませんでしたし、生活習慣が乱れるということはありませんでした。

霊たちの言葉はむしろ逆で「姿勢をよくしろ」とか「よく噛んで食べろ」とか生活や習慣を正す言葉でした。


ゆきおと女性の霊は、私を何かに導こうとしているような気もしますが、そっちに行くつもりは無いので、私の中で抵抗します。なので最近では諦めたのか、何かあれば「大丈夫」と言われたり「がんばれ」「愛してる」しか言わなくなりました。


約4年前に様々な事が起こりましたが、そのひとつに、これからの予言みたいな事を言われたことがあります。たしかこれはゆきおちゃんだったはず。メモに残していないのでうる覚えなのですが、その後予言の通りに事が進んでいる事に気付いたのは、ずっと後のこと。

最終的に最後の予言までたどり着くかはわかりませんが、私がそうしてるのではなく、ただ予言通り事が動いているのです。

私が思うのは予言はあくまでも自分の内側の事であり、きっとね。きっと、「こうなる!」と思った時から、自分はそうなるように動きそれが周りに働きかけ、そこで周りが動いて行ったんじゃないかと、根拠のない予言と現実を結びつけるために必死で考えたりします。


霊が降りた時、自分と自分が引っ張りあって、別の人格を作ってしまったという事も考えられますが、ただ小さい頃私は実在しない誰かと話していた記憶もあるので、小さい頃話していたのは、ゆきおちゃんだったのではないかと思っています。

実際に思い出す前は、よく「小さい頃を思い出して」と何度も何度もゆきおちゃんたちに言われました。


ゆきおちゃんのこと

私の中に住んでいます。
今でも心の中で「ゆきおちゃーん」って呼ぶと「なんだい?」って返ってきます。

ゆきおちゃん曰く、いまは出ちゃいけない時期なんだとか 笑

小さな頃も今でも、ゆきおちゃんと会話する自分は変わりません。

ゆきおちゃんを愛することは、自分を愛する事に繋がっています。

今もこれからも。



「海外旅行でもらう木彫りの人形って、あまり良くないんだってよ」

とハタチそこそこの頃、叔母に言われて何が良くないのかわからず「ふーん」と何気なく聞いていたその直後に「おみやげ~」と当時の職場の上司から頂いた木彫りの人形。


若い頃の当時のインテリアにも合わないし叔母の言葉もあったので、あまりよろしくない状態で頂いた木彫りの人形。


これをもらってから20数年の付き合いになりますが・・・・
場所を選んで置かないと、悪いことが立て続けに起こります。



まずもらってから気が乗らなかった私は、当時住んでいた玄関の収納のわきに置きました。


特に何もなく過ごしました。


その後、部屋をアジアっぽくしたので、この人形を私の部屋に置きました。


そうしたら当時付き合っていた彼の浮気がひどくなり、もともとあったDVが悪化。かなりひどい暴力にもあい(当時の傷跡は今でも残ってる)かなりズタボロになった記憶があります。


ズタボロになった私は、環境や色々な事を変えようと部屋を模様替え。
木彫りの人形は、また玄関に置きました。

すると一変、いろいろな人から声がかかり「オトコは彼だけじゃないわ」と思うようになり、彼と別れることを決意。そのまま転がるように環境が変わりました。


しばらくして他の人と結婚。
玄関はアジアンテイストだったので、基本人形は玄関に置いていました。

結婚しているときも、この人形を部屋に置くと、ママ友といざこざがあったり社宅のトラブルに巻き込まれたりしていました。


「この人形を玄関に置かないと悪いことが起こる」と思い始めたのは、その頃くらいからでした。


結婚して数年経ちマンションを買って、玄関に何も置けなくなったので、この人形はしばらくクローゼットの中に入れていました。


特に何も起こりませんでした。


マンションに住んでから数年経って、観葉植物が生い茂ってきて「はっ!これは観葉植物に合うかも」と思い、思い切ってリビングに置いたのです。


それからまあ、あるわあるわ。
互いに始めた趣味のせいで、今まで以上のすれ違いが起こり、当時の夫は夜帰って来なくなりました。浮気をしていました。
このブログでも書いているとおり離婚しました。
(散々書いてるゆえ、病気などは省略します)


やっぱりなぁ。と思い、私はこの人形を持って、家を出て今までがあるのですが、家を出てからずっと玄関に置いています。



今だから言うけれど。。。

当時元夫に嫌気がさしていた私は、願いを込めてリビングにわざと人形を置きました。
なにか起こらないかなぁと思って。


離婚してからやっぱり怖いので、然るべき寺へおさめようかと思ったのですが、ただこの20数年私を見ていたこの人形を手放す事が出来ないのです。

きっと人形は私の見送りをしたいんだと思っています。
「いってらっしゃい」「おかえり」と。



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魂が入ってます。きっと。