仏教は聖徳太子(厩戸皇子)が「和をもって尊しとなす」考えから日本に取り入れ、ここから広まっていったというのが一般的だ。
言わば皇室側から認可された国体即仏法の状態で、法然が登場、親鸞が浄土真宗を開き、日蓮・・・
これを切り離そうと試みるのは、本居宣長など国学で仏教を否定した人物まで待たなければならない。
「漢意」と言った外来思想が流れてくる前の、「皇国心」に戻そうという考えだ。
とは言うものの、本居宣長も熱心な浄土真宗の家の出であった、つまり結局は「他力」の思想だ。
そこで「真俗二諦」という解釈が登場してくる。
「真俗二諦」という言葉は仏教用語で、宗派によっては多少解釈が異なるが、
「真諦」は、仏教的な世界、観念的なもの。
「俗諦」というのは、とは言え、世間に出たら仏法よりは法律であったり世間(国)の取り決めに従うことだ。
今風に言えば、いくらネットで好き放題やろうが、世間に戻ったらその鞘に収まるといったところか
宣長の考えだと「真諦」は漢意で、「俗諦」が大和心となる。
このような二分法的な考え方は、主に浄土真宗によって既に確立されていたというわけだ。
しかし、これだと個人の観念などを切り離すのならば、そもそも世間(国)とは何が作り出すのか?というところが問題になる。
それを作り出す物こそ、親鸞が強く唱えた「他力」である。「冥衆護持」こそがこれに誘う。
だから民衆は「一君万民」、平等なんだ、ということである。
他力とは外側にある力、カトリックと同じである。異なるところは「選択的な一神教」であることだ。
だから、宣長にとってそれは天皇で、国学によって引き継がれおそらくは終戦までそうであり続けたし、時には解釈で軍部に変わったりした。
