書き忘れたが、第十一章ジッダの脚注1はあくまでロレンスの見方の要約である。もう一度付記しておく

大戦以前、オスマントルコではキリスト教世界とイスラーム教徒の聖戦(ジハード)に、ムスリム中のムスリムである彼らヒジャーズの協力は必要不可欠であると考えていた。
しかし、聖戦(ジハード)がキリスト教国ドイツと同盟を組むことは、教義(ドグマ)的にあってはならないという「頑固な」理由からシャリーフはトルコの要請を断る。
さらに、メソポタミアとシリアの(オスマントルコによる)被抑圧民の声に答え、彼は息子達と連絡をとり、トルコに対して反乱を起こしたのである。
ここでアヴドゥッラーを使い、英国の「支援」を約束させたのが、「フサイン=マクナホン条約」である。
彼によって汎イスラーム主義の超民族国家と、カイザーの世界計画にヒジャーズを協力させるというドイツの野望は打ち砕かれたのだが、英国はさらにその上から蓋をした。

これには客観的に見て誤りがある。ドイツにはここまで巻き込んだ世界計画は存在しなかった。
なぜなら大戦以前、アラブなどの植民地のほとんどは裏でイギリスと折り合いをつけていた。
だから、少なくとも始まる前から第一次世界大戦でここまでのことをやろうという考えは、あったはずがない。
WW1も勃発はしたが、世界大戦には至らない、クリスマスまでには終わる。中央同盟側も三国協商側も早期に決着のつく戦いだ、と初めは観ていた。
しかし、結果は塹壕戦の泥沼に陥り、これを突破する兵器が登場するまで打開せず、ほぼ5年は続いた。
ドイツは反乱が始まってもオスマン帝国にまかせて、アラブはほぼ放置である。
イギリスにとっても戦場はあくまで西部戦線であって、アラビアでの作戦はスエズ運河の確保以上は望んでいない。
(後にロレンスの思わぬ成功によって方針を転換したが)

ロレンスはこうも記している、
「この奇怪な歴史の二章を、シャリーフは謀反という単なる一事実で閉じたのだった。」
ロレンスとシャリーフで反乱の意義が異なっている。ロレンスはこれを恐らく宗教戦争という聖戦(ジ・ハード)と位置づけていた。
ドイツの存在を強調したのも、つまりはこれはキリスト教世界との宗教戦争なのだ。これにイギリスを含めたキリスト教世界が侵略を行っている。だからアラブ人は団結しなければならない。という、そういった論理が見て取れる。
だが、これを宗教戦争と位置づけるのには無理がある。
是非はともかくとして今過激派組織が行っている行動の方がよほど宗教戦争だ。「テロ」などという言葉は行為に過ぎない、行為と戦うことはできない。