鶴見緑地3「咲くやこの花館(大温室) その③」 | ふるさとの四季を歩く〜マサの写真ブログ

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鶴見緑地「咲くやこの花館(大温室)  その②」の続きになります。

 

 

ここで、あらためて「咲くやこの花館」の名称由来・豆知識を仕入れることにします。

 

 

 

 

例によってWikipediaさんにご登場いただきます。

 

[名称の「咲くやこの花館」は、当時一般公募で決定したもので、『古今和歌集』の「難波津の歌」(難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花)に由来するという。]

 

 

 

へえー、『古今和歌集』ですか。そんな昔の歌から名付けられたんだ。

 

それで思い出しました。数年前のことですが、某クラブの文学散歩で大阪市生野区桃谷の神社へ立ち寄った時に、この「難波津」の歌碑がありましたね。

 

 

 

今回その時(2020)の写真を探し出しましたので、何枚か載せます。
 
 
 
 
ここは御幸森天満宮の境内です。立派な歌碑です。
 
 
「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花」
 
 
訳:難波津に梅の花が咲いている。冬ごもりをして、今こそ春が来たといって梅の花が咲いている。この和歌は、百済から日本に渡来し、儒教や漢字を伝えたという王仁が仁徳天皇の即位を祝って詠んだ歌といわれています。(ネットより引用。「小野田高等学校小倉百人一首かるた部顧問 青池のぞみ」さんの署名あり)
 
 
 
 
なんで御幸森天満宮(みゆきのもりてんまぐう)にこの和歌があるかというと、この神社の御祭神は仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命の3霊なんですね。少彦名命、忍坂彦命さんは、おいときまして……仁徳天皇です。
 
 
 
仁徳天皇と御幸森天満宮の関係は、天皇が鷹狩りの折り、この森(御幸森)に休憩されたとか。そして天皇崩御の後、この森に社を建立し天皇の神霊を奉祀したということです。
 
なーる。それで御幸森天満宮に「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花」の歌碑があるんですね。
 
 
 
 
なお、仁徳天皇在位の千六百年程前、この地は「猪飼野(いかいの)」と呼ばれ、多くの渡来人がやってきたといいます。また古墳時代から飛鳥時代には多数の百済国の人が移り住んだ。その後も半島との有縁の歴史を経て今日、賑やかなコリアタウンが形成されています。たぶんこの方々が歌碑建立に尽力されたものと推測します。
 
 
 
 
ちょっと横道にそれすぎましたね。
 
大温室の花たちの紹介に戻ります。
温室内の「ロータスガーデン」です。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは「熱帯雨林エリア」かな。

 

 

 

 

変なの。

幹に直接実が成る。

 

 

ヤマアラシちゃいます。

 

 

 

さて、最後にランチにしませう。

 

大温室の中のレストランに入りました。

メニューはカレーやカツなどいろいろありましたが、「ハンバーグ定食」(1100円)にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の機会があるならば、コンビニおむすび持ち込みしたいと思います。

 

 

 

 

鶴見緑地4「探梅編」(終章)へ続く

 

2024.1.28

 

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