ここ数年自分自身で毎年恒例みたいになってますけども今年も憲法記念日に憲法に関する講演を聞きに行ってきました。一昨年は長野県伊那市にある伊那文化会館に行き去年は水道橋にある日本大学に行きまして、今年は本郷にある東京大学に行ってきました。
こちらがパンフレット。
場所は本郷三丁目駅から徒歩数分です。
着きまして、有名な東大赤門。
門通りたかったですが耐震補強工事中とのことで閉鎖されてまして別の入り口から入構しました。
東大キャンパス内。
東大というだけあって荘厳な雰囲気がありました。銀杏並木も見応えがありよかったです。でも大学のキャンパスとしては別に普通かな^ ^
全共闘事件での「解放区」となった場所、安田講堂。
一度見てみたかったので来れてよかったです。
さて講演は13時半からで、場所は法文1号館25番教室でした。写真撮影は不可とのことで室内の写真は撮れませんでした。
講演は、
西谷修氏の「終末論的西洋と21世紀の戦争」
愛敬浩二氏の「『表現の不自由展・その後』のその後」
でした。
西谷氏の講演は、現在ロシアとウクライナの戦争が起きていることもあり今再び世界が戦争の気配に覆われている。戦争は「法を生み出す暴力」と言えるから憲法と戦争は深いつながりがある。ということでとても興味深いお話でした。
この記事では愛敬浩二氏の表現の自由に関する講演を聞いて思ったことを少し話したいかなと思います。他にもいろいろ思うところありますが全部書くとキリがないので。
愛敬氏のお話は簡単に言うと、公人が芸術を語るにはその最低限の知識は必要であり、また芸術における表現の自由はどこまで許容されうるか。例えば鑑賞者に不快感を与える展示物は展示を禁止するべきか。それはヘイトスピーチの禁止と区別できるのか。
興味深かったのは、
「芸術とは芸術作品と鑑賞者との純粋な出会いではなく画商や批評家などからなる総体であり、政治的な駆け引きや経済的な力学がそこに渦巻く世界なのである」
「芸術とは個人的・主観的な好き嫌いのレヴェルをはるかに超えたものであって、普遍的にして哲学的なものであるがゆえに芸術を見るためにはその知識が不可欠である」
という文献でした。
思うに芸術とは鑑賞者の尊厳を傷つけるものは許されないが好き嫌いの範囲内であれば表現の自由の範囲内として許される、ということかなと。「気分がいいものは許される、気分が悪いものは許されない」ではないということですかね。
ヘイトスピーチに関しても、『〇〇人は悪だ』とか『〇〇人は出て行け』とかいうのはダメだと思うし、個人の主観であれば法には抵触しないのかもしれないけど、ヘイトスピーチなんてなくなっていいね。