7月1日(月)は店休日、2日(火)〜のオススメはオールドボトル‼︎ | BAR white L(ホワイトエル)のブログ

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天神橋最南端のBARです。
「身近で温かいオーセンティック」
をコンセプトに下町のbar文化を発信していく所存です。
心地良く背筋を伸ばし、限りなく心に寄り添う。
white Lはそんなお店でありたい。

BAR white L
ほぼ無休 18時〜4時
大阪市北区天神橋1-10-9 2F

7月から当店は再び店休日を設けながらの営業となります。新スタッフが決まり、一通り仕事を覚えて貰う迄は月曜(祝祭日又はその前日は営業)を中心にお休み頂きますので宜しくお願い致します。
今回は社員と並行してアルバイトさんも募集!
週末出勤出来る方に限りますが、ご興味あれば是非御一報下さい。
今出来る事を今出来る限り。仕事もプライベートも立ち止まる気はない。来週は沖縄、鈴木です。

明日7月1日(月)は店休日を頂きます。
次スタッフが決まる迄は暫く月曜日(祝・祭日又はその前日を除く)を中心にお休みする事になりますので、宜しくお願い致します。

そんな訳で2日(火)〜の週のオススメを御紹介‼︎

毎月第1週は「オールドボトルの週」!
コツコツ集めたオールドボトル(1980年代以前に流通した洋酒達)から一本、お値打ち価格で御提供する当店伝統企画です。

今回はリキュール!
かなりレアな物を開栓しましたよ!



ニッカウヰスキー・余市蒸留所 クレーム・ド・カカオ 1980年代以前流通品
¥1200/shot

『日本のウイスキーの父』、竹鶴政孝。
サントリー山崎蒸溜所を立ち上げ初代蒸溜所長を勤めた後に独立。1934年、北海道・余市でウイスキー蒸溜所を設立し後の「ニッカウヰスキー」を創業しました。
今日のジャパニーズウイスキーの礎は竹鶴政孝とサントリー創業者・鳥井信治郎である事は間違いありません。
しかし余り知られてはいませんが、両者共にリキュールも手掛けていました(サントリーは現在も)。
つまりこの国の『洋酒』全体の担い手だった訳です。
特にニッカは余市蒸溜所内でリキュール造りを行っていました。

「余市蒸溜所リキュール工場」は1939年頃に建設され、2005年に重要文化財に指定を受けた木骨石造の建造物。
現在は用途を変え、「混和棟」としてウイスキー原酒の樽詰や熟成後のウイスキーのヴァッテイング施設として稼働してます。

そしてこの一本は今やほぼ目にする事の無い、「余市蒸溜所のリキュール」なのです‼︎

ニッカ創業者竹鶴政孝の養子であり、ニッカの2代目マスターブレンダー「竹鶴威」の回想録。
そこで少しばかり、リキュールに触れています。

時は昭和20年代後半。サンフランシスコ講和条約直後、多くの施設が接収解除となり様々な贅沢品が解禁された。つまり戦後第一次カクテルブームの真っ只中。当時はカクテル材料に必要なリキュールやジンなどが輸入されていなかったので、余市で其れ等を製造する事になりました。
ジン造りの為にイギリスからジュニパーベリーエキスを輸入したり、参考資料の無い環境で悪戦苦闘の末にベルモットを完成させたり(試作段階では味の深みを得る為に塩まで加えたとか)、本業のウイスキー造りと変わらぬ熱量で多くの酒を生み出しました。
カクテルとしての完成度を確認する為に、竹鶴自らシェイカーも振ったそうです。
凄まじいクラフトマンシップ。
熱と時間と挑戦と失敗のみが、新しいモノを生み出す。
ウイスキーもリキュールも同じですね。

この一本も然り!

カカオニブ(焙煎したカカオ豆の外皮を取り除き粉砕した物)とバニラバーンズから造られ、更に瓶内で少なくとも40年以上眠っていたオールドリキュール。
確実な年代推定が出来ないのですが『従価』表記があるので1980年代以前のモノである事は間違い無い。



オールドらしい極上の「トロミ」が味にも舌触りにも溢れている。

当時は空前のカクテルブーム。
今では余り嗜まれなくなったバイオレットフィズを始めとした各種「フィズ」が大人気でした。
中でも当時を象徴するのが「カカオフィズ」!
カカオリキュールとレモンと砂糖をシェイクしソーダで満たすと言う、現代では余り受け入れられんレシピから造られる一杯。
でもね、これが何とも言えず『深い』んですよ。酸味と甘味と微かな苦味が炭酸に溶けて喉に落ちる。
きっと何より新しく何より洒落た飲み物だったのでしょう。
余市のカカオリキュールもその一翼を担っていたのは間違いありません。

オールドリキュールはストレートで頂くのが絶対のセオリーですが、往年のカカオフィズでも如何⁇