映画の方の筆は進まない、自身の知識が乏しすぎる。
もし本が伝えたいことをその内容で8割は内包するならば、映画は良くて2・3割ぐらいしか描けないだろう。
だから映画は単純明快な、例えば勧善懲悪というような図式が好まれるし、そうしないとほとんどは興行的にうまくいかない。
だが、「アラビアのロレンス」という映画は「お前はこの空白どう埋めるんじゃゴラ」と暴力的に叩きつけている。
しかもこの映画の空白というのは、だいたいピースが決まっている。こんなものが大衆にうけたのは、察するに時代とリーンの手腕故だ。
そんな訳で、こういったあとから肉付けする自身の行為は、知識武装を怠った惨めな敗残処理に他ならない。
序章でアラブとアラブ人に対して、自らの理想を実現させるための冷徹なまでの考察(石原莞爾を彷彿とさせる)を永遠と書き綴っていたロレンスだが、
ようやくというか、ここでは文学者としての一面を覗かせる。
トルコ国会副議長でありながら反乱を起こしたアブドゥッラー、ロレンス、エジプト軍将校サイイド・アリ―など(多すぎるから割愛する)がジッダの英国領事館で夕食会をしている。
彼らはウィルソン大佐が捕虜にしたトルコ人楽団の演奏するトルコ音楽に飽き、ドイツの曲を所望する。そこでちょうどメッカにいるシャリーフ*1が受話器をとって宴会の音楽を聞き始める。
最悪のタイミングである。彼らは「Deutschland über alles」(世界に冠たる我がドイツ)を演奏し始める。
シャリーフの地獄耳を知ってか知らずか、この反乱者どもはもっとやれと要求し、続けて「Ein feste Burg」(神はわがやぐら*2)
最後には「Hynm of Hate」(憎しみの賛歌*3)が演奏され、サイイド・アリ―はアブドゥッラーを顧みてこう言う、「死の行進*4だ。」と
一同はどっと笑いに包まれた。
面白すぎてもはや感想も何もないのだが、ロレンスの最後の一文には人間的な憐れみを感じる。
「かわいそうな学隊員には、報酬と宴会の余り物を取らせた。われわれの賞賛を楽しむことのできなかった彼らは、家郷に戻りたいと願うのみだった。」
彼と同じように、不穏を察知することができたファイサルⅠ世は、ロレンスに見出されることになった、ということであろう。
*1フサイン・ブン・アリ―のこと アブドゥッラーは彼の次男、三男がロレンスが見出すファイサル1世
ロレンス談では「体面を重んじ、抜け目がなく、頑固で、しかもきわめて信心深かった」
大戦以前、オスマントルコではキリスト教世界とイスラーム教徒の聖戦(ジハード)に、ムスリム中のムスリムである彼らヒジャーズの協力は必要不可欠であると考えていた。
しかし、聖戦(ジハード)がキリスト教国ドイツと同盟を組むことは、教義(ドグマ)的にあってはならないという「頑固な」理由からシャリーフはトルコの要請を断る。
さらに、メソポタミアとシリアの(オスマントルコによる)被抑圧民の声に答え、彼は息子達と連絡をとり、トルコに対して反乱を起こしたのである。
ここでアヴドゥッラーを使い、英国の「支援」を約束させたのが、「フサイン=マクナホン条約」である。
彼によって汎イスラーム主義の超民族国家と、カイザーの世界計画にヒジャーズを協力させるというドイツの野望は打ち砕かれたのだが、英国はさらにその上から蓋をした。
*2 旧約詩篇第四六篇に基づきルターが作詞作曲した賛美歌。1―2「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとえ地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。」
*3プロイセン出身のユダヤ人ドイツ民族主義者リッサウアーの曲「神よイングランドを懲らしめたまえ!」のリフレーンなど、ひどい歌詞である。もちろんこのトルコの楽隊が歌詞の内容まで知っていたとは到底思えない。
ちなみにyoutubeで上げたりしても即削除される。
*4捕虜の強制連行
