「風寒し 破れ障子の 神無月」 と詠んだのは、俳諧の始祖とされる山崎宗鑑 なんだそうだが、もう10月なんですね。神無月というのは、文字通り「神のいない月」の意味で全国から出雲大社に神様が集まって1年の事を話し合うためとしている出雲大社の御師の説から来ているというのだが、出来れば神様たちには富士山に集まってもらいたいところです。(^-^)/
四季の変化や豊かな自然に恵まれた風土に生きてきた日本人は、森羅万象は、神々によって生み出され、神々が司っていると考えてきました。そんなわけで、山や森、岩や水などの自然物がに精霊が宿ると信じてきて、山や森に宿る精霊は、どこからやって来るどういう存在なのかを人々が知ろうとするようになります。そうして、名もない精霊は「神」として意識され、人間の生活に関係するようになり八百万の神として発展してきたのです。
で、その「神」=「カミ」が「紙」に繋がってくるわけです。日本全国各土地に先祖や功績のあった人を「守り神」として祭って崇められる社(やしろ)があり、鎮守の杜(もり)として大切にされてきました。社は和紙で作った白い飾りの神垂(しで)をしめ縄に下げたり、玉串、斉串(いぐし)、門松飾りにしたり、神事で新宮がお祓(はら)いをする時に使う賢木(かしこぎ)に神垂の束を付けた道具を御幣(ごへい)と呼んだり、神社にお参りして神主から御幣によるお祓いを受けて読み上げてもらう祝詞、お守り、御神籤(おみくじ)も全て紙であり、神と紙は通じるこの風習は、現代に受け継がれているのです。
破れてしまった障子紙には神様はいないのかもしれませんが・・・


