看板をみて歩く、秋のひとときをぶらりと。
最近の繁華街を夕どき。
客引きのしつこさをかいくぐりながらの煩わしさ、しきり。
競争激しいのは、勘弁してほしい。
のんびり、酒の飲めるところを探しているのだから。
こんな思い、していませんか。とくに最近。

そんな時に箱看板がおもしろい。
ピンキリだが、なかには通りすぎてなお振り返ってみてしまう箱看板も。
手作りならなおいい。
むかしならさしずめ、『赤提灯か縄暖簾』。
小汚ない『営業中』の札の裏表に、風情があったものだ。箱看板なんぞ、高級オシャレなものだった。
いま、箱看板がやけにおもしろい。
2014 10 秋。
神無月というらしい。

サン画廊の住人



同人誌とbarカウンターが、静かなa-house(えーはうす)に。
60を過ぎて文学や歌やjazzを少しは味わえるようになってきたと、店に居合わせた男性が。
いまはいい時代だ。
酒が飲めるし、音楽も自由に聴くことができる。
昔が出来なかったかって?
「わからなかった、だけさ!」と。
聞こえるか聞こえないかのようなことばが、流れた。
moon light セレナーデがこの店に流れていた。♪
気がつけば夏は、おわったらしい。
「おぅ!、一緒にやらないか?」a-houseで。
一冊の同人誌がそこに、あるから~。♪♯♭

なんでこんなことを、と。ふと想い見ることがときどき、ある。
貝ひろい。友人N氏は同い年の男性で、いまは自由人。実家の西伊豆松崎と住まいの相模原を定期的に往き来している。松崎に帰り、暇があれば貝を拾う。拾ってはこれを洗い、種類に分けて貯めていく。それがたのしく、ひとり人影もない浜で小さな貝を探して歩いていることが至福の時間だとまで。
生きていることに何か目的があるとしたら、彼は貝ひろい。ただ愉しいから貝を拾うといい、それをどうするは二の次。小さな貝をたくさん瓶につめてフリーマーケットや売店などで売ってみたり、親しい者にプレゼントしたりしているばかりだ。
たしかに、そんな生き方、楽しみ方、時間の過ごし方もありかなと思う。
さて自分は、となれば。
似たようなことをしているのかもしれない。あえて何が違うかといえば・・・・・。
知らず知らずに好きな貝を並べていた。

またひとつ、時が流れた。

ことしも夏が。
とりわけこの8月。「おくる」ことに、いつもと違うおもいがありました。
あまりにも世代が同じで亡くなってしまった友。一人ならずもちらほら。F氏、T君、M。ここ半年の間に。
正直、悲しいかな鎮魂のすべを知らない。
上滑りの言葉も、葬儀、法要の作法もいまの自分には響かない。
なぜだろう?

ひとり、野の草をバッタにかえて夏の暑さが終わる頃にこのバッタを大地に。
秋、冬をへてまたどこかに生まれ変われるような小さなゆめをバッタに託して。
2014年8月、暑さの真っ直中で。


気に入っているのは前の面と後ろ面の彫ったデザインです。さて、いくら貯まるでしょう~?!木製の貯金箱です。小さめの賽銭箱で大きめの貯金箱!




おおきなトンボだ

接写しても逃げることなく
暑さをしのいで止まっています
川風はときおり
でもほとんど効果なし
話しかけてみたことがふたつ
これからどちらへ
あいつはどこへ
松本の夏をことしはみることのなかったものへ
松本城へはもう数百メートル

だれでもつくれる、草バッタ。

夏休みの思い出に、作りたいひとにはいくらでもお教えしますよ。
28年ほどまえ、伝授?!された遊びのバッタは年を重ねて平和を祈る「鎮魂バッタ」になりました。材料は道ばたのすすきとか。
道工もなしでつくれる。
ひとつのおもいを手づくりバッタにたくして。平和で、あれ。
仲秋の名月までには、立派な鎮魂バッタを誰

かのためにつくってください。
つくれなくても道ばたのすすきがあまたの平和を祈るバッタになって。秋風とともに、彼方へ。祈りの風は鎮魂のバッタと、な、れ、り。♪♪♪とか。
28年は、瞬く間のできごと。