武士道 | こちら東日本営業部

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アルファロメオとE30・M3とサッカーとビールとロックが好きなサラリーマンの自画自賛我田引水喜怒哀楽五里霧中罵詈雑言の迷走日記。

おそらく10数年ぶりの再読ですが、こんなものを引っ張り出して読んでいます。
新渡戸稲造「武士道」。
 

 

 
 
なにしろ文章が古いので(それでも現代訳にはなっていますが)、一読してすんなり入らないのは私の国語力の無さによるものです。
 
現代文は得意でしたが、古典はからっきしダメでした。というか古典の先生が嫌いだったので勉強しなかったのです。なにしろ現代文・古文・漢文すべて「ノートは横書き」というふざけた高校生でしたから。
そういえば共通テストの季節です。40年も昔に受験した共通一次試験。現代文だけは得意で満点でした(自慢しておく!)。
ただし、古典はダメダメでした…

 
さて、そんなわけで読み進めるのも骨が折れる一冊ですが、薄い本ではあるものの中身はとても濃いのです。






すがるべき宗教を持たない日本人が多いにも関わらず、脈々と続く秩序正しい生き方や謙譲の心は、武士道から来ているのかもしれませんし、それは武士に限らず庶民にも「仁」や「義」や「礼」といった心持ちとして長く受け継がれたものでしょう。
 
初めて昭和天皇に会ったマッカーサーが「(天皇が)命乞いをするものだ」と思っていたのに対し、「自分の命はどうなっても構わないから国民の命は助けてほしい」と絞首刑をも覚悟した言葉に驚き、天皇に対する態度を改めたという話があります。そして天皇は国民のための食糧支援を強く訴えたのだと記録されています。
今の政治家たちには考えられないことですが、少し(数十年前まで)上の立つ人物には「腹を切る覚悟」があったのだと思います。
庶民にそこまでの覚悟はなくとも「お天道様が見ている」という意識は誰しもが持っていたでしょうし、恥を知るという意識もあるはずです。
 
自分達こそが世界の中心であると考えていた欧州の人々にとっては「騎士道」と並ぶ「武士道」というものは驚愕だったかもしれません。
この話、これからも深掘りしていこうと思います。