しおんじやま古墳は、漢字では「心合寺山古墳」と書きます。国史跡。
古墳の名前は、古墳の西側に飛鳥時代後期につくられた秦興寺(しんこうじ)に由来するとか。「秦」は秦氏と関係あるんでしょうか?
今日はぽかぽか陽気で、古墳周濠の池ではハシビロガモ(写真)やカイツブリが遊んだり居眠りしたりしていました。
5世紀前半、古墳時代中期につくられた北・中河内で最大の古墳だそうです。
この地域を治めた人物の墓だと考えられています。
古墳の頂上からは、東の高安山麓(生駒山地)や西に広がる河内(大阪)平野までを展望することができます。
ここには「八尾市立しんおんじやま古墳学習館」があります。
展示室は有料で250円。駐車場は有料100円で、時間が長くなると僅かに上がります(忘れた)。
史跡整備は、2005年に完成しています。
それまでに、むろん発掘調査が10年かけて行われたとのこと。
古墳の位置は、現代地図では大阪湾からかなり内陸部に入った生駒山麓になりますが、古地図を見ると、河内湖が迫ってきています。河内湖は、海につながっていたので、汽水湖でしょう。渡来の人々も、ヤマトの人々も、ここを往来し、古墳の威容を仰いだに違いありません。(大山古墳・仁徳天皇陵にはかないませんが)
なお、古地図にある何本もの川は、大和川です。大和川は、江戸時代に(1704年)に流路変更の大土木工事によって、現在の堺市方向に付け替えられました。
大和川の本流が見えなくなった大阪平野を十三峠から鳥瞰しました。この峠の麓にしんおんじやま古墳があります。
ココは、昔、湖、あるいは海だった。そうすると、長期スパンで見れば、変化しない地形があると思うのは勘違いなんでしょうね。「変化することだけが不変の真理だ」と言ったのは誰だったか? 忘れました。(最近物忘れ多し)
2024.2.17