宇宙の微調整 | 大野純司のブログ

宇宙の微調整

 宇宙にはいくつもの法則や定数があります。生命の存在を可能にするためには、これらが微調整されていなければなりません。ほんの少しでもずれていたら、生命を可能にすることができないどころか、星や惑星の存在さえ不可能になります。無神論者のジェラント・ルイス博士と、有神論者のルーク・バーンズ博士は、共著A Fortunate Universe(幸運な宇宙)で、以下のように述べています。

 「我々の結論は、代替宇宙が、気圧が強すぎるとか、塩分が多すぎるとか、酸性が強すぎるとか、頑強な微生物でも汗をかくほど暑すぎるなどと言うものとは全く違う。…母数空間の極度は、熱いとか寒いとか言うものではない。原子は崩壊し、すべての化学反応は停止し、ブラックホールは潰れ、粒子が数兆年に一度ぶつかる宇宙の生活は永遠の孤独だ。」

 「代替宇宙」とは、実在する宇宙のように微調整できていない想像上の宇宙のことです。例えば、ニュートンが発見した引力の式は、

 F=Gx(m1xm2)/r^2

 Fは引力の大きさ、Gは重力の定数、m1とm2はそれぞれの物体の質量、rは物体間の距離です。Gが定数ですが、これが10の60乗分の1弱ければ、宇宙は広がりすぎて星は存在しません。逆に強すぎれば宇宙は縮んでしまい、潰れてしまうのです。

 宇宙の加速膨張は宇宙定数によって決まるそうですが、これはさらに微調整されています。10の90乗分の1ずれていたら、生命を維持できるような宇宙は存在しないそうです。

 コロンビア大学の物理学教授、ブライアン・グリーン博士は、生命が維持できるようにこれらの定数が微調整される確率は、10の124乗分の一だと述べています。宇宙に存在する原子の数が10の80乗と言われていますので、いかに低い確率であるかが分かります。

 微調整されなければいけないのは、法則や定数だけではありません。ノーベル賞受賞者のロジャー・ペンローズ博士によると、宇宙が誕生した時の質量やエネルギーのバランスも絶妙に微調整されているそうです。10の10乗の123乗分の1ずれていたら、生命を維持することは不可能であろうと述べています。

 フレッド・ホイル(ケンブリッジ大学教授)は、確執的な無神論者で、ビッグバンも哲学的に受け入れがたいとして、定常宇宙論(宇宙は永遠に存在する)を信じていました。彼は、その後、宇宙の微調整研究の先駆者となり、こう述べています。

 「この事実を常識的に解釈すれば、超知性的な何者かが物理をいじくったということだ。…自然界で無目的に働く力には、(微調整を説明するものとして)言及するに値するものはない。この事実に基づいた計算結果は、圧倒的で、疑いの余地がない。」

 「これらの数値が非常に細かく調整されて、生命の誕生を可能にしていることは、驚くべき事実だ。」(スティーブン・ホーキング、ケンブリッジ大学教授)

 「この宇宙の特徴を見て驚かないと主張する人は、砂の中に頭を埋めて隠れている。この特徴は、驚くべきことであり、あり得ないことだ。」(デイビッド・ドイッチュ、オックスフォード大学教授)

 宇宙の微調整を提唱する学者の多くが、無神論でありながら超知性の存在を示唆していることを見ても、この説が有神論の科学者の宗教的動機によるものではないことが分かります。

 オックスフォード大学のリチャード・ドーキンス教授は、生物学者としてよりも熱心な無神論者として有名です。彼は、「我々が観察する宇宙は、究極的に意図も目的も善悪もなく、盲目で情け容赦のない無関心以外には何もない、と仮定した場合に予想される属性をまさに備えている」と述べています。ドイッチュ氏によると、彼は頭を砂の中に埋めているということになるのでしょう。

 この驚くべき現象は、どのように説明できるでしょうか。そうなる必然性があるか、偶然か、そのどちらでもないとすれば意図されたものとしか考えられません。先程のホイル博士の発言にもあるように、生命維持可能な宇宙ができる必然性はありません。

 確率の低さを見ると、偶然こうなったと言うことは考えられませんが、この問題を説明するかもしれない一つの説が多元的宇宙です。多元的宇宙は無数の宇宙を創造するメカニズムが存在すると言う説です。無数の宇宙の中には、生命が可能なものもあり、私たちはその中の一つに住んでいると言うものです。

 そのメカニズムは、ひも理論とインフレーション宇宙論に基づく仮説で、仮説の上に建てられた仮説です。私たちの宇宙から他の宇宙を発見する、観察する、観測することはできませんので、実証することはできません。それどころか、無数の宇宙を生み出すメカニズム自体に微調整が必要となり、問題はさらに大きくなるばかりです。このように、多くの仮説を立てなければ説明できない説は、科学的根拠がしっかりしているとは言えません。

 最近、SF映画などでよく知られるようになりましたが、人気の理由の一つは、宇宙の微調整を説明できるかもしれないと言うことでしょう。これが、無神論科学者の心理的動機になっていると思われます。

 物理学者レオナルド・サスキンド博士は、これなしにはIDに反論することは難しいとしながらも、多元的宇宙で微調整を説明するのは止めるべきだと述べています。IDとは、インテリジェント・デザインの略で、知性のあるものが宇宙や生命をデザインしたと言う考え方です。すべてを説明できる説は、何の説明にもならないということです。

 2019年4月に「神と多元的宇宙」と言うブログを書きましたので、それも参考にしてください。これは、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校のブライアン・キーティング教授のビデオをそのまま訳したものですが、多元的宇宙を信じる無神論者の動機を批判しています。このブログを読んで、彼は有神論者だろうと推測した方は多いと思いますが、実は不可知論者(神が存在するかどうかは知り得ない)です。

 有名な無神論者であったクリストファー・ヒッチンス氏は、宇宙の微調整が有神論の最も強力な論拠であると述べています。しかし、もし神が宇宙を創造したのであれば、なぜもっと完璧な微調整をしなかったかと非難しています。

 しかし、これは彼の価値観に基づいた判断にすぎません。ゴキブリの大軍を見て、宇宙はなんてひどいところだと考える人もいるでしょう。しかし、多くの人は、「母なる自然」という言葉に表されるように、自然、あるいは宇宙を素晴らしいものだと考えます。いずれにしろ、これは科学とは関係ありません。微調整の仕方や程度が気に食わないということは、微調整されていないということにはならないのです。

 

 物理学者のサビナ・ホッセンベルダー博士は、その著書、Lost in Math: How Beauty Leads Science Astray(数学で道に迷う:美がどのように科学を迷わせるか)で、宇宙の微調整に科学的に答えることはできないと述べています。彼女は無神論者ですが、有神論の科学者はこの問題が形而上のものであることをわきまえていることが多いが、無神論者は物理的問題と捉えている人が多いと非難しています。

 そもそも、宇宙の歴史をさかのぼると、138億年前のビッグバンにたどり着きます。そこまでは物理学の世界です。それ以前は、物も空間もエネルギーも時間もない世界ですので、物理的なものは存在せず、物理学(physics)の対象ではありません。フェイスブックが最近社名を変えてメタにしましたが、メタとは、何かを「超える」と言う意味です。英語では、物理の前にメタをつけると、metaphysics、つまり形而上学になります。

 言い換えると、自然はビッグバンで始まり、それ以前は超自然で、自然科学の対象外です。しかし、唯物論者には、ビッグバン以前に何かが存在したと言う以外の選択はありません。何もないところから宇宙ができたということになれば、神のような形而上的存在を認めるよりほかないからです。

 ホーキングは、神のような形而上的存在は認めませんが、無の世界に法則が存在したと述べています。彼は、その著書「神はいらない」で、引力の法則があれば、the universe will create itselfと述べています。直訳すれば、「宇宙はそれ自体を創造する」です。「それ」は宇宙を指していますので、言い換えると、宇宙は宇宙を創造すると言うことになり、意味を成しません。また、宇宙が存在する以前から引力の法則があると言うのはどういうことでしょうか。

 オックスフォード大学の無神論者であるピーター・アトキンス教授は、全くの無から宇宙が生まれたと主張し、ビッグバン以前に何かがあったと主張する無神論者を非難しています。その彼も、無に関して説明を求められて、宇宙には正電荷と負電荷があり、差し引きするとゼロになるようなものだと述べています。資産と負債が同額であれば純資産がゼロになるという理論ですが、差し引きゼロでも正電荷と負電荷は存在するのでは…?

 多くの無神論の哲学者は、著名科学者がこのようなお粗末な哲学的コメントをすることを迷惑がっているようです。特にホーキングは、「神はいらない」で哲学は死んだと述べておきながら、哲学的コメントをしているので、哲学者にとっては面白くないでしょう。彼は、出版前にこれを削除するように言われたそうですが、本がよく売れるという理由でそのまま残したそうです。ホーキングもドーキンスも、哲学に関しては素人なのです。

 

 ギリシャ語にロゴス(logos)と言う言葉があります。これは、biology(生物学)やpsychology(心理学)などのように、学問を表す言葉の語尾によく使われます。言葉、理性、思考、言説、論理などの広範な概念を指します。古代ギリシャの哲学者たちは、「ロゴス」を宇宙の秩序や理性的な原理または真理に関連づけることがありました。

 新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、ロゴスと言う言葉が使われており、日本語聖書では「ことば」と訳されています。ヨハネによる福音書は、以下のように始まります。

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。」

 引力の法則が宇宙を生んだというのは理解に苦しみますが、ホーキングが主張するように、法則はビッグバンの前からあったのかもしれません。ホーキング同様、量子物理学の法則がビッグバン以前から存在し、それによって宇宙ができたと主張する学者もいますが、その多くは無神論者です。

 タフツ大学宇宙学研究所所長のアレキザンダー・ビレンキンもその一人です。しかし、彼は、その著書Many Worlds in Oneの最後に、物も空間も時間もエネルギーもないのに、この法則を一体「何に書くというのか」と自問しています。彼は、この疑問に答えてはいませんが、法則やそれを表す数式は、概念上のものであり、概念は知性に宿ると述べています。

 ニュートンに限らず、近代科学の先駆者たちは、神は秩序ある宇宙を創られたに違いないと考え、法則を発見したのです。聖書は、それはロゴスであり、ロゴスは神であると言っているのかもしれません。法則は、神と言う言葉に書かれているのではないでしょうか。宇宙ができる前に存在したのは神であり、法則は神の知性に宿っていたと考える方が、自然ではないでしょうか。