「郷土のスター達」今回は「山形県」をお送りします。

 「巨人、大鵬、卵焼き」に対抗して「大洋、柏戸、水割り」と言われた昭和の「柏鵬時代」を築き上げた名横綱「柏戸」を生んだ山形県。KKコンビ率いるPL学園に史上初毎回得点を許してしまい7-29で大敗した東海大山形など、なかなか野球レベルが上がってこなかった山形県。そんな山形県も数年前のセンバツでその東海大山形が県勢初のベスト8に入るなど、力をつけてきている山形県。

 そんな山形県が生んだ「最強打者」は・・・「広島の若き4番」「WBC原ジャパン 最後の侍」「実家が焼肉屋」「微笑みの4番」など今後の一層の成長が期待される「栗原健太選手」です。日大山形高校出身。入団当時の身体能力を表すデータは・・・背筋280kg、スクワット330kg、50m6.0秒。打って、走れる選手として期待されていた。現在は「辛いです。広島が大好きです。」と言いながら、甲子園のサードへ移籍して行った広島工業出身選手から赤ヘルの4番を引き継ぎ、前後の打者が頼りにならなずマークが厳しくなる中でもがき苦しんでいる。少し怪我が多い気がしますが、チームで唯一の長距離砲(個人的には、中距離打者で良いときのハム・二岡の様なイメージと思いますが)として奮戦中。体の割にバットコントロールが巧みで、三振が比較的少ない。「右へ引っ張るイメージ」で逆方向へ大きな打球を打てる数少ない打者(他には、中日・和田やベイ・村田、全盛期の鷹・多村など)。山形の野球発展と同様に今後が楽しみな和製大砲の一人。
 入団当初の50m6.0秒の俊足はどこへいったんでしょうか。昨年パリーグの盗塁王の西武・片岡が公表しているデータとして「50m 6.2秒」だったと思うので、この栗原のデータが本物であれば、もっと走れるはずでしょうが・・・。確かに、慢性的な腰の痛みを抱えています(ヘルニアです)。ちなみに先日の東京Dでの巨人戦。2塁ランナーとして出塁していた栗原がフィリップスのレフト前ヒットで本塁突入。守るレフトは、ご存知ラミちゃん。「余裕でセーフや!」と思いきや、弱肩ラミちゃんからの返球。最後は地面を転がる様な遅い返球に刺されてしまってました。
 「夢はメジャー」と公言しているコング栗原。メジャー行くなら、もっと長打を打てる様にならないと守るポジションが無いと思いますので、本気で目指すなら、西武・GG佐藤並にビルドアップして、「本塁打」に磨きをかけて欲しいです。

 そして「最強投手」の方は、「南海一筋17年」「楽天ノムさんと南海同期入団」「山形県米沢市出身」「最後の30勝投手」「県出身選手唯一の名球会メンバー(200勝投手)」「ホークスの歴代最多勝記録保持者」の「皆川睦男」投手です。かなりのオールドファンならご存知の南海黄金時代を長きに渡って支えた有名選手です。
 伝説的審判「二出川延明」審判員の被害者。二出川と言えば、皆川の投げたど真ん中のストライクを「ボール」と判定。「気持ちが入っていないからボールだ!」と言い放ったエピソードは有名。当時の状況は、相手チームの下位打線を迎えたイニングであり、皆川は完投を意識し、力をセーブしながら投げていた。ある打者にカウント「0-3」となったところで、ストライクを取りに行く甘いボール(ど真ん中のゆるい直球)を投げた。現在のプロ野球でも、「0-3」からは打者も見てくるので、ど真ん中へ半速球を投げても打たれる事はあまり無い。投手としては、少々甘くてもストライクを投げる状況。そして、皆川はある意味セオリー通りの1球を投じたわけである。そのど真ん中のゆるいストライクを「ボール」と判定されたのである。今同じジャッジをしていれば、謹慎処分どころでは無いと思われる。むしろ、「八百長疑惑」や「除名・解雇」などの話になってもおかしくない大事である。
 因にこの二出川さんは「オレがルールブックだ」や「写真が間違っている」などの現在の「ビデオ判定導入」の真逆を行く様な審判である。
 いつの間にか、二出川審判のネタになってしまいましたが、この皆川投手は現在の山形県程レベルが上がってきていない時代の出身選手としては異例の活躍ですね。今後、第二の皆川となれる投手が育ってくることを期待しましょう。次いでに「第二の二出川審判」も一緒にどうでしょうかね?

 <その他の選手>
広島・梅津(かなり細身のサイドスロー。190cm以上あり、リーチの長さをいかした投球フォームは打者からすると打ちにくそうである。あまり連投ができないタイプなので、使い方が難しいが、貴重な鯉の中継ぎエース。)

ホークス・長谷川(今年開花した若手有望選手。今シーズン当初から3割をキープし、オールスター出場を果たす。イメージで言うと、今年引退を決めた西武・清水の様なタイプ。ライナーで野手の間を抜く様な打球が持ち味。守備に少々課題があるが、足は速い方であり、盗塁もコンスタントに決める。酒田南高校時代から甲子園出場し見ているが、当時から内角のさばきには高校生離れした技術をもっていた印象がある。上手く体を回転させて反応して打っていた気がする。)

ヤクルト・佐藤賢(左のサイドスロー投手。大学時代に当時ドラフトの目玉選手・鳥谷を鳥谷目当てで来ていた大勢のスカウトの前で完全に抑えた事が評価され、プロに入った選手。ルーキー最初のキャンプで、ソバを食べて命を落としかけた選手。シーズン中に太ってしまう体重100kg以上、体脂肪率約30%とアスリートとは思えない選手。あだ名は「高見盛」や「なぎらさん」。)

元クアトロKの一員・加藤(ベイスターズ)、ルーキーで長谷川の後輩・小林(オリックス)、同じくルーキー鈴木(ホークス)といった、歴史的にはプロ野球選手が少ない山形県だが、その少ないプロ野球選手のほとんどが今の若い現役選手と言う事で、全国的にも非常に勢いのある県が山形県と言っても過言ではないだろう。山形県天童市名物・将棋の駒の様に、一歩一歩前進して行って、大金を稼げるスターに一人でも多くなって欲しいですね。


球坊主
 「郷土のスター達」シリーズも早くも第5回です。ここまで欠かさず見てくれた方、ありがとうございます。47都道府県が終わるまで、このまま続いていきますので最後までお付き合いをお願いします。

 今回は男鹿半島のある「秋田県」を取り上げたいと思います。

 秋田県は数多くのプロ野球選手を輩出していますが、その中でも極めて歴史的「大打者」と「大投手」がいます。まず、秋田を代表する「最強投手」と言えば、この人!サブマリン「山田久志」投手。この人は秋田県能代市出身。「アンダースロー初の200勝投手」「17年連続二桁勝利」「12年連続開幕投手」「3年連続シーズンMVP」「オールスター通算最多勝(7勝)」など数々の記録を打ち立てた球界を代表する大投手として活躍。プロ入り直後2年間と引退直前2年間を除けば、毎年15~20完投しており、投手分業制が確立した今では珍しくなった「先発完投型」の投手でもあった。
 そんな順風満帆に見える山田投手の現役生活ですが、実は一度引退を考え、球団に慰留されたことがあった。プロ入り7年目のオフ、それまで実は「速球投手」として活躍していたが、数年前に痛めた膝の影響で自慢のストレートの休息が落ち始めた。27歳の山田投手はこのシーズン限りで引退を一度は決意するも、もう一年駄目だったらその時は引退と覚悟。当時阪急の同僚でアンダースローの先輩・足立投手の決め球「シンカー」を手本に研究。引退後に「足立さんから教わっていれば、そんなもんか、で終わっていただろう。教えてくれなかった分、必死に習得した。」と話している。そして、魔球・シンカーを武器に「もう一年」と臨んだ76年のシーズンに26勝を挙げ復活を果たす。この年から未だに破られていない「3年連続シーズンMVP」を獲得している。ファミスタでの「やまだ」の落ちる球(当時はフォークだと思ってました)は確実に落ちていたので、相手が慣れてくると音の違いであっさり見送られて、四球自滅することが多々ありました。また、燃えろプロ野球での「アンダースロー」はあまりにも美しかったです。
 引退後も指導者として実績を残している。中日監督やWBC投手コーチを務め、ブレーブス・ブルーウェーブOB会長として、来シーズンのオリックス監督を依頼されると言った噂が立つ程、指導力には定評がある。今の中日の主力メンバー(荒木・井端の成長。岩瀬の育成。福留の外野コンバートなど。)の基礎を作ったと言われている。
 因に、地元・能代の能代球場は、現在「山田久志サブマリンスタジアム」と命名されている。まさに秋田に貢献し、秋田を代表する大投手であると断言できるであろう。
 尚、山田投手のシンカーの基礎となった足立投手は、ドカベンのサブマリン「里中くん」のモデルだと言われている。

 そして、秋田を代表する「最強打者」は、少し野球を知っている人ならご存知。誰もが子供の頃に真似をしたことがある「神主打法」や「ミスター三冠王」「オレ流」として有名な「落合博満」選手(現中日監督)。あの神業的な打撃とやる気のなさそうな一塁守備。まさに稀代の「打撃職人」。そんな落合の子供の頃は「映画オタク」だったらしいです。野球するより映画が大好きだったそうで、高校時代も練習せずに映画館に通ってたという逸話が残っています。ただ、持ち前の天賦の才により、まともに練習もせずに4番を打っていたらしく、この頃から天才的な打撃の一部が垣間見え始めます。
 東洋大学に進学するも、部に馴染まず半年で退部。大学も中退。プロボウラーを目指していた時期がある。落合が野球に戻ったきっかけが、スピード違反だったそうです。プロボウラー試験の日にスピード違反で罰金を払い、肝心の受験料が支払えなかったからだそうです(笑)。しかし、それによって、「プロ野球で3度の三冠王獲得」「日本人初の1億円プレーヤー」「1(ロッテ・落合)対4(中日・牛島、平沼など)のトレード」など山田投手同様に球界を代表する大打者として活躍。通算2371安打、510本塁打、1564打点、1475四球、通算打率.311(右打者日本人歴代最高)、史上唯一の両リーグ200本塁打達成など残した成績は全て驚異的である。常に個人的見解としてファミスタでの活躍ぶりを出して申し訳ないが、全盛期の落合は当たればホームラン状態だった。
 オレ流故、「最も高い条件(金額)を提示したところへ移籍する」など、メジャー代理人もびっくりの現実的な選手だった印象がある。あと、400勝投手「金やん」とは大の不仲らしい。ルーキー時代の落合に金やんが「あんな打撃フォームで打てる訳が無い」と酷評。ルーキーの落合は頑として聞く耳を持たず、その結果が史上最強の打者の一人として数えられるまでの打者になったのである。会長を務める「金やん」が嫌いと言う事と、記録の為に野球をしているのでは無いと言う理由から、名球会入りを拒否した唯一の選手。昔は「1999安打打ったら引退する」って発言をしていたこともあるらしい。
 まさに「オレ流」。イチローとの対談でも、当時イチローが密かに打撃フォームの中で試行錯誤をしている部分を対談の中であっさりと指摘。さすがのイチローも驚いていた。あと、意外にも落合自身が「自分と同じ打撃ができるのは阪急・石嶺だけ」との発言もある。そんなに石嶺って評価高かったの?と思ってしまいましたが。。。
 監督としても、就任後Aクラスを逃したシーズンが無いほどの「オレ流采配」を披露。しかし、子供の頃、野球より映画が好きだった落合が監督就任後は「12球団一厳しい練習」と言われる地獄の特訓(キャンプ)を毎年行っている。これが今の中日の強さに繋がっていることは間違いない。
 尚、落合は大「ガンダム」好きで、「落合記念館」には落合自身が作ったガンプラが多数展示されているらしい。そして、ゲルググにはかなりの思い入れがあるらしい。

 秋田というところは、不思議と今の中日ドラゴンズの安定した強さの基礎を作った人とそれを上手く操縦している人を生み出していた。秋田が無ければ、今の中日は無いと言うことになる(かなり強引な言い方だが。。。笑)。更に、アンダースローや神主打法といった正攻法ではない方法で結果を出してしまうところに、きりたんぽの様な「粘り」の努力となまはげの様な「貪欲さ」を感じ取る事ができる。

 因に、落合は郷土の先輩・山田をカモにしていました。


<その他の選手>
ヤクルト石川(通称カツオ。同僚・青木が命名。精密機械の様なコントロールを武器に、大勝ちするシーズンが無ければ、全く勝てないシーズンも無い。安定したツバメ軍団のエース。毎年12勝10敗といった形で貯金2~3つ作る堅実な投手。)

元巨人・小野(高校時代MAX152kmを武器に最年少で日本代表入りした左腕。ノンプロを経て、巨人へ逆指名入団。2軍でノーヒットノーランや1試合20奪三振など圧倒的な能力の違いを見せつけるも、1軍ではストライクが取れず、全く活躍できないまま、近鉄へ移籍。近鉄でもその持て余していた才能を開花させる事無く引退。花巻東の菊池君が第二の小野にならないことを願ってます。)

男・石井(いてまえ猛牛打線を引っ張り続けた4番。現西武の中島(中島を育てたのが元西武2軍監督を務めていた石井本人ですが・・・)の様なバットを頭の上で大きく構える豪快な打撃フォームからチャンスに強いバッティングを見せていた。4番コレクターの魔の手から逃れる事ができず、巨人へ移籍。出場機会が減少し、ロッテ・横浜と渡り歩いて引退。シンガーソングライターの岡村孝子は元奥さん。そう言えば、よく「拝啓、石井です」ってコーナー見てたな。)

元ダイエー足利(美しいアンダースローで投げていた投手。下柳、村松、内之倉とドラフト同期生。あの鷹の顔したヘルメット時代の弱きダイエー時代に平和台球場で投げていたのが印象的です。当時は個人的にアンダースローに憧れが強かったので、よく覚えている投手です。)

ソフトバンク摂津投手、オリックス後藤内野手、西武藤田投手、ロッテ木村投手、ヤクルト鎌田投手、日ハム中嶋捕手など多数のプロ野球選手を送り込んでいる秋田県でした。


球坊主
 「郷土のスター達」第4回は、全国屈指のスポーツ留学先として名高い本州最北端の地「青森県」です。

 青森と言えば、元祖甲子園スーパーアイドル「太田幸司投手」。元近鉄バファローズドラフト1位投手。現日本女子プロ野球スーパーバイザーの役職につく有名選手。夏の甲子園名勝負と言われれば、レッドソックス松坂率いる横浜vs日テレアナウンサー上重率いるPL学園の試合と並び必ず挙げられる青森三沢高校vs愛媛松山商業の決勝戦。延長18回0-0引き分け再試合となった伝説的試合。2日間で27イニングを一人で投げ抜いたエースとして甲子園でヒーローとなった。ウィキペディアによると、母がロシア人で本人はハーフとのこと。色白で端正な顔立ちも手伝って、アイドル「コーちゃん」としてプロ入り後も人気が続いた。
 プロ入り直後は人気が先攻しており、1年目は1軍実績がないままオールスターにファン投票で選出されていた。近鉄で数年間活躍したのち、巨人へ移籍。翌年阪神へ移籍し、阪神で1年間プレーするも現役を引退。現在は、解説者やタレントとして関西を主戦場に活躍されています。

 しかし、太田投手は青森が生んだ「最強」投手ではありません!(ここまで書いておいて何だ!とお叱りはごもっともですが・・・)実は、「出身地」=「出生地」と定義している以上これから紹介する投手が「最強投手」です。それが・・・WBC2大会連続MVP獲得、現レッドソックス投手「松坂大輔」投手です。実は、ご両親が北海道と青森出身ということで、松坂投手も生まれは「青森県青森市」です。甲子園では「怪物」として大活躍し、横浜高校を春夏連覇に導くなど抜群の実績を残しました。彼の同級生が数多くプロ入りし、「松坂世代」という言葉まで誕生させてしまうぐらい影響を与えた選手。
 皆さんご存知の通り、プロ入り1年目から西武で大活躍。その後、メジャー・レッドソックスからポスティングで約60億円の入札。西武はこの「松坂ファンド」でかなり潤ったと思われます。本人も6年61億のメジャー実績ゼロの投手としては異例の条件で契約。メジャー2年連続二桁勝利を果たすなど、日本が世界へ誇る大投手となり、現在でも活躍しています。
 横浜高校時代にバッテリーを組んでいた小山捕手も大学・ノンプロを経て中日へ入団。その後、戦力外となり「プロのブルペン捕手になる」と言って、中日のブルペン捕手に。今春のWBC代表チームのプルペン捕手として参加、(知る限りでは、オレ流チームから唯一のWBC参加者ということになります)胴上げまでされて、本人の宣言通りに「プロのブルペン捕手」になったと思われます(話が脱線しました・・・)。

 では「最強打者」は?と言うと・・・、県出身者で唯一通算本塁打100本超の実績を残した、ミスターアッパースイングこと元広島「長内孝」選手。最近では珍しい、神奈川の名門・桐蔭学園から直接プロ入りした選手です。プロ入り後は一塁のレギュラー獲得。しばらく安泰かと思いきや、似た様なアッパースイング気味の左打ちバッター・「赤ヘルの若大将」こと小早川選手が広島へ入団。小早川の入団によって、長内は外野へコンバート。「ミスター赤ヘル」と「鉄人」が抜けた後の「投手王国」広島を渋い打撃で支えた選手でした。この頃の広島は、機動力野球真っただ中であり、中軸クリーンアップが「長内・小早川・西田」の和製左打トリオでした。当時のファミスタでは、高橋慶彦、山崎隆造の1、2番コンビでチャンスメイクしても、なかなか中軸が打てなくて、私はかなり苦しんでました。。。
 そんな長内選手も引退後、コーチとして広島で約10年指導した後、現在は広島で「野球鳥おさない」を経営しているらしいです(ウィキペディア参照)。

 松坂投手は意外な出身者でしたが、青森は他にも個性的な選手を生み出しており、プロ野球を愛する玄人にとってはたまらない「調味料」の様な役割を果たしていることが分かりました。決して名選手がいるわけではないが、「あ~、渋いな~!」って思わせる選手を生み出す傾向にある県と言えるでしょう。

 <その他の選手>
 西武・細川(楽天ノムさんが日本代表に何故、細川を入れないんだと苦言を呈していた程評価されている西武の本来の正捕手。今シーズンは不振により先発から外れる事が多いが、実力はある西武の「若頭」。イケメンが揃う西武の中で唯一、昭和の臭いを感じさせてくれる選手。)

 元阪神・葛西(野茂英雄の外れ1位として阪神に入団。無く子も黙る元祖・勝利の方程式。暗黒時代の野村阪神を身を粉にして支えた中継ぎエース。「遠山ー葛西ー遠山ー葛西」のリレーは、当時甲子園が盛り上がる唯一の瞬間だった気がします。プロ野球チップスのカードで、1枚に「遠山」と「葛西」が一緒に載ってたらしく、遠山と言えば葛西。葛西と言えば遠山と米不足の時の抱き合わせ「ブレンド米」の如く、接戦には必ず2人が揃って登板してました。尚、当時のオールスターファン投票の1塁手部門で投票を集め、20位に食い込んだそうです。。。笑)

 元中日・洗平(逆指名で中日に入団した左腕。これほどコントロールの悪い投手は見た事がない。プロ入りまでどうやってストライクを投げていたのか不思議でしょうがないぐらいのコントロールの持ち主。ルーキー時代のキャンプでブルペンにて、当時の星野監督を始めとする首脳陣が期待の視線を送る中、投じた初球が隣のキャッチャーのミットに収まるハプニング。緊張の為と思いきや、その後もキャッチャーがまともに捕球できるところに投げる事ができず、星野監督の逆鱗に触れる。即2軍落ち、以降1軍へ上がる事無く、3年後に戦力外に。当時は、中日のスカウトでもこんな選手を穫る事があるのか。「猿も木から落ちる」とはこの事だなと思ってたものです。)


球坊主