「郷土のスター達」シリーズも早くも第5回です。ここまで欠かさず見てくれた方、ありがとうございます。47都道府県が終わるまで、このまま続いていきますので最後までお付き合いをお願いします。

 今回は男鹿半島のある「秋田県」を取り上げたいと思います。

 秋田県は数多くのプロ野球選手を輩出していますが、その中でも極めて歴史的「大打者」と「大投手」がいます。まず、秋田を代表する「最強投手」と言えば、この人!サブマリン「山田久志」投手。この人は秋田県能代市出身。「アンダースロー初の200勝投手」「17年連続二桁勝利」「12年連続開幕投手」「3年連続シーズンMVP」「オールスター通算最多勝(7勝)」など数々の記録を打ち立てた球界を代表する大投手として活躍。プロ入り直後2年間と引退直前2年間を除けば、毎年15~20完投しており、投手分業制が確立した今では珍しくなった「先発完投型」の投手でもあった。
 そんな順風満帆に見える山田投手の現役生活ですが、実は一度引退を考え、球団に慰留されたことがあった。プロ入り7年目のオフ、それまで実は「速球投手」として活躍していたが、数年前に痛めた膝の影響で自慢のストレートの休息が落ち始めた。27歳の山田投手はこのシーズン限りで引退を一度は決意するも、もう一年駄目だったらその時は引退と覚悟。当時阪急の同僚でアンダースローの先輩・足立投手の決め球「シンカー」を手本に研究。引退後に「足立さんから教わっていれば、そんなもんか、で終わっていただろう。教えてくれなかった分、必死に習得した。」と話している。そして、魔球・シンカーを武器に「もう一年」と臨んだ76年のシーズンに26勝を挙げ復活を果たす。この年から未だに破られていない「3年連続シーズンMVP」を獲得している。ファミスタでの「やまだ」の落ちる球(当時はフォークだと思ってました)は確実に落ちていたので、相手が慣れてくると音の違いであっさり見送られて、四球自滅することが多々ありました。また、燃えろプロ野球での「アンダースロー」はあまりにも美しかったです。
 引退後も指導者として実績を残している。中日監督やWBC投手コーチを務め、ブレーブス・ブルーウェーブOB会長として、来シーズンのオリックス監督を依頼されると言った噂が立つ程、指導力には定評がある。今の中日の主力メンバー(荒木・井端の成長。岩瀬の育成。福留の外野コンバートなど。)の基礎を作ったと言われている。
 因に、地元・能代の能代球場は、現在「山田久志サブマリンスタジアム」と命名されている。まさに秋田に貢献し、秋田を代表する大投手であると断言できるであろう。
 尚、山田投手のシンカーの基礎となった足立投手は、ドカベンのサブマリン「里中くん」のモデルだと言われている。

 そして、秋田を代表する「最強打者」は、少し野球を知っている人ならご存知。誰もが子供の頃に真似をしたことがある「神主打法」や「ミスター三冠王」「オレ流」として有名な「落合博満」選手(現中日監督)。あの神業的な打撃とやる気のなさそうな一塁守備。まさに稀代の「打撃職人」。そんな落合の子供の頃は「映画オタク」だったらしいです。野球するより映画が大好きだったそうで、高校時代も練習せずに映画館に通ってたという逸話が残っています。ただ、持ち前の天賦の才により、まともに練習もせずに4番を打っていたらしく、この頃から天才的な打撃の一部が垣間見え始めます。
 東洋大学に進学するも、部に馴染まず半年で退部。大学も中退。プロボウラーを目指していた時期がある。落合が野球に戻ったきっかけが、スピード違反だったそうです。プロボウラー試験の日にスピード違反で罰金を払い、肝心の受験料が支払えなかったからだそうです(笑)。しかし、それによって、「プロ野球で3度の三冠王獲得」「日本人初の1億円プレーヤー」「1(ロッテ・落合)対4(中日・牛島、平沼など)のトレード」など山田投手同様に球界を代表する大打者として活躍。通算2371安打、510本塁打、1564打点、1475四球、通算打率.311(右打者日本人歴代最高)、史上唯一の両リーグ200本塁打達成など残した成績は全て驚異的である。常に個人的見解としてファミスタでの活躍ぶりを出して申し訳ないが、全盛期の落合は当たればホームラン状態だった。
 オレ流故、「最も高い条件(金額)を提示したところへ移籍する」など、メジャー代理人もびっくりの現実的な選手だった印象がある。あと、400勝投手「金やん」とは大の不仲らしい。ルーキー時代の落合に金やんが「あんな打撃フォームで打てる訳が無い」と酷評。ルーキーの落合は頑として聞く耳を持たず、その結果が史上最強の打者の一人として数えられるまでの打者になったのである。会長を務める「金やん」が嫌いと言う事と、記録の為に野球をしているのでは無いと言う理由から、名球会入りを拒否した唯一の選手。昔は「1999安打打ったら引退する」って発言をしていたこともあるらしい。
 まさに「オレ流」。イチローとの対談でも、当時イチローが密かに打撃フォームの中で試行錯誤をしている部分を対談の中であっさりと指摘。さすがのイチローも驚いていた。あと、意外にも落合自身が「自分と同じ打撃ができるのは阪急・石嶺だけ」との発言もある。そんなに石嶺って評価高かったの?と思ってしまいましたが。。。
 監督としても、就任後Aクラスを逃したシーズンが無いほどの「オレ流采配」を披露。しかし、子供の頃、野球より映画が好きだった落合が監督就任後は「12球団一厳しい練習」と言われる地獄の特訓(キャンプ)を毎年行っている。これが今の中日の強さに繋がっていることは間違いない。
 尚、落合は大「ガンダム」好きで、「落合記念館」には落合自身が作ったガンプラが多数展示されているらしい。そして、ゲルググにはかなりの思い入れがあるらしい。

 秋田というところは、不思議と今の中日ドラゴンズの安定した強さの基礎を作った人とそれを上手く操縦している人を生み出していた。秋田が無ければ、今の中日は無いと言うことになる(かなり強引な言い方だが。。。笑)。更に、アンダースローや神主打法といった正攻法ではない方法で結果を出してしまうところに、きりたんぽの様な「粘り」の努力となまはげの様な「貪欲さ」を感じ取る事ができる。

 因に、落合は郷土の先輩・山田をカモにしていました。


<その他の選手>
ヤクルト石川(通称カツオ。同僚・青木が命名。精密機械の様なコントロールを武器に、大勝ちするシーズンが無ければ、全く勝てないシーズンも無い。安定したツバメ軍団のエース。毎年12勝10敗といった形で貯金2~3つ作る堅実な投手。)

元巨人・小野(高校時代MAX152kmを武器に最年少で日本代表入りした左腕。ノンプロを経て、巨人へ逆指名入団。2軍でノーヒットノーランや1試合20奪三振など圧倒的な能力の違いを見せつけるも、1軍ではストライクが取れず、全く活躍できないまま、近鉄へ移籍。近鉄でもその持て余していた才能を開花させる事無く引退。花巻東の菊池君が第二の小野にならないことを願ってます。)

男・石井(いてまえ猛牛打線を引っ張り続けた4番。現西武の中島(中島を育てたのが元西武2軍監督を務めていた石井本人ですが・・・)の様なバットを頭の上で大きく構える豪快な打撃フォームからチャンスに強いバッティングを見せていた。4番コレクターの魔の手から逃れる事ができず、巨人へ移籍。出場機会が減少し、ロッテ・横浜と渡り歩いて引退。シンガーソングライターの岡村孝子は元奥さん。そう言えば、よく「拝啓、石井です」ってコーナー見てたな。)

元ダイエー足利(美しいアンダースローで投げていた投手。下柳、村松、内之倉とドラフト同期生。あの鷹の顔したヘルメット時代の弱きダイエー時代に平和台球場で投げていたのが印象的です。当時は個人的にアンダースローに憧れが強かったので、よく覚えている投手です。)

ソフトバンク摂津投手、オリックス後藤内野手、西武藤田投手、ロッテ木村投手、ヤクルト鎌田投手、日ハム中嶋捕手など多数のプロ野球選手を送り込んでいる秋田県でした。


球坊主