2024年1月28日 日曜日
所属教会で第二ミサの後講演会がありました。
今日は講演会を聴くために10時半からの第二ミサに参加。
第二ミサは相変わらず参加者が多いです。
旧約聖書の朗読箇所は申命記。
「毎日の読書」で先週は「申命記」からの引用箇所を読んでいたので感慨深かったです。
ミサは11時20分頃終わり。
休憩をはさんで予定より少し早めに11時38分開始。
講師は久保文彦先生です。
久保文彦先生の上智大学での研究者リストの紹介を貼っておきます。
久保先生もカトリックの洗礼を受けておられます。
ただし一般信徒であり、奥様は会社員との事です。
誤解が多いのですが、キリスト教では神父・牧師の聖職者の他に一般信徒でありながら神学・聖書学の研究をして一般の大学で教えている人も沢山います。
私がNHK文化センターで受講している山本芳久先生もそうです。
(余談ですがある読書会にもそんな人が一人いました。ただしその人は「兄弟愛」「隣人愛」が感じられない人であったとだけ申し上げておきます。)
1時間ほどの講演後、20分程度の質疑応答。
参加者はざっくりとですが70~80人はいたと思います。
無料とは言え、かなり多い人数でした。
アムネスティ・インターナショナルでもなかなか出せない数字です(^^;
私の教会は社会的課題に熱心な信徒が多いのでしょう。
町田にあるアムネスティグループも以前私の教会で年一回だけですが販売活動をしていたことがあります。
参加者の半分以上が女性だったと思います。
キリスト教では女性の方が熱心だったり、活発だったりする傾向がありますが、今回の講演もそうでした。
今回の講演はレジュメの配布がなく、スライドを見せながら久保先生が話しました。
山本先生の講義と同じ形式でした。
教会の説教を意識しているのでしょうか。
幸いノートに簡単にですがメモしましたのでそれを元に書きます。
自己紹介の後、講演に入ります。
箇条書きでまとめておきます。
・エコロジーとは「ともに暮らす家を大事にする」という事。
・キリストが教えたキリスト者にとって一番大事な祈り「主の祈り」の一番古い形は「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」は「私たちのパンを今日もお与えください」、そして「私たちの罪をおゆるしください」は「私たちの負債をおゆるしください」である。
どうしてイエスはそのような祈りを教えたのか。それはイエスの活動した当時のパレスチナは食べ物にも事欠く人が沢山いたし、負債を抱える人も多かったからである。
この「主の祈り」には旧約聖書的な考え方が背景にある。
・旧約聖書出エジプト記16章でエジプトを脱出したユダヤ人に神様が食糧を与えるエピソードがある。ユダヤ人が脱出したエジプトは「ナイルの賜物」と言われたくらい豊かだった。ユダヤ人たちは奴隷のままでいるのが嫌だったのでエジプトを脱出した。しかし約束の地カナンに向かうために荒れ野を通らねばならず、飢えに苦しむことになる。
そんなユダヤ人たちに神様はマナと言うパンを与えた。16章のマナのエピソードはパンが人が作ったものではなく、神様からの賜物である事を示すものである。
・すなわち人間は神様の作った「被造物」でしかない。「被造物」である人間の存在の根源は神様の意志に基づくものであることを示している。
・マタイによる福音書5章45節
「天の父は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。」
・アッシジのフランシスコの太陽の賛歌
・「微調整問題」。地球の大きさは人間が存在するのにちょうど良い大きさであり、太陽からの距離もそうである。
※この問題について検索したところ、ある牧師様の運営されているブログにこの問題を論じたものがありましたので貼っておきます。
・「ともに暮らす家」としての地球、そして「同じ家に住む家族」としての生命体
・創世記によれば人間は神の似姿として造られている。
・分配の正義、すなわちパンなどの生存に必要な資源が社会の成員に公正に分配される必要がある。
旧約聖書出エジプト記16章16節以下で神様が与えたマナを一オメルずつ集めるようにモーゼが命じたエピソード、あるいは「畑で穀物の刈り入れをするとき、一束を畠に置き忘れたら、それを取りに戻ってはならない、それは在留する他国の者、孤児、やもめのためのものである。そのように行えば、あなたの神、主はあなたのすべての業を祝福なさるであろう。」に始まる申命記24章19~22節にはこの「分配の正義」についての考えが述べられている
そしてマタイによる福音書4章4節「人はパンのみで生きるのではない、神の口からでる一つ一つの言葉により生きる」そしてマルコによる福音書6章30節以下のパンを増やしたエピソードは前述の旧約聖書の精神をふまえたものである。
・世界中の人々が日本と同じ生活をしていたら、地球は何個必要になるか、と想定して試算が行われている。結果は2個必要になる。
・出エジプト記23章12節で休息日を定めたのはいのちを守るため。
・「主の祈り」の「私たちの罪をおゆるし下さい」の本来の訳「私のを負債をおゆるし下さい」の意味は債務が返せなくなり、債務奴隷に陥り、神と人間の関係が壊れてしまうのを防ぐためである。
申命記15章1節は7年ごとに債務を免除することを定めている。
生態系のバランスを崩してしまう生活をしている現代人は誰かに債務を押し付けているのに等しい事をしている。
記憶が早くもあいまいになり、不正確な点も多々ありますが、概ねこのような内容でした。
久保先生ありがとうございます。
信徒の皆さんは真剣に聞いていました。
この後20分間質疑応答。
皆さん大変真剣な質問をしていました。
30~40代と思しきご夫婦が別々に異なる質問をしている例もありました。。
質疑応答はよく聞き取れなかったのですが、やはりこれ以上の気候変動などの環境悪化を招かないようにするには、生活をどのように改めたら良いですか、などのとても真剣な質問が出ました。
質疑応答の中で久保先生は世界全体では食料は十分に賄える量なのに、分配に偏りがあり、一部の国が食糧不足による被害を被っていると回答されました。
久保先生の講演内容についてどうしてカトリック教会と言う宗教団体が環境問題に取り組んでいるのか分からない、と言う声もあると思います。
その回答はこの本に示されています。
回勅 ラウダート・シ 「ともに暮らす家を大切に」
現教皇フランシスコ様が環境危機、社会的危機に対し信仰者としてどのように取り組むべきか、信徒に示した文書です。
久保先生の話の中でも「ともに暮らす家」と言及されていた通りで、この回勅の実践の一環としTえ今回の講演を行ったものです。
カトリック教会だけでなく、プロテスタント諸教会でも環境危機、あるいは社会的危機に対し、信仰者の立場から真剣に問題解決に取り組む人は多いです。
アフガニスタン支援で知られる故中村哲さん、国連難民高等弁務官としてユーゴ問題などの解決に当たった緒方貞子さんなどの名前を挙げる事が出来ます。
私が参加している国際人権団体アムネスティ・インターナショナルでも多くのクリスチャンが参加しています。
前の事務局長の中川さんもルーテル派でした。
今回久保先生の話された内容はとても難しい問題であり、解決に向けて一人一人がどう行動したらいいのか、安易には答えが出せない問題だと思います。
でも皆さんどんな小さなことでも良いから、何かしてみよう、と考えていたのは間違いありません。
私もアムネスティ・インターナショナルやUHNCR教会への寄付などささやかな活動をしていますが、それに満足せず、少しずつで良いからバージョンアップできるか模索しようと思います。
所属教会の信徒の皆さんと一緒に行う事が出来ればとても有難いです。
講演の後も久保先生と参加者数人で話が続いていました。
教会を出たのは1時過ぎ。
帰りの途中で昼食を摂り、帰宅しました。
今週も皆様に神様の恵みがありますように(^-^)