『土蜘蛛』ってなんだ? | ふるさとの四季を歩く〜マサの写真ブログ

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徒然日記です。
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冷たい雨が降る今日は、お昼にうどん屋さんへ行っただけで、あとはおうちに引き篭もっておりました。

なので、時間にまかせ、前から気になっていた『土蜘蛛』ゆかりの地に行った時(昨日なんですけど)のことを書きました。ちょっと長いです🙇

興味ない方もおられると思います。その場合は飛ばしてください。


金剛山の東麓「高天(たかま)」の地は、神話に出てくる「高天原」の舞台になった場所と言われています。

現在の行政区は御所(ごせ)市ですが、歴史的に古代葛城(かつらぎ)地方の枢要地と見られているようです。



そこにある高天彦神社の『神霊』の石碑にはこんな言葉が刻まれています。


「金剛山の中腹 小盆地を抱き 僅かに十数個の民家を置く。正に蓬莱 仙境の如し。此の地に社あり。森厳荘厳霊気地に満ち森羅万象総て神霊を帯ぶかに見ゆ。」(抜粋)

当地には、この文章の作者(南風という人らしい)が感じたとおりの雰囲気があります。正に霊気感じるところです。


が、今日はそのことではなく、近くにあるという「蜘蛛窟」を訪ねてみます。
これまで気に留めず一度も行ったことがありませんでしたから。



さて、「蜘蛛」は「土蜘蛛」のことですね。
日本各地に俗伝?あるようですが、近傍の有名なところでは、一言主神社(御所市)の境内に「土蜘蛛塚」があります。

ここで、土蜘蛛とは一体何者?ということですが、長い歴史の中で神話や俗伝、あるいは能楽文芸によって変容されて今日に至っているようですのでほんとうのところ、どんな人たちを指しているのかわかりません。と言うか、奥深くて勉強しきれておりません。

一般的には「土蜘蛛とは大和朝廷に帰服しない未開の人間集団で、常に穴居生活をしていた」ととらえられているようです。

では、これから行く高天の「蜘蛛窟」とはどんなところでしょう? 「窟」と言うからには穴倉なのでしょうか?



というわけで(長いのう笑)、神社の駐車場から田んぼ道を経由して、人一人が通れる幅の山道に入ります。

案内標識によれば僅かに数十メートルの距離なのですが結構遠いように感じられます。



しばらくして着いた山中のその場所は、そこだけ樹林が疎で窪んでおりました。「蜘蛛窟」の石標が建ち、木の幹に説明ペーパーが巻き付けてありました。ほかは何もありません。



周囲を見回しますと、その窪地は見ようによっては、縄文時代の竪穴住居の跡のようにも見えます。

なので、土蜘蛛は、押し寄せて来た弥生人集団によって追い立てられた縄文人だったのかもしれないなあ…などと夢想しました。



そう言えば、日本書紀の「神武紀」には「葛城の地名は、葛(くず)の網で土蜘蛛を掩殺(えんさつ)したことによる」とあるようです。

このこと知ってちょっとショックです。



もう引っ返しましょう笑

いろいろ考えさせられる「蜘蛛窟」訪問でした。

2022.2.13