数日前にニュースになっていたミセスの「コロンブス」MV問題が日経の文化欄でも取り上げられていた。
新大陸を発見した英雄ではなく、原住民を侵略し植民地化のきっかけを作った人物だと評価が変わってきたコロンブス。
ミセスやスタッフの歴史認識の甘さが原因であることは間違いないが、大森本人が自分の言葉で即座に謝罪した姿勢は評価されていいと思う。
小難しい言い訳や理屈を並べたりせず、そんな政治家みたいな態度を取らなかったのは彼らが純粋に作品作りに向き合っているからだろう。
このニュースで思い出したのがこれ。
はるか半世紀も昔に連載されていた「荒野の少年イサム」。
黒人差別とか奴隷とか、主人公イサム自身がインディアンを母親に持つなど人種差別が生々しく描かれている。コロンブスが新大陸を発見していなかったらこの漫画もなかったんだなと思ってしまった。
文化欄、もう一つの記事がこちら。
一部では最も有名だろうと思われる便器。
ただ便器を置いただけなのにこれを作品としたデュシャン。
違和感や気持ち悪さ。記事にある通りとてもパンクな思想だ。
アートにはこういう乱暴な発想が時には必要だし、それが時代を切り開く。
際どいところを攻めなければ新しいものは生まれない。深く考え、正しくギリギリを攻めるのがよかろう。
なお、ミセスの大森は「差別的と捉えられることも予見していた」と言う。ギリギリを攻めたらデッドボールになったということか。
無邪気に差別発言を繰り返す反省なき老害たちより考えている。