子供の頃は桑田佳祐が好きだった。今でも意味がわからない。親の影響だと思う。
特に「とおりゃんせ」だとか「ヨイトマケの唄」は、好きだった。
しかし桑田佳祐は、イデオロギー的にはよくわからない、政権批判したのかと思えば、百田尚樹の映画の主題歌を提供したりする。

デヴィッド・ボウイはこの点で、死んだ今でも物議を呼んでいる。
ナチスをモチーフにしたライブ、そして「ヒトラーは、ロックスターだった。」という発言。
しかし、これだけだと意味がわからない。ヒトラーの何がロックスターなのだろうか?
どこかの医院長みたいに「アウシュビッツもホロコーストもなかった」だとか歴史修正発現をしているならまだしも、不十分だ。
理解するには、デヴィット・ボウイにとってのロックスターとは何だったのかを探る必要がある。
そこで、二つの曲の内容を取り上げてみることにする。


Starman

 

 

五作目のアルバム「ジギー・スターダスト」からの代表曲である。
このアルバムは架空のスーパースター「ジギー」の成功から没落を、曲によって一つの物語に構成している。

 何時(なんじ)だったか覚えてないけど 陽は低かったな
 僕は流れるラジオに気を取られてた
 どこかの男がロックについて 持論を主張しながら
 “もっと溢れるロック魂をくれよ!”って言った時
 ラジオの大きな音が次第に消えてく感じがして
 ゆっくりした声みたいなものがフェーズに乗って戻ってきた
 それはDJのものじゃなくて 漠然とした宇宙のスウィングだったんだ

ロックはここの「DJ」が声高に叫ぶようなものではない。じゃあ何か?「宇宙からくる」
結局漠然とした形であるが、それこそがボウイが求めているもののような気もする。はっきりしないのだ。

★(Blackstar)

 

 

この作品は、ボウイの遺作となった作品だ。亡くなる二日前にリリースだというのだからもはや何か取り憑いている。
10分に渡って、詩的に問がくりかえされる。これからただ必要な箇所を抜き出しをするなんて、悍ましい行為な気もする。
彼は、最後までロックスターとは何かを求め続けた。

 なぜだか答えられない (俺はブラックスター)
 俺と一緒に行こう (俺は映画スターじゃない)
 君を家まで連れて行く (俺はブラックスター)
 パスポートを持って 靴を履いて (俺はポップスターじゃない)
 鎮静剤も (俺はブラックスター)
 君は一瞬の輝きで終わる (俺はコミックスターじゃない)
 俺は偉大な俺なんだ (俺はブラックスター)

オーメンだの言いながらブラックスターを名乗った割に、「家まで帰してやる。パスポート持て、靴を履け」
やけに親切なやつである。彼のイコンと人物が一致していると思えない。
そして「彼」が死ぬ(この人物かはわからない)明らかにボウイ自身の死だ。そしてブラックスターが生まれる。


彼の彼らのロックスターというのは、主義だとかそんなことは二の次なのだ。注目を浴びること自体が重要だ。ヒトラーにひかれたのも、おそらくそれだけだ。
生肉まみれの服を着たり、不倫したりに大した意味があるわけではない。
もちろん、彼らにも主張はあって、ボウイの場合は「スペースオデッセイ」にそれがよく出ていた。だが、強く出すことはない。

ボウイはこんなことも言っている
rollingstonejap..ail/25418/1/1/1
「この頃、ロックンロールに失望してるんだ。あらゆるメディアの影響力を利用してプロパガンダをまき散らし続ける、腰の重い非生産的なファシストみたいになる危険をはらんでいる。
思考のレベルや知性の明晰さを支配し決定してしまうから、向上できなくなるんだ。もう、どのラジオもベートーベンなんて流してないだろ? 聴くならオージェイズだ。」
まさに今のほとんどのメディアは「思考のレベルや知性の明晰さを支配し決定」してしまっている。
だから、ネットの世界ではボウイ・ダルビッシュ・プーチン、観念で何にでもなれるし、何も生み出せない。
自分自身が向上することなんて、どうでもいい、クラシックはいらない、本もいらない。自分は一日「こなせればいい」。
しかし、ボウイはその対象であるスターに意味を求め、スターであり続けた。それが彼の残した物、ブラックスターなのかもしれない。