『生命の実相』第十巻 霊界篇下 第1章 7-8 | 山人のブログ

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食事、瞑想、生きる喜び。

その夜はそのまま眠りについたが、明け方になってマグナッセンは目を覚ました。彼はそれきり眠ることができなかった。昨日の出来事がいろいろと思い出される。憂鬱が彼の心を捉える。彼は眠ろうと思って電灯を消して、ベッドの上を輾転(てんてん)した。そのうちに、ひとりでに深い息が数回出たかと思うと、今度は非常に短い息が出て来る。と思うと、また深い息が出てくる。息をふかぶかとしているうちに、彼は揺籃の中で揺られながら、うとうとと眠りに誘い込まれるような気持ちになった。と、不思議にも心の奥の方から、奥の奥の実に遥かなところから、静かな静かな音楽の調べが聞こえてくるような気がするのだ。実に静かな遥かなる所から聞こえてくるメロディだ。が、それは確かにどこかで聞き覚えがある。それは耳で聞こえるというよりも心の中で囁く声のように聞こえるのだ。マグナッセンにとってはこの優しい、静かなメロディーが自分の寝息と一緒にリズムを合わせながら奏でられるのを知った。

と、その静かなメロディーが揺籃の中に眠っている自分をあやすために歌っている父の声に聞こえて来た――「わたしはお前の父だ」と。「わたしはお前とともにいるのだ。わたしはお前の思想の中にいるのだ。聞けわが子よ。愛する子よ。わたしはお前をこうして揺すっているのだ。あやしているのだ。わたしはお前を神様に引き合わせてあげるのだ。わたしはお前を静かに静かにあやしながら、神様のみ許へつれて行くのだ。お聞き、お前には聞こえるだろう。わたしの静かに歌う声が。わたしはお前をつれて行くよ。遥かな輝くお国へつれて行くよ。お出で、もっとお出で。歌ってあげるよ、揺すってあげるよ、もう神様の国の森まで来たよ、ここは神様のお国の森、神様がお前を微笑んで見ていられるよ。」

こんなふうに、マグナッセンは夢ともなく(うつつ)ともなく、自分自身の深い息に調子を合わした子守歌のように優しい父の言葉を聞くのであった――「おいで、いとし子よ。神の国の森を見せてあげよう。その色彩の麗しいこと、光の国だよ。静かに揺すっているのはわたしだよ。わたしの歌をお聴きよ。お眠り、お眠りよ、わが愛し児よ。」

父の歌声がしだいに低く静かに聞こえているうちに、マグナッセンの肉体は本当に眠ってしまった。しかし彼の魂は起きているのか父の声を依然として聞いているのだ。そのメロディーがちょうど揺籃に入れられて揺られるように彼の魂を揺さぶるのだった。マグナッセンの眼には幼年のころ眠りにくい晩、父親にあやしてもらっていたときに見たのと同じような星の光が空にちらばっているのが見えはじめた。ああその美しい空の色、星の瞬き、それは幼年のころ見た星よりもズッと数が多いように思われた。

翌朝目を覚ますと、しばらく彼は何事も忘れてしまっていた。心が爽やかで、気分が軽かった。彼は起きると顔を剃るために姿見に向かって微笑した。とポッカリと昨夜、霊交のあった父の声の幻覚のことを思い出した。それは確かに幻覚であった。こんな幻覚にまたしても悩まされるのであるかと思うと彼は自分ながらウンザリした。

「スッカリいっさいを忘れよう!」こう決心して彼は、洋服に着かえて朝食にとりかかった。彼は朝食を終えて食後のコーヒーを飲んだ。と、彼の唇に覚えず上った歌があった。「オヤ!」と彼は思った。それはなんの歌だったろう。彼の知らない歌であった。しかしなんだか聞いたことのある歌のような気もするのだ。そうだ、それは父の声で歌う子守歌(クレードルソング)であった。彼は自分の唇に父の声で歌う子守歌が出るのが不思議であった。彼は今まで一度もその子守歌を歌ったことがなかったのだ。

マグナッセンの父は非常に豊富な音楽の天分をもっていたが、不遇に終わった素人音楽家であった。マグナッセンもいくぶん音楽の天分を承け継いでいたかもしれない。彼は自分の唇に偶然のぼったこの子守歌が、非常に妙なる美しい曲のように感じられたので、それをピアノで弾いてみたいと思った。彼はその生涯のうち、一月だけピアノを習ったことがあった。それ以来ピアノというものを習ったことはなく、バイオリンの方を習ったのであった。それで彼はピアノをギコチない手つきで、右手は二本の指を一時に抑えて弾くことはできた。左手はカラキシ駄目で、時々調子はずれに低音(バス)を混ぜてみるだけで満足していたのだった。

が、今、マグナッセンがピアノの鍵盤の上に指をやって、子守歌(クレードルソング)を弾いてみようという気になったとき、突然、彼の指は痙攣するように自動し出した。それは彼の手が自動し出して父の筆跡で霊界通信を書いたときと同じように、自分ならざる何者かの力で自分の手が動いてピアノの鍵盤を叩くのであった。驚くべし、彼の指先は同時に少なくとも八個の異なる鍵盤を叩いて調子が少しも乱れないのであった。不思議なる力が彼の手を操って、彼の引こうとした子守歌を(彼が少しも演奏法も楽譜も知らないその子守歌を)みごとに即座に弾いてしまった。

マグナッセンは自分自身を疑った。心がこぐらかってくる。彼の額から汗がにじんできた。彼はもう一度弾けるかどうかと疑いながら、再び指が鍵盤に触れた。と、たちまちその指がスラスラと鍵盤の上を巧みに走って、同じ曲を同じに巧妙さで演奏した。

彼は自分ながら感動した。その感動は、彼がかつて自分の手が自動して、父の筆跡で父からの第一回目の手紙を書き出したときよりも深かった。何事か起こったのだ。実に奇跡だ。これがヒステリーの発作といえるか、狂気といえるか、潜在意識の作用といえるか、ギコチなく右手だけの二本の指でポツリポツリしか弾けなかった未熟な物の硬ばった指先だのに、ただの潜在意識がこんなに巧妙な演奏法をさすことができるだろうか……。

彼はピアノの前に腰をおろして両手の指を鍵盤に触れていると、自分の魂の底のうちに不思議な優しい和やかな愛の心が――かつて死し、今、彼の指先を操っていてくれる父に対する憧憬(あこがれ)(しょうけい)の心が沸き起こってきた。父!父が生きている、父がわがうちにいます。わが父がうちにいます。わが父よ!

と、なんという不思議なことだろう、マグナッセンの指先はいよいよ活発にピアノの鍵盤の上を走り出した。もう子守歌だけではない。あらゆる複雑な楽曲が不思議な巧妙さで奏でられるのだ。彼は自分の指先が演奏するその曲の美しさに酔ってしまった。今までよう使わなかった左手が巧妙に低音(バス)を操る!右手は奇跡のように神速に右に左に飛びかいながら鍵盤を叩く。彼自身の全然知らない曲もあれば、どこかで聞いて覚えている曲もある。ワグナーが出て来る、ベートーベンが出て来る、グルックがある、プッチーニがある。それを自分の指先がこんなにも巧妙に奏でるとは!

マグナッセンは鍵盤の上を巧妙に走る自分の指先の中に父を感じた。父だ!彼の眼は泣けてきた。指はそれにもかかわらず、ますます激しく鍵盤の上を、あちらよりこちらへ、こちらよりあなたへ、あるいは急霰(きゅうさん)のように、あるいは大河の淀みのように、高音に、低音に、その交錯に、巧妙きわまるメロディーが奏で出される。おお!それは父の霊魂が彼に宿って弾く演奏であった。名演奏家であった父が自分の指先で演奏する奇跡を、マグナッセンは、まるで客観的に聴者となって聴いていた。

その日以来、彼はたびたびピアノの前に惹きつけられるように坐った。坐ると不思議な力が彼の指先からは湧き出してきて、彼自身何を弾くのか自覚しないのに指先がズンズン自動して、巧妙な演奏が始まるのであった。彼は自分の指先の演奏する曲目のピアノの楽譜をほとんど知らなかった。しかし、彼の奏でる諧調が完全に楽譜にあったものであることは、自分自身がバイオリンの演奏者であり、音楽の知識と耳とを十分もっている彼には疑いもなくハッキリ知られたのであった。

マグナッセンは音楽の聴き手としては、かなり豊富な素養を備えていたが、これまで彼がかろうじて弾きえた曲目は、英国のあるセンチメンタルな小曲と、プッチーニの「マダム・バタフライ」のある部分と、ある簡単なダンスの数曲とだけであった。これらの曲はいずれも初歩の弾き手に面倒な低音部(バス)は二、三単純に指を動かせばよいものばかりであった。これ以上に彼はほとんどどんなピアノの曲も演奏しえないのであった。彼はまたピアノの楽譜を見て、その楽譜のとおりに弾くことなどは決して思いもよらなかった。耳で覚えている音の高低に従って、いい加減に鍵盤の上に指を走らせて、それに似た調子を出してみることができるのが彼にとって関の山だった。彼にとっては上下に並んでいる高音譜(トレブル)低音譜(バス)を一度に読むことができるピアニストの離れ技に対しては、ただもう自分の及ばない奇跡のような感じがしていたくらいだった。

ところが、父の霊魂が彼に来て、彼の指を自由に操るようになってからは、彼の指は奇跡を演じ始めたのである。彼は自分だけの自覚では、なお指がしゃちこばって動き難い感じがしていたが、実際にピアノの鍵盤に向かえば自由自在に滑らかな指の曲折ができて、いまだかつて聴いたことのない複雑な曲調が流れ出るように湧いてくるのであった。

試みに彼がピアノの鍵盤の上に手をかざして、イタリアの劇作家プッチーニのことを思えば指は自然に動いて、彼の「ラ・トスカ」を奏で出でるのであった。と思うと、突然ワグナーの「冬の暴風」の曲が鍵盤の上を走る指の下から唸るように鳴り出したりした。ある日、彼はショパンの作「ポロネーズ」が自分の触れた指の下から巧妙に奏でられるのに聴き入っていた。ショパンの「ポロネーズ」は父が生前、非常に熱心になっていた曲であったが、彼は今まで、うっかりその楽譜を忘れていた。しかし音のタッチとテンポとで、自分の指先の奏でる曲がショパンの「ポロネーズ」であることを彼は知ることができた。

彼がピアノの名曲を演奏することがしだいに家族たちに知られて来た。彼の家族がこの現象唯一の証拠人であった。なぜなら彼の家族たちは、今までのマグナッセンがどの程度のピアノ弾きであったかということと、彼の死んだ父が生前いかなる曲を愛していたかということを知っていたからである。

ある日、兄がマグナッセンの室へ来て、「ピアノを弾いて聴かせろ」というのであった。

「なんでもお好みしだいのものが弾けますよ」とマグナッセンは答えた。兄は、それではプッチーニの歌劇の抜萃曲を聴かせてくれといった。彼は十五年前にフィレンツェにいたとき、この歌劇を見て非常に感じたことがあるのだが、それ以来この歌劇を見たことはないのだった。

マグナッセンがピアノに向かうと間もなく、その指先は「お蝶夫人(マダム・バタフライ)」の抜萃曲を流れるように奏でるのであった。

「そうだ。そのとおりだ!」と兄は感嘆の声を漏らした。

マグナッセンは一曲を終わった。彼はなんだか自動書記で書かねばならぬことがあるような気がするのであった。それで、弁解するかのように兄にいった。

()(とう)(ぼうふ)さんが、兄さんに敬意を表したいと思っていらっしゃるようです。何か、あなたに話したいことがあるんでしょう。」

兄はそのころ少しく病気にかかっていて、ほとんど病床につきたいくらいになっていた。マグナッセンはピアノの前に腰をかけたまま紙をとりあげた。鉛筆をそれに当てがうと、

「そうだ、わたしは、あれ(ヽヽ)に話したいと思っている」と、手が自動して書くのであった。「兄にそういっておくれ、あれ(ヽヽ)の好きな大変喜びそうな曲を弾くことにしよう。」

マグナッセンは、こう書いた紙を兄に渡すと、もう彼の指先は隼のように鍵盤の上を往復して何かを奏で始めた。マグナッセンはそれが何の曲だかわからない。ただ非常に美しい曲だと思った。

「この曲をあなたは知っているんですか?」と彼は兄にきいた。

「しばらく待って!」と兄は制した。彼は異常に感動し興奮して息をつめて聴いていた。調子は一段と激しくなった。見よ、マグナッセンの指は低音部から高温部へと急霰(きゅうさん)のような勢いでさ渡るのだ。と、ピアノから大オルガンの荘重な響きと、教会の(ベル)の音が聞こえてきた。兄は急に前屈みになった。彼は泣いているのだ。すすりないているのだ。この時、それは一転して「わが神は強き砦」という歌になったと思うと、教会の鐘の音を強く打ち叩いてその曲は終わってしまった。マグナッセン疲れきって、腕は痛む、指先は疼く、ほとんど息もつけない有様になっていた。

「お前、今の曲を知っているのか」と兄はきくのだった。

「知らない」と彼は答えざるをえなかった「我が神は強き砦」の歌になったところは気がついていたけれども誰の作だか知らなかった。

「マイエルベーアのユグノーという曲だ」と兄はいった。「僕は実にこれが好きだよ。とても耐まらない、よく弾けたねえ。僕は前にこれをストックホルムで聞いたことがある。それ以来好きだったのだ。僕は先刻、この曲のことを思っていたのだ。するとこの曲をお前が弾き出した。しかし『我が神は強き砦』の歌をまさか弾きはすまいと思っていた。僕はその歌が出てくるかどうか待っていたのだ。すると本当にやって来たね。最初のその曲を聴いたとき、もう耐まらなくなったよ。なんという立派な曲だろう!」

マグナッセンはマイエルベーアの作の「ユグノー」をいまだ聞いたことがなかった。その最後の場面が教会になっていて鐘が鳴り、オルガンの音が聞こえるということはむろん少しも知らなかった。それだのにその曲がそのとおりまちがえずに弾けたのだ。それをもし潜在意識の働きといいうるだろうか!否、否、否!

その後、マグナッセンはピアノを弾きたい衝動に駆られて毎日弾いた。毎日の弾奏が彼にとっては奇跡であった。日ごとにちがった新しい曲が出て来た。それが、まるで意識的であるかのようにしだいしだいにむずかしい曲にと進んで行くのだった。毎日毎日彼は難曲を弾きこなしていった。彼の自動書記による父からの通信によれば、彼があらゆる曲を教えられること、あらゆる曲を正しく弾くようになれること、あらゆる演奏の手法(テクニーク)が正しくなって決して誤った弾き方をしなくなるということであった。

彼は自分の弾きなれている曲目を選んで弾いてみようとするとかえって旨く弾けなかった。注意に注意を凝らして譜のとおりに、今度こそは正しく弾いてみたいと思って弾いてみると、かえってまちがって隣りの鍵盤のところを指が叩いていたりした。以前から相当弾けると思っていた曲はこうしてさんざん失敗してしまうのだ。では父の霊魂が自分の指を自動的に操って、幾度も幾度も弾いてくれた曲なら自分ももうスッカリ覚えてしまっているから、自分の巧者でも弾けるだろうと思って、マグナッセンが彼自身の力で弾こうとすると、それもカラキシ駄目であった。彼の「私」の力が加わるほど、彼の演奏は下手になった。これに反して彼のまったく知らない曲ほど、最も正しく最も巧みに弾きこなせた。

マグナッセンの演奏は、いわば自動演奏であった。それは彼の自動書記と同様で、彼自身の考えというものをできるだけ空無にして、自然に動く手の働きにまかせている時ほど、かえって自由にまちがいなく弾けるのであった。ところが、「ここはこうしたらよいだろう」というような私的な考えが混入すると、自動書記も自動演奏もかえって不確かなまちがい多いものとなるのであった。

彼の意識が混ずれば混ずるほど、その演奏にまちがいができてくる。自分の意識が混入しないまったく知らぬ曲ほどいっそう巧みに正しく弾きこなせる――これが自分の潜在意識の作用だといえるだろうか。それは実際他界の霊魂の指導によるのではないだろうかと彼は考えた。

彼はこうして毎日毎日新しい曲を覚えた。ある日、彼は特にすばらしくチャーミングな小曲を弾いた。彼はその曲の名を知らなかった。彼はその名を霊界の父に聞いてみたいと思った。そう思ったとき彼は何だか懐かしい思いが湧いてきて自然に微笑がこぼれてくるのであった。彼は紙をとり上げた。

彼のもったペンは自動して父の筆跡があらわれた――

「わたしはお前の微笑を見て嬉しく感ずる。お前への返事としてこれを書く。お前が今弾いたのは、プッチーニの新作歌劇『浅瀬(シャロウ)』だよ。お前はそれを信じないかもしれない。お前はまだその歌劇を知らないんだから無理はない。自分の知らない曲が弾ける。だからそれは奇跡なのだ。しかし、お前がもしロイヤル座へいって『浅瀬』の歌劇の一曲をきくならば、お前は今と同じ曲を聴いて今までにないような感激を受けるに相違ない。」

自動書記は終わった。マグナッセンは非常に心を打たれた。彼はピアノの前に坐った。またしても「浅瀬」の曲が彼の指先から流れ出してきた。それは実際プッチーニの作に相違なかった。

死せる父はかくのごとく生きていて、かくのごとく現実界の人々を操ることができるという証拠を見せたのだった!

その日、彼の自動書記に現われた、彼の父の霊魂からの霊界通信は、またいっそうくわしく死後の霊界生活を説明したものであった。

「わが愛する子よ――わたしはまたお前の手にやって来たよ。お前はペンをもった自身の手を見つめながら、お前の持っているペンがお前自身の力ではなく、父の霊の力で握られていることを認めずにはいられまい。ほらお前はこう心でつぶやいているよ――この現象はいつまでも続くのであろうか、一体、自分は、他界の霊の保護の下におかれたのであろうか。こんなことが以前にこの世に起こったことがあるだろうか、と。お前の手にもったペンが紙の上を自動する。しかしお前はこれから何を書くのか知らないのだ。……

「わたしはお前の手で書かせた最初のころの手紙にも書いたとおり、――お前はわたしのもの(○○○○○○)になったのだということをここに再び繰り返して書いておこう。お前はわたしに与えられたのだ。わたしは自分の望みどおりにお前を使うことができるのだ。が、わたしの望むところはただ善なることのみだよ。それはあらかじめ定められているので、そのほかのことはありえないのだ。お前が今後どうなるか、どんなことが今後起こってくるかわたしにはわかっている。それは定められており、あるべきようにあるほかはないのである。お前は『わたしのもの』なのだ。わたしはお前を『わたしのもの』にした。再びお前はもとのお前にはなることができないのだ。お前は元のただの愉快な青年になることもできなければ、表面(うわつら)(ひょうめん)で動揺している気鬱(きふさ)ぎの老人になることもできないのだ。元のお前はもう去ったのだ、永久に去ってしまったのだ。お前は神が定めたとおりのものに生長したのだ。この手紙の終わりにお前がこの使命に割当てられた因縁を話して聞かせてあげるよ。それはお前を驚かす。そしてお前の手でここに書いているのは霊の力だということが解るだろう。お前の生活にこれから起こってくることは、夢うつつの中にでさえも、定められたとおりのほかは起こりえないのだ。

「思索してみたって駄目のことだよ。人間考えの当て推量で、いろいろ頭をなやましてみたとて無駄のことだよ。それはわたしに面倒をかけ、二人の使命を遅らせることになるばかりだ。人間知を捨てよ。人間知以上のものがお前を支配するのだ。それは霊人の手で書くのだ。それはお前を驚かし世間をいっそう驚かし、世間はお前が狂ったということにしてしまうであろう。

「しかし、そのような状態は長くは続かないであろう。お前が気狂いになったのではないということをやがて世界はさとるであろう。世界が心霊の世界に目覚めてくるのは予定の事実だ。われわれは結局勝利するのだ――だがまだ、お前はこのことを信じていないだろうし、われわれがこの物質万能の世界を霊的信仰で征服する手段をお前に話すならば、お前はさらにいっそう自分自身を気狂いになったと思うであろう。

「ここ――霊の世界に住んでいるわれわれは、決して勝利しないということはできないのだ。われわれはここにいてすべてのことを知っている。何もかも知っているというのは万事のプログラムは(○○○○○○○○○)()()()()()定まっているからだ(○○○○○○○○○)。すべて地上の出来事は、心の世界における出来事の結果にすぎないのだ。すべてはあらかじめ見、あらかじめ知ることができるのだ。

「わたしは、テーブル傾斜現象を最初に起こして、おぼつかないテーブルの脚どりでお前たちに通信を始めたことを失敗だったとは思わない。人間がそういう(○○○○○○○)心霊遊戯を始めるときには(○○○○○○○○○○○〇)われわれはいつでも(○○○○○○○○○)それに参加するのだ(○○○○○○○○○)。われわれはできるだけ人間に理解できるような方法で回答する。人間が現在でもわれわれ霊魂の存在を十分信じないのに、われわれはそれをいっそう信じ難くしてはならないからだ。霊媒にかかって厳かなスタイルで、物憂い言葉を語るならば人間はすぐに信ずるのだ。しかし、下らない物理的心霊現象を起こしたり、当てにならない信託をしゃべったりするのが霊魂の本性ではないのである。人類は、美しい幾多の宗教をもっているけれども、人間はその死後の生活についてははなはだ下らぬ妄想をもっていたのである。これは人間として避けがたい定めだったのである。もしそうでなかったならば、霊魂とは蒼ざめた憂鬱な幽霊の姿として人間に描かれることはなかったに相違ないのである。テーブル傾斜の心霊現象を起こしたり、自動書記の心霊現象を起こしたりして、われらの神ことをお前たちに解らせようと、いろいろくだらぬ形式をとらねばならぬかと思うとわれわれは実際ウンザリするよ。

「なぜって人間は、まだ神が朗らかな笑いであり、小鳥の囁きであり、バラの花の芳しい匂いであることを知らないからである。人類はこれらの明るい存在を、ひとり人生に属し、地上に属し、現実界に属しているものだと信じており、心霊界といったら影のように実在性の希薄なものであって、死者の霊とは淡暗(うすぐら)い朦朧たる世界に、色のさめた百合の花を手にして淋しいオルガンの調べを聴いているくらいにしか思っていないのだ。ところが、なんぞ計らんや、その反対こそ真実であって、影とはむしろ(○○○○○○)現実界(○○○)()ことであるのだ(○○○○○○〇)

「ああ!わが児よ、今日はこれについては多くは語るまい。わたしが突然お前の手に来て、自動書記現象を起こした目的を知らすため、かえってお前を五里霧中の世界へ引きずって行ってはならないからである。わたしがお前のところへ来た目的はなんだったか?お待ち、わが子よ、お前は、それを少しも予期していないけれども――お前の胸は顫えている。……

「誰もまだ霊界のわれわれの生活については本当に知らないのである。なぜなら、われわれは現実界の人間とは異なる観念をもっているからである。しかし、わたしはわが住む霊界を『神の国の森』だと呼ぼう。『森』という言葉で、お前はそれをお前の好いたように解釈するがよい。われわれはそこで実に幸福に生活している。それは『神の国の森』だよ。空中から幾百千の音楽を一時に奏でるような微妙な音楽が降り(そそ)ぐ。そして曙の光の中に神はわれらに祝福の微笑みを投げかけてい給うのだ。われわれがただどんな言葉も語ることのできない幸福に酔い、お前たちの理解されない法悦にひたされているのはこの世界においてなのだ。お前よ、地上における最も美しい事物の事を想像しておくれ。愛児の瞳にのぼった優しい懐かしい微笑みのことを思っておくれ。眼に涙がにじむほどに嬉しい(こころ)の歓びを想っておくれ。この優しい懐かしい微笑みが、この妙なる(こころ)の歓びが一秒間に数十億回もあなたの心に投げかけられるのだ。これを想像してみてくれたら、われわれの棲んでいるこの世界の歓びの百万分の一が理解されるであろう。

「霊魂というものは、肉体を離れたならば、それはエーテル界に浮動している。そしてやがてこの森に導かれたならば、曙の光の中に神の歓びの微笑みをほの見るのだ。わが愛するいとし子よ。お前を愛するなんじの父は曙の光のうちに神の感謝の微笑みを見たのだ。今わたしはこの世界からお前に囁きかけるのだ。

「お前はわたしのもの(〇〇〇〇〇〇)となったのだ。わたしは神の微笑みがなんであるかを、お前に教える許しを得たのだ。それだから、お前はわたしの手でピアノを弾き、わたしの手で霊界のたよりを書くことができるのだ。それだからお前の心は喜びですすりなき、言うに言われぬ優しい感激でおののくのだ。

「わたしはお前が知らねばならぬことを、お前に教えるように許されて来たのである。わたしがお前に語るところをお前はもう聞いても耐える力ができている。お前は選ばれた人間であり、わたしはお前を導くのだ。これは神の定め給えるわたしたちの使命なのである。今日の日が来るということ――お前が『神の祝福の微笑み』の書籍を全世界に弘める日が来ることはすでに使命として定められているのである。たといお前の心の中に幾百千の反対論が起こって来、手に持っているペンを投げ棄て、もう書くまいと思っても書かずにはいられないのだ。お前は自分の心の中で荒唐無稽だと思って恥じることを全世界日に本にして発表する――それがお前に定められた使命なのだ。そして、『わたしは選ばれた者だ』とお前自身の口をもって全世界に呼びかけねばならないのである。

「お前は今羞恥心で顔色を染めている。わたしはそれを見ている。わがいとしの子よ。お前は今は自尊の感情と戦っている。わたしはお前に同情する。わが最愛のいとし子よ。お前は苦しんでいる。わたしも察するよ、それはにがいくるしみだ。しかしわれらはそういう使命に割り当てられたのだ。われらは選ばれたのだ。耐えておくれ。

「わがいとし子よ、わたしはお前の心の戦いを知る。わたしは、お前の側にいてお前の人間性と戦っているのだ。わたしが戦っているのはお前の人間性とだ。お前の性格とだ。なぜならお前はわたしがお前の手で書かせている通信を信じないし、信じることはできないし、それを嫌悪さえしなければならないのだからである。この事はあらかじめ定められているので、そうであるほかはないのである。お前は一個の人間であり、今後もまたやはり一個の人間であるだろう。お前は、お前の個性を持続してゆかなければならないし、今までと同じようにお前の生活は続いてゆくであろう。お前はこれまでと同じように嘲笑家で、善人で、お前の自然の性格の一つをも失うことはないであろう。しかし、それにもかかわらず、今よりお前はわたしのものになったのだ。お前はわたしの思想ばかりを書かなければならないのだ。お前の書いているところの思想は人間の思想ではない。霊人の思想であるのだ。霊界にいて神を知ったところのお前の父の思想であるのだ。お前の父の令は聖められた。それゆえ、お前の手で書く私の思想もまた聖められたものである。わたしはお前がどんなに反抗してもこれを書かせねばならぬ。これを書かせているのは十二年前病院の小さなベッドの中で生命を終えたところのお前の父であるのだ。お前の父の霊魂は常に生きとおしで、今もなお生きているのである。この事実をお前を通じて全世界に発表せんがためにわたしはここに来たのである。お前はこの使命のために選ばれ、わたしはこの事実を伝える使命を託されたのだ。それゆえ、わたしはお前の指先で奏でる音楽となり、お前のたましいの中で微笑む微笑となり、お前の瞳を濡らす涙となったのだ。

「わが親しき友よ、わたしは、実には千古未顕(せんこみけん)の思想をお前に伝えるために来たのである。今まで誰も話したことのない、とても美しい思想を伝えに来たのである。わたしの伝える言葉が美しければ美しいほど、わたしの伝えるメッセージが絢爛たるものであればあるほど、お前のたましいの苦悩はいっそう大きく、お前の憂鬱な懐疑はいっそう深いであろう。お前の人間性の一部分でも、そのために変ぜられることはないであろう。そうでなければわたしはお前を使わないであろう。今後もお前はお前自身のようにあるべきである。このようにわたしは多年の間お前を準備してきたのである。

「いよいよわたしが、今度の手紙を書かせる本当の目的を発表するところまで漕ぎつけた。今まで三年の間、お前はやがて来るべき何物かを世界に探しもとめていた。新時代の予感だ。何か新しいことが来なければならない!何かが来なければならない――それは予感であったが、何が来るのか判然とはわからなかった。それは漠然たる予感だった。お前はその内容をハッキリさせたいと心をそれに集中してみたけれども無駄であった。希望は失われ、魂は安息所を見失った。しかしいつかはお前自身の魂の昏睡をよび覚ますべき何事かが起こるということを、お前の内から囁きかける何者かがあったのである。……

しかし、その何事かはついに起こったのだ。そして、お前は、それをすべての人類に呼びかけねばならないのだ。さきにわたしがお前は選ばれたのだといったのは、やがてはすべての人類が感じかつ見るにいたるところのことを、真っ先に感じかつ見ることができる人として選ばれたということである。……

「わが(いとし)子よ、三年前お前は(〇〇〇〇〇〇)死んでしまったのだ(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。その時わたしはお前をわがものとすることができたのだ。これこそ常々わたしがお前に話したいと思っていたところの事柄なのだ。こう書くとお前は何がなんだかわけがわからなくなって、あたりをぼんやり見廻しているね。お前の心はモヤモヤになって苦しんでいるね、しかし愛するわが子よ、お前は三年前本当に死んだのだったよ。

「三年前、お前は病院のベッドに横たわっていた。手術後、すっかり衰弱して敗血症を起こしていたのだ。お前の肉体は死んでしまって、お前の魂は肉体を去ろうとしていた。これは本当のことだよ、わたしはそれを断言する。神の祝福に賭けて誓ってもいい。

「お前の病気の精確な状態をここに述べる必要はない。けれども、お前も、あの時のことを人に話す際に『つまりあの時は僕というものが死んだ時ですよ』とよく冗談のようにいったものだ。お前は本当のことを知らないで真実をしゃべらされていたのだ。なぜってお前はあの時本当に死んでしまって、肉体はすっかり駄目になっていたのだからな。

「だが、このことが事実であっても、そのことをなぜ、今お前の手でもってここに書かねばならないのか、お前は判断に苦しむだろう。お前は父の霊魂が謎のようないい加減な余談を書いて、お前をたぶらかそうとしているのだと思うだろう。しかしわたしにはお前にこれをどうしても書かさねばならぬわたしだけの理由があるのだ。お前はぜひ書かねばならない。わたしはお前に(〇〇〇〇〇〇〇)これを命ずるのだ(〇〇〇〇〇〇〇〇)。やがておそらくお前はこの理由を理解するようになるだろう。お前は暗黙のうちに抵抗しているね。しかしペンをしっかりとお前の指の間に握らせて、この事実を強制的に書かせる力はわたしだよ。これはお前の死と奇跡的の回復とについての誤りのない真実だよ。……

「お前はベッドの中に横たわり、お前の心の臓の鼓動は止まっていた。お前は、ただの一人ぼっちだった。お前の死の床の側には一人の付き添いの女性が坐っているきりだった。お前は死んでしまっていた。そしてまた息を吹き返して、熟睡して救われたのだ。

「わが愛する児よ。その夜こそは、お前の全生涯のうちで最も(うる)わしい瞬間だったのだ。お前はそれを知らねばならぬ、全世界もまたそれを知らねばならぬ。

「その時何が起こっていたか、一人の若き婦人の胸のうちに、お前の死を悲しんで激しく波打つ心臓がそこにあった。わたしは今それをあえて書く、また書くだけの価いがあるのだ。書け(〇〇)お前はそれを(〇〇〇〇〇〇)()()()()ならぬ(〇〇〇)わたしはそれを命ずる(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)!夜だった。星が出ていた。彼女は街の中を悲嘆で心臓を波打たせ、恐怖で胸の中をすすり上げながら走っていた。彼女の魂はお前を愛していたのだ。彼女は神を知らなかった。彼女は最も単純な祈りを捧げたこともなかった。しかしその苦しみの中に彼女はわたしに呼びかけたのだ。彼女は、もう死んでいていくら呼んでも聞こえないはずだと心では思っているわたしの名を呼んだのだ。彼女は苦しみの中に、かつてお前の父たりし人の名を呼んだのだ。そして、あなたにできることならこの人を助けてください。どうぞ死にかけている彼のために、あなたに神様がおありなら、『その神様に祈ってください!』こう彼女は震えながら、泣きながら、わたしの名を呼びつづけたのだ。

「愛するわが子よ!その時、わたしは彼女の呼び声を聞いたのだ。わたしが今お前に書かせているところのことをよく読んで、神が現に生きています(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)ことを心の底から信ぜよ(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。わたしは霊界から彼女の声を聞いた。すでに地上の世界からは死んでしまっているこの父は、星の乱れ降る夜の街を心乱して走っている彼女の訴える声を聞いたのだ。それでわたしはお前のところへ来たのだ。わたしはお前に魂を入れ、お前に生命の息を吹き込んだのだ――わがいうところを傾聴せよ、そしてこれを全世界に伝えよ。お前に生命を吹き込んだのはお前の父であったのだ。お前は蘇生(よみがえ)った。

「わたしはお前のために作曲した小歌を低い声でお前の魂に歌って聞かせた。お前の魂を揺すぶり、柔らかく柔らかくお前お眠りに誘ったのはわたしだ。お前は自然の安らかな眠りを得、その眠りから覚めた時にはお前は蘇生(よみがえ)っていたのである。お前の愛する友だちは病床の側に立っていた。お前は眼をさまして彼女の眼にたまっている涙を見た。お前は微笑んだ。涙が同じくお前の眼からも湧いてきた。なぜ(〇〇)()()神がお前の友だちの愛の中に(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)宿り給うて(〇〇〇〇〇)お前に対して微笑んで(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)い給うたからである(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。彼女はお前の枕頭(ちんとう)に立ちながら、その魂はお前の病床のうちに神の祝福の微笑みを見ていたのだった。

「お前はその翌日、友だちから送ってくれた白い花を覚えているか。お前は決してその花の香り高い匂いを忘れはしないであろう。その薫りこそは神の微笑みであったのだ。すべて愛から献げられた(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)()()()()()()神の微笑であり(〇〇〇〇〇〇〇)愛を送る者の微笑は(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)神の微笑である(〇〇〇〇〇〇〇)。お前は枕辺(まくらべ)の花を見ながら彼女の手を自分の両手で握ってむせび泣かずにはいられなかった。なぜなら神はお前たち二人の者に祝福の微笑みを投げかけ給うたからである。

「愛するわが児よ、いとし子よ。その日からわたしはお前の魂に付き添うているのである。その日以後お前のなすことはわたしに導かれてきたのである。わたしは不思議に曲がりくねった道を辿って、お前をこの輝かしい日にまで導いてきたのである。今こそわたしはお前の手をとってお前に囁くよ――いとし子よ、喜びに満たされよ。わたしはお前に神秘の幕を破って神について教えるのだもの。わが児よ、喜びに泣き濡れよ。心臓よ、浪打てよ。お前は全世界にこの輝かしい音ずれを宣べ伝える使命を受けたのだ――神は現にありありと存在し給う。何人も神の微笑みを見ることができるのだ――父より。」

ペンはここまで書くと停止してしまった。その時マグナッセンの感情は、おそらく局外者には理解できないであろう。前節にも書いたとおり、彼はピアノを本来弾く技能がないのにピアノに対かえば、まるで逝ける音楽家たりし父と同じく、指頭に古今の名曲を自由自在に操ることができたのだし、机に対かって戯曲を書こうとすれば、あの強制力が働いて、今は亡き父と同一の筆跡で自分に対して呼びかける通信が書けて来たのだ。心で反抗しながら「そんなことを書くものか」と否定すると、「書かねばならぬ、わたしが命ずるのだ」という言葉でペン(さき)から(ほとばし)る。そしてついに彼自身については心の奥の最も深い秘密であった事柄、三年前彼が病気の回復期に経験した心の秘密に触れて来た。書くまい(ヽヽヽヽ)!と反抗すれば、「書け(〇〇)わたしが命ずる(〇〇〇〇〇〇〇)」と彼の手が強制するのであった。この現象についてマグナッセン自身は当時の感情を回想してこう書いている。――

「これは何という種類の病気であるのか。自分は、全世界の神経病理学者に尋ねてみたい。わたしはふつうの健康状態であったし、そういう現象の起こる時のほかは当たり前の生活をしていたのである。しかしひとたびペンをもてば自分の知らない、自分の理解できない、あるいは知ってはいるが断じて書きたくない事柄を書くのである。人間の脳髄のどこに自分自身の心でない心、自分自身とは独立した人格、知能、意志などをもった者が宿りうるのだ。自分は決して迷信を述べ伝えようという意思はない。自分自身はどんな迷信にも捉われてはいないのだ。自分は狂信家でもなければ、盲信家でもない、自分自身に起こるこの現象を断じて信じたくはないし、また現に信ずることはできないのだ。実証を見せつけられれば見せつけられるほど、強制する力が強ければ強いほど、自己保存の本能でわたしはいっそう強く反抗するのだ。実にありうべからざること、耐えざることである。しかしこの強制力は自分よりも強くて、あらかじめ自分が何を書かせられるか知っていたら断じて書きたくない事柄を文字が綴ってしまうのである。こうしてわたしは自分の実に耐えられないこと、自分の全人格が反抗し嘲笑すること、断じて信じまいとすることを書かせられてしまったのである。……わたしは自分の手で自分の死んでいたことを書いた。死せる父の霊魂がわたしに生命を吹き込んだことを書いた。自分が選ばれた者であること、この書き物が神聖な使命で書かれるものであることを読んだ。……医術がすでに自分を見放してしまっている時、すでに死せる父の霊魂がわたしを癒してくれたというような、荒唐無稽なことをどうして信ずることができよう。また、一介の戯曲家にすぎない自分が、どうしてかかる使命に神から選ばれたということを信ずることができようか。読者よ、かくのごときがわたしの立場であったのである。……」

こうマグナッセン自身は書いているのである。この説き難き謎を解こうと、彼は心の中に煩悶また煩悶、呆然と机の一角を眺めていると、またしても彼の手は自動して次のような文句を紙の上に(したた)めた。……

「わが愛する児よ、親しき友よ、なんじの憂鬱を心より払いされ。なんじは、ただ喜ぶほかはないのだ。わたしはなんじの父であり、常になんじとともにある。わたしはお前の疑いを愛し、お前の嘲笑を愛し、お前の怒りを愛し、お前の悲しみを愛する。お前が憂鬱になればなるほど、わたしがお前を使うのに適するようになるのである。信じてしまった者が書くのでは世の中の誤解を招く。この奇跡の中にお前が疑っているのでこそ初めて使命を完うしうるのだ。これを書くところの手を罵れ。なんじの手を憎め。わたしはここにいる。お前に疑いの心を起こさせたものはわたしである。わが愛するなんじの心を苦しめつつあるものもわたしである。では、もう顔をあげてなんじの親しき父に微笑みを見せよ、いかにふかくわたしがお前を愛しているか。わが児よ、微笑め!お前の魂は今ふるえている。お前はまた明るく幸福になるであろう。お前の手をもって書くのはわたしである。ここを去ってピアノに向かえよ。お前のおののいている魂にわたしの得意な楽しき数曲を弾いて聞かそう。お前はその曲を聞いて心の底から湧き上がる不思議な涙を流すであろう。お前が咽び泣くときお前は再びわがものである。そして神はなんじに微笑みかけ給うであろう……父より。」

こう書いて、ペンはハタと停止した。マグナッセンは顔を両手で埋めた。なぜとなく彼は魂の底から湧き上がる喜びで咽び泣けるのであった。

次の日のマグナッセンの父からの霊界通信は左のごとく書き綴った。――

「わが愛する児よ。今日は、お前の父は自分自身の死の問題について書こうと思う。お前はわたしの語ろうとするところの真偽を捉えうるであろうかね。この真偽をすべての人類が捉ええたならば、全世界は(すがた)を変えてしまうということがお前には解るだろうか。お前のこのすばらしい体験について、お前は本当の意味を理解してくれるであろうか?

「わたしは、街路で突然病気に襲われて病床へ運ばれて、そしてそこで死んだのだった。家族のうちでお前だけが、父の意識の最後の残りがかすかに漂っている臨終に間に合って来てくれたのだった。愛するわが児よ。私はお前を感じたよ。お前というものが、わたしの最後に浮かんだ『念』だったのだ。お前はわたしの手が力なくお前の方へ動いて行って垂れ下がったのを思い出すであろう。それはわたしの現実界における最後の運動であり、最後の力であった。そしてわたしは現実界から没しさって死んだのだ。

「わたしの愛する児よ、お前は立ちながらお前の父親の肉体の上に覗きこんでいた。しかしその時お前の心に浮かんだのは、お前の不幸な母親のことであって、わたしのことではなかった。お前の魂は意識していなかったが、その考えはわたしの魂の中に織り込まれていてわたしと同じことを考えていたのだ。『どうしてこの(あわ)れな母を助け、慰めてあげようか』と。――これがお前の悩みであり、同時にわたしの悩みであったのだ。われわれは神を知らなかった。父が死んだ時にさえも、神への信仰を築くことのできなかったわれわれであったのだ。わたしが死んだら、この(あわ)れな婦人は粉砕されて、なかなか回復することはできないであろう。彼女よりも先にわたしが他界するということは、彼女にとって実に残虐な運命であった。それは彼女にとって太陽が没したことになる。絶望と悲嘆とのきわみが彼女を襲うであろう。

「こういう考えがその時お前に浮かんだが、それは同時に、わたしの魂に浮かんだ考えであったのだ。わが親しき児よ。いな友よ――わたしは肉体が死んだ時以来、お前の心の中に繋がって同じことを考えていたのだよ。これは本当だ。

「わが児よ。その時、お前の母親がやって来たのだ。その時のことをここには書くまい。不必要にお前の感情を興奮させたくないからだ。しかし、お前はそれでも母のその時の悲しげな目つきと、死んだわたしに対する張りさけるような愛の慟哭とを憶い出すだろう。わたしはその時お前の母の心の慟哭を聞いたのだ。それは悲しい音楽だった。しかし、まだわれわれは神の存在を知らない人々であったのだ。

「わが児よ、その時お前は自分の手で母親の手を握りしめ、彼女の腕を抱きあげた――そうしたのは本当はお前ではなく、わたしだったのだ。お前は眼の前に横たわっている父親を忘れて母親に囁きかけた――そうしたのは、本当はわたしだったのだ。わたしはお前に力を与え、お前の母親に内から力を与えていた。彼女がその夜お前が心配したようには悶絶もせず悲しみに耐えることができたのはそのためだったのだ。

「夜は更けてきた。お前は家に帰らねばならなかった。しかし、翌朝お前は病院に帰って来た。わたしは病院のベッドの上に横たわっていた。数枚の布がわたしの上に掛けてあった。そしてわたしの裸の足首には、注意深い病院の人がわたしの名と所とを記した荷札のような物を、死体を他人のそれとまちがわないように針金で結びつけてくれていたのだった。

「お前は父の死骸が、こういうふうに横たわっているのを見たときに、そこに突っ()して泣けて泣けてしかたがなかった。父の死に対して、お前はその時はじめて大いなる悲しみを感じたのだった。死、それはお前にとっては不可解な分解と消滅とに感じられていたのだ。

「だが、わが愛する児よ。生命というものが、こんなに惨めな、なんの高貴さもないようなありさまで終わりを告げるものだとお前は本当に信ずるだろうか。お前の父の歌と音楽との生命、念願と憧憬(あこがれ)(しょうけい)との生命、愛と情との生命が、わたしが病院のベッドの上で伸びてしまって、装飾もない布を着せられ、裸の足首に荷札のようなものを針金で結びつけられたきりで、終わってしまうものだとお前は信ずるであろうか。

「お前にいったことがあるように、お前の理性は真相を捉えることができないから、生命が肉体の死後存続することは信じ難きことだろう。しかし、いっそう信じ難いのは、わたしの歌と音楽と、わたしの希望と憧憬と、わたしの愛と情とが、なんもないない『無』に解消してしまうことではないか。

「自分の内に宿っていた力ははたしてどうなったか。わたしの心臓を鼓動させ、わたしの肺臓を呼吸させ、わたしの生命を生活させ、わたしの手を働かせ、眼と口元に微小を(たた)えさせたその力は一体どうなったか。わたしの心に無量無数の音楽のメロディーをかき鳴らしたその力、わたしの情の中に言いようのないデリケートな優しさと狂おしい情熱とを奏でていたその力はどうなったか。わたしの冷たい理性に反抗して、わたし自身の生涯をどこどこまでも引きずって行きながら苦しい運命と打ち戦い、いっさいの不幸、蹉跌、貧乏および絶望に挑戦しながら、自分の魂のうちに歌を生かし、(とう)とい調律と(かん)ばしい花の匂いを生かしていたところの力は一体どうなったのであるか?お前はこの力が一朝わたしの肉体が病院のベッドの上で長くなって(かん)(ぎぬ)で蔽われてしまったら、そのまま全然消滅したと思うであろうか?

「わが児よ。お前は、お前の愛する父の死体の傍らに立ったとき、生命の解きがたき謎に直面したのだ。誰でも自分の愛する者の(しかばね)を眺めたところのものは、一瞬間その心の内にある(とう)い感じを味わわずにはいられないであろう。

「見よ、死者の冷たき肉体を。その黙せる唇を。その瞬間お前は現実世界から遙かに遙かに(へだた)った世界にいて、不思議な超現実的な力に支配されていることを感じたであろう。それは蒼空いよいよ高くして、心情いよいよ浄まるとでもいおうか、あらゆるものはお前の心の中から浄められて影をとどめず、不可思議な忘却の中に一列に没し去っていたのである。お前の悲しみはいと深く、愛する者を失った悔みはいよいよ深刻であったとはいえ、お前はその瞬間に味わった不思議な魂のふるえ、神聖な不思議な幽邃(ゆうすい)な感じを捨てたいとは決して思わないであろう。そうだ、わが児よ、お前がそれを捨てたくないのも無理はないのだ。この無限の悲しみの瞬間に魂の底より湧き出てくる聖なる感情は、いかなる時にもわれわれをすて給わない神の祝福の微笑みであったのだ。

「お前は、この世界が矛盾に満ちた世界だと信じている。この世界は実に悲しき墓場であって、地下には幾百万の人間が横たわって死んでいる。愛子(いとしご)は飢えて死に瀕し、その妻は魂が傷ついて死になんなんとし、この世界は残酷さと、寄る辺なさと、空ろな恐怖の醜い世界であって、そのほかに何物もないように思っている。

「しかしわたしは、お前に告げる――人は神の子であるから(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)神はいかなる(〇〇〇〇〇〇)その小さき子供たち(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)()()()()()()()()を投げかけ給うのである(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。その肉体は去って行くいかなる小さき魂にも微笑みを投げかけ給うのである。まもなく全世界の人類は、神の造り給えるこの世界には、人間自身が信念によって創作しない限りは何一つ醜いものは存在せず、何一つ悪なるものは存在せず、何ひとつ恐怖すべきものは存在しないことを悟るに到るであろう。すべての醜さ(〇〇〇〇〇〇)すべての恐怖すべきものは(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)何一つ実在ではない(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)()()()()それは実在するかのような外見を(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)示しているけれども(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)本当は実在しないのである(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)人間の真性は(〇〇〇〇〇〇)()()()()する人間は(〇〇〇〇〇)神の子たる霊性である(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。神の子たる人間の霊は本来聖浄であって、神は常にその上に祝福の微笑みを投げかけてい給うのである。死するように見えようとも、いっさいの神の子は神に抱かれ神に導かれ、永遠に生きるのである。あらゆる人は永遠に生き、神と偕に生きるのである。どこにもこの世界には恐怖すべき何物も実在しないのである!

「では再び、ある神秘な不可解な事柄を話しておこう。いかにそれは不可解にみえようとも、わたしの語るところは真理である。いつかはお前はそれを理解するに到るであろう。お前はそれを書かねばならぬ。全世界はそれを知らねばならぬ。まもなく全世界はそれを理解するに到るであろう。人類がこれについて、いくぶんの理解を得るように定められた時は来たのだ。これはすでに定められたのであって、そのほかのことはありえないのだ。

「後になって、またもっとくわしく書くことがあるであろう。だが、それはお前がわたしのことを理解しうるようになってからのことであって、今はまだ時機ではない。まずお前に教えなければならないことがたくさんある。世界は聖なる実在の片鱗を理解しうるまでになお多くを学ばねばならないのだ。

「わたしは、わたし自身の死と埋葬との問題に今や帰ってゆかねばならぬ。わが愛する児よ、わたしは今もう一つ興味ある事実をここに書いておこう。わたしはわたし自身の埋葬の儀式に参列したということだ。わたしが今こう書けばお前はそんなことがあるものか!と思っている。お前にはそれが興味ある事実だと思えるよりも、おそらくむしろ喜劇的に思えているようである。しかしわたしはそれを語らねばならぬ。わたしは最早この事実を隠してはおけないのである。やがて全世界の人類は、死者の霊魂は彼自身の葬式に参列するものだということを理解するに到るであろう。

(著者注)死者の霊魂はこの霊のごとく覚醒状態で意識しながら、墓地へ伴うのもあれば、まだ昏睡のまま無意識状態にて伴われて行くのもある。

「少しくお前が想像を用いれば、この霊界通信によって、いかなる革命が全世界に起こるかを理解しうるであろう。むろん、すべての人類は、この啓示を信じることはできないにしても、お前がこの啓示を信じられる程度にはその一部を信ずることができるのだ。かつてもいったとおりわれわれは打ち勝つのだ。いな、打ち勝つべく定められているのである。まもなくお前も全世界も、この霊界通信が始めより終わりまで真理であることを理解し、悟り、感ずる時が来るであろう。これこそお前の待ち憧れた新時代だ。役目を終わった旧時代は再び帰って来ることはないであろう。あらゆる事物は一つの目標を指して運行しているのである。この新時代においては(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)人間は決して死なない(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)ものだということを(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)人類は(〇〇〇)()()()()()()。彼らは人間の弔いの儀式とは、ただ肉体を葬るだけのものであって、『真の人間』を葬るものではないことを悟るであろう。かつて知りかつて愛したところの(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)人は常にわれらの周囲に(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)その生前より(〇〇〇〇〇〇)も遙かに偉大に(〇〇〇〇〇〇〇)遙かに善良に(〇〇〇〇〇〇)永遠に幸福に(〇〇〇〇〇〇)悠久に(〇〇〇)無窮に(〇〇〇)神の祝福の微笑みを(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)自己の上に浴び(〇〇〇〇〇〇〇)ながら生きているのである(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)

「わが児よ、お前は今日わたしがお前にもたらしたこの通信が、何を目的とするものであるかが解るであろうが、なぜわたしは一瞬間前までは人類が沈んでゆく不幸の深淵――物凄い死――を描いてお前の心を打ったのである、その理由をお前は今理解できるであろう?同時にお前は肉体の死が決して不幸でないということを理解するであろう。お前の心の底はるかには、人間の魂がすべてを知り終に真理を知るであろうことを理解するであろう。お前は、もうすでに神の実在を理解し神を悟る能力なしには、決して地上の王者にはなれない時代が到達したことを理解するであろう。お前はかかる時代に生まれたのだ。もし今までに人間が神を理解し神を悟る能力があったならば、人類の不幸というものはこれまでに起こらなかったであろう。しかし人類はそんなに長く耐え忍んだのではない、わずか一秒間たったに過ぎないのである。なぜなら、実相は永遠であり、地上の不幸を舐めてきたすべての霊魂は、ただ()()()()として苦しみを嘗めたにすぎないのである。(しかし肉の人間は実相でないから(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)苦しみもまた実在では(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)()()()()のである(〇〇〇〇)。)実相としては人間は永遠である(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)されば人間は決して(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)いまだかつて苦しんだことはない(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)()()()()

「我が愛する児よ、わたしはかすかな光の閃きを、お前の魂に投げかけたにすぎないのである。これがすべてではない。わがなんじに告げんとする偉大なるメッセージの小部分をこれによって理解せよ。(もう)(ごん)(ぜつ)(りょ)、神秘不可思議な観念――永遠と神とこれによって理解せよ!

「なお続けよう。わずか数行であまりにも大いなる問題を取り扱った。お前の理解力ではこれを把むことができないであろう。しかしながら、これだけ語ればわが目的は達するのである。なぜなら、これだけでもお前の心の光を投げかけることになり、今日わたしが自身の埋葬の葬式に参列したということを語ったので、お前がわたしに尋ねたがっている幾百千の疑問に対する答えを、朧げながらもお前は把むであろう。

「われわれは生命の謎を真っ直ぐにほどいてゆくことはできない。なぜなら、人間は人間であり、それについてはただかすかな解決の光を捉えうるにすぎないのであるからだ。われらは順序を追うて組織的に進んで行かなければならないのだ。お前はわたしの子でありわたしはお前の親であるのだ。お前は『生命』と『死』と『永遠』とについて知らなければならない。お前はまだ人生を本当に知ることができないし、お前と同じく全世界もまたそうである。世界はまだ知ることができないが、やがてそれを学ぶであろう。みずから人生を知ったという自信のあったお前だ。人類の揺籃時代に相対照して、近代および他の世紀の歴史を描いたところのお前だ。しかしお前でさえもまだ本当に人生を知ることはできていないのだ。

「しかし、定められたとおりに時はめぐり来ったのである。お前は、お前の歴史を消し去ることができる。お前は今までまだ人類の幼稚園にいたのである。今はじめてお前は天の光の一閃に触れるであろう。では、これで今日はさようなら。お前の親しき師なる父より。」