今日は「前世を観て欲しい」という方がまた現れたので、会ってきました。


ありがたいです。
勉強になります。


今日の方は「前世含めトータルで観て欲しい」との事でしたので、お茶とケーキをご馳走して頂きました。


豪華なアップルパイとバナナパイ。
美味しゅうございました。


ありがとうございます。


もともと私には普段から「声」のクライアントもいるため、公平にさせていただきました。


前世のモデルもして頂いたなか、ご馳走頂き、ありがとうございます。


今日の方とは、がっつりお話を伺いました。


プライベートな事もあるため、出た言葉も写真は控えます。


今日の方含め、その人それぞれのお悩みを聞いて、感じたことは


「自分を信じて、克服する」



という事が多いかと思います。


どんな場であれ、どんな状況であれ。



これは私にも言えます。


今日の霊の「声」は一丸となっていました。
迷う事なく。
なので、いつもストレートですが、今日は更にストレートに出させていただきました。


「なんのこっちゃ」という、前世も出たなか「聞けてよかった。このまま進むことができます」と言う声も頂けて、本当にこちらこそありがとうです。


困難や自分の壁にぶつかった時


何かでごまかそうとしないで、まっすぐに自分を見つめる「チカラ」が大きく大きく必要になってきます。


自分を克服するチカラ



大事なんだなーと、今日は思いました。


神さま
今日の方にあなたの力を。






私は祟られてます。
きっぱりと言います。
祟られてます。





久しぶりの出勤。
電話のコール音。
人々の会話。
たくさんのメール。

いやもう、久しぶり。


ついつい先日、会社の人と電話でやりとりしていて、私を含め家族が病に伏してることを言うと、今までの経緯もあったせいか


「呪われてるんじゃないですか?お祓いした方がいいですよ」


と言われました。



そう言われて、はっ!と気付く私。



実はワタクシ、以前にもブログで書きましたが、父方の先祖は祟られてるんです。



はい。



父方の先祖、三、四代前位の方がですね。



ご神木を切ってるんです!


父の話によると(嘘か本当か知りませんが)



七代祟られると言ってます!!!



私の泥沼離婚や前の夫のオンナ問題などを聞くと必ず父は



「ご神木の祟りだ!」



と言います。



父は本気で言ってますが、私から見たらもうこれはおもしろネタでしか無く、父が言う度に笑ってしまいます。


最近では父に言わせたくて、不幸ネタはないか探すほど。



そうは言っても、割と父方の先祖には因縁を感じます。

私の父と母は事情があり、一度離婚をして復縁をしています。
その間、私は姓を母方の姓に変えそのまま結婚。私が離婚した際に一度母の姓を名乗ることになりましたが、父と母は結婚しているので、私が母の姓を名乗る意味が無く父の姓にしました。

それだけじゃなく、娘たちももう結構いい歳で普通は「姓を変えたくない」と言い出す年頃ですが、二人とも満場一致で私の姓を名乗ることに。


実は母方の姓に戻ったときに「声」によって、「父方の姓を名乗れ!!!」と何度も何度も言われました。

この言われる感覚が怖くて、役所や裁判所やあちらこちらに行って事情を説明し、今の姓になった訳です。


この後から不思議な事が起こります。


全く連絡を取っていない従姉妹から、姓が変わった途端に連絡があり、事情を話したら「会おう」と言うことになり、そしてしばらく従姉妹の世話になることに。


彼女は「声」を信じ切って、今までの父方のこじれた関係(かなりこじれて疎遠だった)がなぜこじれたかわかったような気がすると言いだし、今まで葬式以外会って無くて法事もままならなかったからと、彼女は親戚一同を寺に招集。


親戚一同集まる。



お坊さんがお経を読み、みんながお線香をあげていく。


私の番になった途端、解離症状が始まり親戚一同騒然。
娘の変わり果てた姿に母は号泣。


従姉妹が「言葉を出してあげて!」と言ってから、ひとりひとりに「声」を出す。


親戚一同泣き出す始末。
ひとりひとりに「声」を出した後、私は正気に戻る。


お坊さんのありがたい言葉も、お坊さん動揺を隠せないまま
「みんなが久しぶりに集まって、ご先祖様達もよろこんでいます」と。



私の叔父はかなり現実主義で「スピリチュアルも病気も知らないけど、あの言葉はおばあちゃんだったな」と言ってたわ。



一番???だったのは私で、かなり混乱していた記憶があります。



久しぶりに親戚一同会って、「なつかしいねー」と言いながら昔話をしてみんなでわいわい。
少しわだかまりが解けたような気がしました。



でも長年こじれている親戚なので、この一件から仲良くやってるとは言えないけれど、こじれる元凶は私の父。



私の父が祟りそのものと言ってもおかしくはない。



元大工で頑固職人。酒乱。
御年77歳。
まだまだ現役。
沸点は低く、怒ったら手がつけられない。
かなりかなり怖い。
子どもの頃は怖かったけど、今は慣れて問題が起こったら、父を怒らせ相手方にそっと父を差し出しています。


今では歳を取ってかなり大人しくなり、いつしか覚えた短歌を勉強して、短歌の本で賞を取る度に喜んで連絡してきます。


以前、ケンカ口調で言って来たから逆ギレしてやったら、大人しくなった。


父よ。
大人になったな。


父よ。
先祖の祟り、しかと受け継いでますよ。


昔起こした父の罪は家族全員の罪で、子どもの頃から私も背負ってます。


わすれません。


でも乗り越えることが、私たちの課題でもあると思うのよね。
(もうね、魂レベルで)


娘たちも仲間入り。
実は本音を言うとそれだけは外したかったんだけどね。



魂レベルの乗り越えられるだけの「祟り」。
今までもこれからも、子孫も含めて受け継ぎます。



これ逃げられないんだよね。
父の姓を名乗ることでなおさら。



ご神木の祟り、怖いです。



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供物/生贄(植物のカヴァ)

カードのチャント(祈り)は「惜しげなく与えなさい」



今日から出勤のはずですが、朝から用意していたところに娘がいきなり「熱が出すぎてつらい」と言い出してきました。

病院で点滴を勧めるも「混んでて待つのがつらい」と言うので、熱冷ましを飲まし様子を見てから、下がらなかったら、今度は病院に行くことを約束していま休ませてます。

娘はもう大きいので、放っておけば勝手に治る年ですが、専業主婦を辞め入社してからずっと娘たち当時小学生の頃は放置しすぎていたため、離婚して一度一人で家を出て娘たちと離れて暮らして以来、娘たちの大切さに気付き、一緒に住んでからの今は悔いのない子育てをするように心がけています。

その一方で、母の勘というのもあり娘に触れただけで、熱がどれくらいあるのか、どれくらいしんどいのかは長年母を務めて来たのもあり「やばいアンテナ」はいつも感度が良いです。

どんなに熱があっても、大丈夫なときは放っておいても大丈夫です。
ポイントをおさえてやらないと、私も何もできません。

昨日は大したことないと思っていたのですが、今日はさすがにアンテナがピンと立ちました。

でもこの数日間私の入院もあり、たまった仕事を片付けるべく、仕事にゆかねばなりません。
だって薬を飲んで寝てしまえば、私は用なしですから。
娘は何かあったときに、飲み物や食べ物を差し出すくらいです。
この何かあったときが非常に大事だったりします。

シングルマザーで稼がなければならない一方、母としての役割もあります。
私はまだ良い方でしょうか。
職場の理解があります。
無給ですが、会社携帯で仕事をする事もできます。
発作やなんやらでしばらくお休みしたときでも、信頼は少しでもつなぐことが出来ました。
でも今日も来月の給与明細が気になります。

不安を消すべく、お金がかからない自分占い「ククイ・ドロー」をまたやってみました。
今日のカードも考えさせられますね。

今日のカードの「植物のアヴァ」は、節のある茎とハート型の葉を持っている植物。
治療や宗教的な儀式に使われていて、神の体と結びつけられています。
生贄と供物に結びついている薬草です。

生贄はたいてい取引として扱われます。「望んだ結果をもたらして欲しい」など。
供物は無条件で行われます。神・先祖に感謝の気持ちを表すために差し出します。

このカードはこの生贄と供物の違いについて、考える事を意味します。

差し出したものが、見返りを求める「生贄」だとしたら。。。。
これは物ではなく、感情にも当てはまります。「ここまでしてあげたのに。。」などなど。

アヴァのカードが出ることによって、自分の行いが見返りを求めず気前よくアヴァを捧げる事で、惜しげもなく与える心地よさに改めて気付かされる事を意味するカードです。


惜しみなく無条件に、娘に愛を捧げなさいと言うことなのかもしれませんね。
娘たちは無条件に産まれた頃から、私を愛してくれました。

発作もほぼ無くなり、演劇停止も解除になり仕事も任される事が多くなってきたなか、私はそろそろ走り出す時期なのかもしれません。

その前に一歩立ち止まって、自分の身体や娘たちに無条件で感謝の気持ちを込めて、接しなければならないと思わせるカードでした。


がんばろう。




自分を深く愛するようになってから、許してやるようになった。

今でも彼に会いたくて、せつなくてたまらなくなる気持ちを。

もう愛してはいけないと、つよく言い聞かせるかわりに。



キム・マクミラン















深けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
今日は仕事は静養のためお休みなのよ。

「あれはなんだったのか」と思うくらい、元気になってきたので休まなくても良かったのかな。。と思うほど。

仕事のあれやこれやや、請求しそびれた立替の交通費や来月の給与明細が気になってしかたありません。


とほほ。


気を紛らわせるために先程から過去記事を読んでみるも、恥ずかしくて読み返せない。



いやあ、穴があったら入りたい。
でもやっぱ書きたいから出るわ。



昨日の東京はすごい雨。
我が家のにゃんこたちが「にゃんにゃの?!」と騒いでいたわ。
退院あけ、しばらく夜の雨をにゃんこたちと、ぼーっと見ておりました。


娘は変わらず熱が出ていて、まだ寝ています。
彼女は遊びすぎ。
ミカラデタサビ。


今日の記事はいつもに増してきっとつまらないと感じた私は、今日は久しぶりに無意識のままの言葉を自分向けに出してみたの。


過去記事に囚われて、44年間生きて来た事を振り返り、なんでこんなブログを書いているのか、自問自答していたときに表れた言葉。


今日の記事もまた、数日後に読んで恥ずかしくなるのかしら。


「新しい毎日を送るために、日々書いてみるが良い。書き記せ、書き紡げ、新しい言葉をだ。たくさんの生まれし心をあるがままに書き記し、書き紡げ。子どもにしか出来ない事はあるはずで書き記す事から始まるのだから」(一部)


とにかく「無意識」は書いて書いて書きまくれ!
と言っているように聞こえるのよね。


言葉を紡いだ先には何か待っているのかしら。
一度やったことあるけど、怖くてそこまで出来ないわ。


「神」に囚われることなく書く、言葉を紡ぐ感覚は私の中の何者かが動いている感じで、私にとってはすごい怖いこと。


一番怖いのは、書いててオチが全く見えないこと。
何が出てくるかわからん。


「神」の領域にまで達して書いてみたら、わりとなんてことないのが出てくるのかも。
だってどこをどう切っても、やはり「自分」で「わたし」なのだから。



でも新しい毎日を送るために、新しい事を毎日書いてみるわ。
過去に囚われても過去は変えられず、今から先の未来は変えられるのだから。


毎日の優しいあたりまえに感謝を。
紡いで行こう。