「郷土シリーズ」四国編第2回は、「香川県」です。

 名将の誉れ高い、元巨人監督・水原と元大洋監督・三原の両大監督の出身が今回の香川県。高校野球では、伊良部や佐伯、谷、小瀬を輩出した尽誠学園。阪神大震災の年のセンバツ(銚子商・澤井とPL学園・福留が注目選手だった年)で初出場初優勝を果たした観音寺中央高校。ココリコ遠藤、広陵高校から転校してきた元ヤクルト西村の出身校であり、今年夏の甲子園初出場を果たした藤井学園寒川などが有名。

 「最強打者」は、文句無しで「怪童」と恐れられた「中西太」。高松市出身。西鉄入団後、新人王を獲得。その後も3冠王に最も近い男と言われながら、3冠王獲得ならなかった。しかし、高卒2年目から4年連続本塁打王獲得するなど若くしてその才能を爆発させていた。プロ入り後から7年目までの間に200本近い本塁打を量産。しかし、8年目に大怪我を負い、その後は代打出場が主になる。そして29歳にして「選手兼監督」に就任。30歳で西鉄監督として、西鉄最後の優勝を果たす。
 伝説的エピソードは数知れない。ピッチャーライナーやショートライナー性の打球がそのままスタンドインしたとか。平和台球場のバックスクリーンを超えるホームランを放ち、その推定飛距離が190mとも言われる伝説。痛烈なライナーを放ち、ショートが全く反応できずに、膝を直撃し、病院送りにしてしまう話など、その「豪打一閃」振りには定評がある。だが、その抜群のスイングスピード故に体がついていけずに怪我(腱鞘炎)をしてしまったことが悔やまれる。
 同郷の先輩であり、「三原マジック」で他球団から恐れられた三原監督の元へ婿養子となっている。また、同じく「仰木マジック」で活躍した仰木監督(中西が2学年上)とのコンビは絶妙。あの「いてまえ打線」誕生にも大きく貢献している。子供ながらに、当時の近鉄ベンチにサングラスした怖い首脳陣が2人いたなと覚えています(仰木監督と中西ヘッド)。
 中西の現役時代を生で見てみたかったです。自分の父親世代あたりの人達が「歴代の最強打者」として名前を挙げる中に必ず入ってくる選手なので。

 一方の「最強投手」は・・・いないですね。そこで、最強ではないけど、個人的に印象深いのは、巨人逆指名入団だった三野勝大投手(丸亀商業出身)を語りたいと思います。同期入団は東山高校から入団した現レッドソックス・岡島。ソフトバンク・小久保を狙っていて、巨人で決まりなんだろうなと思っていた所、小久保のダイエー逆指名発表。小久保を逃した巨人が向かったのが、東北福祉大の三野投手。自分としては、まさかの三野投手の巨人逆指名でした。
 ストレートは即戦力級だという当時の触れ込みがあったものの、制球力に難ありという典型的な素材型。当時の巨人の育成能力は、今の巨人とは比較にならないぐらい低いレベル。結局、フォーム改造を挑戦するも固まらず、元西武のマルちゃんを獲得する為に選手枠を開ける必要があった。そこで白羽の矢がたったのが、三野投手。優勝した翌年でそこから低迷が始まる横浜へ金銭トレードされる。
 このトレードは驚きました。清原や江藤がいるのにマルちゃんを獲得、挙げ句の果てに鈍足で有名なマルちゃんにレフトを守らせる愚行をする巨人の無能さにも驚きましたが。。。逆指名選手が5年ぐらいで、「金銭トレード」されるというのは、いかにスカウトが無能だったかを自ら言っている様なもの。噂では、逆指名制度を無理矢理作った張本人の巨人が小久保に逃げられ、制度実施初年度に逆指名する選手がいないとは口が裂けても言えない状態。そのレベルでなかった三野投手だったが、無理矢理に逆指名獲得に踏み切ったらしい。素材型だった三野投手が育成力の無い当時の巨人ではなく、広島や中日の様な育成力に定評にある球団に入団していたら、また違っただろうなと今でも思います。実際に、広島は巨人が小久保から方向転換するするまでは三野獲得を目指していたらしいです。そう言う意味では、「逆指名制度」最大の被害者が三野かもしれないですね(勿論、契約金など巨人での待遇でおいしい思いもしたでしょうが・・・)。
 投手の方は、OBよりも現役選手は充実しており、今後に期待が持てそうです。頑張れ、香川県!!

<その他の出身選手>
元楽天監督・田尾(香川県生まれ。育ちは大阪の為、大阪府出身とされている。イチローも憧れた左打ちの「安打製造機」。悲運の楽天初代監督。)

ソフトバンク・三瀬(サウスポー。オールドルーキーとして、28歳でプロ入り。即戦力の期待通り、試合後半の厳しい場面で登板し、度胸満点のピッチングをみせる。しかし、翌年、阪神のアニキへ与えた頭部死球以来、本来の攻めのピッチングができない状態に陥っている。)

横浜・松家(投手。現役唯一の東京大学出身選手。)

鈴木(中日)、岡本(ヤクルト)、斎藤(中日)、前田(オリックス)、山中(広島)など。


球坊主
 無事に「郷土のスターシリーズ」も北海道&東北地方が終了しました。次は、「野球王国」と名高い四国地方を取り上げて行きたいと思います。四国編の第1回は・・・名門高校の多い「愛媛県」をお送りします。

 宇和島東、松山商業、今治西、新田、西条、済美など数々の名門校があり、その中でも松山商業の甲子園優勝7回、準優勝4回、ベスト4入り6回を数える全国でも屈指の伝統校。そして、長い高校野球の歴史で、唯一、「大正」「昭和」「平成」の各年号で甲子園優勝を果たしている高校。また、近年は「四国アイランドリーグ」の愛媛マンダリンパイレーツも興行しており、野球に対する情熱は全国でも屈指の県ではなかろうか。

 やはりそんな野球と共に県の歴史があると言っても過言ではない「愛媛県」。日本に野球を伝えた偉人として野球殿堂入りを果たしている「正岡子規」も愛媛県松山市出身。その松山には、夏目漱石の松山市を舞台にした小説に「坊っちゃん」に因んで、「坊っちゃんスタジアム」(松山中央公園野球場)と呼ばれる素晴らしい地方球場もある。尚、同球場に隣接するサブグラウンドは「マドンナスタジアム」と呼ばれており、「坊っちゃん」と「マドンナ」・・・歴史だけにとどまらず、上品さも兼備した四国野球の「聖地」と呼んでも良いのではないだろうかと個人的に思います。2002年には、四国初のプロ野球オールスターが開催された。因に、その時のMVPは元近鉄・的山捕手でした。あと、ドカベンプロ野球編では、犬飼監督・エース不知火率いる「四国アイアンドッグス」がこの坊っちゃんスタジアムを本拠地としています。

 多くのプロ野球選手を輩出してきた愛媛県。その愛媛県を代表する「最強投手」は、「藤田元司」元巨人監督を推したいと思います。愛媛県は西本(元巨人)、藤井(日ハム)、越智(巨人)、佐野(元近鉄)、野口(元中日)、山部(元ヤクルト)、平井(中日)など好投手が多い中、やはり「球界の紳士」と呼ばれ、監督としても(特に投手を伸ばす力)超一流の才能を持っていた。慶応大学から日本石油を経て、1957年巨人に入団。入団時は、すでに26歳を迎えており、当時としてはかなり遅い入団である。(ドラフトなど無い時代なので、高卒や大卒がほとんど。大学中退してプロ入りも今とは比較にならないぐらいいた。)
 巨人のエースナンバー「18」を確立したのが、この藤田。以後、堀内や桑田といった大投手が継承してくことになる。1年目に早くも17勝を挙げ、新人王獲得。2、3年目には、それぞれ29勝、27勝と大活躍し、2年連続MVPを獲得。2年目の1958年には、豪腕・稲尾率いる西鉄との日本シリーズで6試合に登板し、防御率1.09を記録。しかし、1勝2敗と援護に恵まれず、日本一ならず。翌年、再び日本シリーズでエース杉浦擁する南海と対戦。第2~4戦目に先発登板し(投げ過ぎ!!)好投するも、再び打線の援護無く、日本一を逃す。因に、この時の杉浦は藤田を上回る4連投4連勝の偉業を成し遂げている。要するに、この2年間で藤田は体を酷使しフル回転したが、運悪く、相手が半端無い相手ばかりだった。稀代の大投手・稲尾&杉浦と一人で渡り合った藤田は、数字上に表れないが、紛れも無く「大投手」である。
 プロ入り1~3年目の登板過多と26歳という当時としてはかなり高齢での入団ということもあり、4年目以降は肩の故障と付き合いながら投げ続ける。そして、実働8年という短い現役生活にピリオドを打ったのである。
 また、投手コーチや監督としても偉大であった。あの伝説的巨人V9を投手コーチとして支え、第一次チョーさん政権後に監督就任。第一次藤田政権下で「江川、西本(同郷の後輩)、定岡」。第2次政権下では、「槙原、斎藤、桑田」。それぞれ3本柱を確立し、「投手力」を全面に押し出した、いかにも投手出身監督らしい戦略を用いた。特に第2次政権下では、シーズン88勝の内、先発ローテーション(3本柱以外は、宮本、香田、木田)6名で80勝を挙げるという安定した投手力を披露したシーズンがあった。更にこのシーズンのチーム完投数が70を数えた。因に2007年阪神は、「規定投球回数到達者ゼロ」という珍記録を残し、この年のチーム完投数は3であった(JFKの圧倒的な安定感も要因の一つ)。この事から、藤田は先発投手として登板過多で短命に終わった自らの経験を糧としながらも、生まれ持った投手としての気質が「先発完投」の美学を追求した究極の形が、先発陣80勝&完投数70という驚異的な安定を誇った屈強な先発陣として表れたのであろう。今でも「先発投手育成」という点においては、藤田が史上最高の指導者だと思う。人間としても素晴らしく、決して選手に責任を押し付ける事は無く、負ければ責任は全て監督という言葉を最後までスタイルとして貫き、選手からは絶大なる信頼を得ており、現代のリーダーシップ像として参考にしたい人物である。結果、バント&守備の名手・川相や俊足・緒方、満塁男・駒田、今のヤングジャイアンツに多大なる貢献をしている岡崎2軍監督など、自分の役割を心得た素晴らしい選手を育てる事ができた。
 藤田の最後まFA制度や逆指名制度に反対した数少ない巨人OBであり、いかに「自前育成」という持論を信念に野球人生を全うしたかが伺える。長期的視野に基づいた考えを持っていた人で、2003年原監督解任時には、反対の意を込めて、読売・報知両新聞の購読を打ち切ったことで有名。本当に、藤田監督時代の斎藤・槙原・桑田が出てくると、相手は全く打てる気がしなかったです。投手継投に置いても、非常に絶妙な継投を見せていたなと、今振り返るとそう思います。

 「藤田」論が長くなりましたが、次は「最強打者」です。好投手豊富な状況に対して、野手は手薄。しかし、それでも流石「愛媛県」。メジャーリーガーを輩出しています。それが、モヒカン男・岩村明憲内野手(タンパベイ・レイズ)。宇和島東2年時に高校日本代表の4番を打っていたスラッガー。宇和島東では1番打者として打つ事も多く、相手チームはプレーボール直後に敬遠するぐらい岩村の実力は飛び抜けていた。因に、現楽天・宮出とはヤクルト時代チームメイトであったが、高校2年時には1学年上のこのエース宮出とバッテリーを組んでいた事もある。
 プロ入り2年目には二桁本塁打を記録するなど、早くからそのスラッガー振りが開花していた。プロとしては小柄な175cmの体から放たれる豪快なホームランは、神宮の夜空をたくさん彩ってきました。その豪快さに比べるとイメージが薄いですが、守備も堅実。サードとしてレギュラーを獲得してから、メジャー移籍するまでの7年間で6度のゴールデングラブ賞受賞を果たしており、走攻守3拍子揃った素晴らしい内野手。今年で30歳とこれからもう一花、二花と十分咲かせられると思うので、今後も国内・メジャー関係なく活躍していって欲しい選手の一人です。
 尚、どこかのメディアで日本へ帰国するなら、子供の頃からのファンで憧れの某関西球団の縦縞ユニフォームをきて、高校球児の聖地でプレーしたいと語っていた記憶があります。左打ちも、同関西球団の「ミスター」として崇められて、借金地獄の噂が枚挙して止まない4番サードの元「31」番に憧れて始めたらしい。

 野球王国・四国の第1回として取り上げた愛媛県でしたが、非常に見応えある逸材輩出率でした!ここに書けなかった好選手も多々いますし、今後も一人、二人とコンスタントに輩出していくでしょう。今年の候補として、西条・秋山投手、帝京五・平井投手といった両右腕を始め、日産自動車・能代内野手(今治西元エース)。来年には早稲田大・宇高内野手(今治西出身)などドラフト上位候補として期待されている選手がいますので期待して見ていきたいと思います。

<その他の選手>
元阪神・景浦將(松山商出身。日本プロ野球初期の伝説的選手。初代ミスタータイガース・藤村富美男がエヴァンゲリオン初号機だとしたら、景浦は零号機。本当の阪神ファンは、景浦こそ初代ミスタータイガースと言っている。伝説的投手・沢村栄治をもってしても抑える事ができなかった打者。名将・藤本定義(元巨人監督)をして、「史上最強打者」と云わせしめた。尚、プロ入り当初は投手。投手としても一流で、史上唯一の「最優秀防御率」と「首位打者」の両タイトルを獲得した選手。)

元巨人エース・西本聖(松山商出身。ドラフト外入団選手としては、最高の165勝を記録している。彼の決め球シュートは代名詞。ロッテから移籍してきた全盛期のミスター3冠王・落合との初対戦で、全打席全球シュートという勝負を挑み、4打数1安打に抑えた。巨人退団後、星野中日で復活。20勝投手となる。)

元中日・左腕野口(丹原高出身。全盛期のパワプロでの野口のスライダーは変化量が大き過ぎ、全く打てない。プロ野球選手としては珍しく、車の運転が出来ない。免許はあるらしいが、ペーパードライバー。巨人移籍時には電車通勤の為、「電車男」とファンから呼ばれていた。)

番外編・元松山商業外野手 矢野選手
 「甲子園名シーンプレイバック」系の話になると必ず出てくる名場面の主役。学生の頃、たまたま見ていた第78回夏の甲子園決勝。松山商業vs熊本工業の伝統校同士の一戦。
 3-2の松山商1点リードで迎えた9回裏熊本工業の攻撃も2死ランナー無し。この日スタメン唯一の1年生6番レフト澤村(現日本通運外野手。ミスター社会人野球とも呼ばれてます。)が起死回生の同点ホームランをレフトポール際に叩き込む。澤村の余りの喜びように、3塁ベースを踏んでいないのではと言うアピールが松山商側からあるが、認められず。そのまま試合は延長戦へ。
 10回裏熊本工業は1死3塁のサヨナラのチャンス。ここで松山商は投手交代でなく、右翼手を交代。代わって守備に入ったのが、チーム一の強肩・矢野選手。強肩ゆえ、力を持て余し、暴投が多いためレギュラーナンバーの「9」を付けていたにも関わらず、ほとんど先発出場がなかった選手。直後、狙ったかの様な大きな飛球がその矢野選手の元に。飛距離は十分。当時の熊本工業・田中監督(阪神・秀太の父)は、「勝ちを確信した瞬間」と言っていました。ここからとんでもない奇跡が起こります。
 矢野選手は、落下地点から下がった位置から思い切り助走を付け、自慢の強肩で大遠投。当然、3塁ランナーはタッチアップ。矢野選手の右腕から放たれた送球は大きな山なりとなる。ここで甲子園名物・浜風が送球を後押し。80mのダイレクト返球が捕手のミットに収まり、3塁走者が刺される。このシーンをテレビで見ていて、澤村選手の起死回生の同点ホームランにも鳥肌が立ちましたが、この大遠投&ホームクロスプレーは、未だにこれ以上の奇跡的なシーンは見た事がありません。それぐらい、見事なプレーでした。
 強肩ゆえに安定した送球ができない選手を起用した松山商監督の采配、「浜風」の存在もさることながら、澤村選手のホームランの影響があったのではとの解説がありました。澤村選手のホームラン時に、松山商業によるアピールプレーがタッチアップした3塁ランナーの離塁を慎重にさせ、少し遅れたのではといった指摘でした。真偽は定かではありませんが、いずれにしても様々な要素が重なり合って起こった「奇跡」の試合だったと言えるでしょう。現在、矢野選手は愛媛朝日テレビの局員さんだそうです。
 どうでもいい情報ですが、中日で活躍したアロンゾ・パウエルはこの試合によって、日本の高校野球のファンになったらしいです。これがその後のパウエル阪神へ移籍に起因するかどうかは分かりませんが。

(宇和島東出身選手)
平井(中日)、宮出(楽天)、橋本(ロッテ)、岩村(レイズ)、高木(ヤクルト)

(松山商業出身選手)
景浦(元阪神)、佐野(元近鉄)、水口(元近鉄)、阿部(阪神)、西本(元巨人)、西山(ソフトバンク)

(その他)
元阪神・沖原(西条高)、ハム・藤井(今治西)、雷神・越智(新田高)、ハム・鵜久森(済美)、阪神・高橋(済美)、元ハム・鎌倉(川之江)、阪神・筒井(松山北)、ロッテ・塀内(三瓶)、元ヤクルト・山部(八幡浜工業)、元メキシカンリーグプレーヤー、ソフトバンク・山村(松山中央)・・・など。


球坊主
 「郷土のスター達」今回が東北編の最終回となります。最終回の今回は、東北屈指の野球処「宮城県」です。

 両雄・仙台育英と東北高校が常に覇権を争い、大学では東北福祉大学が全国的にも野球の名門として、大魔神・佐々木や兄貴・金本、阪神正捕手・矢野など数多くのプロ野球選手を輩出していることで知られています。5年前には新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスが仙台を本拠地としており、まさに東北の野球の中心が宮城県ですね。

 まずは「最強打者」からです。打者ではなかなか渋い玄人好みの選手が宮城県には多いですね。その中でナンバー1はヤクルト一筋40年の「人生=ヤクルト」の「八重樫幸雄」選手です(現ヤクルトスカウト東北・関東担当)。元祖・メガネキャッチャーとして古田が入団してくるまで、左の秦真一と共にヤクルトのホームベースを守ってきた選手です。往年は「右の八重樫、左の杉浦」として野村ヤクルト初優勝を陰ながら支えていました。
 その極端すぎるオープンスタンスの打撃フォームは、「八重樫打法」として数多くの野球ファンにモノマネをされたことでしょう。あの極端なオープンスタンスの要因は、通常に構えるとメガネの縁で投手が視界から消えてしまうので、投手に正対するまでにオープンに構える必要があったらしい。けがの功名か、オープンに構える事で「左肩」の入り込みが無くなり、スムーズにバットが出る様になった。結果として、16年目にして初の3割を記録。ベストナインも獲得するまでに成長。因に元横浜・種田も「ガニ股打法」になってから、同じ様に「左肩」の問題が解消されて、「代打11打席連続出塁」「レギュラー復活」「打率3割以上」と打てる内野手になった。
 八重樫は引退後も一度もユニフォームを脱ぐ事無く、昨シーズンまで1軍コーチや2軍監督として活躍、90年代以降のヤクルトの大躍進を陰ながら支えてきた。ヤクルト入団40年目の今年、初めてユニフォームを脱ぎ、「新人スカウト」として活躍している。
 八重樫と種田の打撃理論は、同じだったという事になりますね。「ガニ股打法」+「バットの構える位置をベルト辺りに移動」=「八重樫打法」ということになりますね。因に、楽天初代監督として有力視されていたのが、この八重樫である。

 続いて「最強投手」は、文句無しで「球界の琴錦」「榎本加奈子の旦那」「馬主」「レーシングチームオーナー」「ハマの大魔神」こと「佐々木主浩」投手です。東北高校出身。高校時代は、元阪神・葛西(同級生)、元横浜・中根(1学年先輩)と共に甲子園で活躍。地元・東北福祉大へ進学。大学時代は、大塚(元西武)、矢野(阪神)、斉藤隆(レッドソックス)、金本(阪神)、浜名(元ダイエー)と凄いメンバー共にプレーしていた。卒業後、野茂の外れ1位として大洋へ入団。その後は、150km超のストレートと「消える魔球」と評された抜群の落差を誇るフォークボールを武器に「ストッパー」として活躍。横浜38年ぶりのリーグ優勝&日本一を果たす。因に優勝ビールかけの際に、「熊谷組」と書いたヘルメットを被った波留選手が「38年後にまた会いましょう!」って言ってましたが、今の横浜を見ると本当にあと30年ぐらいは優勝しないんじゃないかなって思ってしまいます。
 FAでシアトルマリナーズへ移籍。オールスター出場も果たすなど、「ハマの大魔神」から「GREAT DAIMAJIN」へランクアップ。サイヤ人からスーパーサイヤ人になった感じですね。その後は、怪我に見舞われることが増え、古巣横浜に復帰するも全盛期の様な輝きを取り戻す事ができずに引退。
 女性関係で話題を提供する事が度々あり、同時期に相撲界で同様に女性関係で集中砲火を浴び、最後まで大関に上がる事ができなかった「史上最強の関脇」「角界のマイク・タイソン」と呼ばれていた人気力士・琴錦に因んで、「球界の琴錦」と呼ばれていたこともありました。正直、榎本加奈子と再婚を発表した時は驚きましたが・・・その最近まで元奥さんとバラエティー出演したりしていたので、ストッパーらしく、締める(別れる)時はきっちりと締めるなぁと当時は思っていました。

 比較的、好投手の多い宮城県です。好投手と言っても、各球団のエース級の投手ばかりなので、やはり東北の野球の中心はダテではないです。今後、投手だけでなく、八重樫の様な玄人好みで息の長い野手が出てきて欲しいですね。

<その他の選手>
西武・岸(涌井との2枚看板エース。かなり細身のイケメン投手。顔に似合わず、喫煙投手。現代野球では珍しいカーブを武器とする投手。仙台市出身。)

阪神・金村(元ハムエース。被本塁打の割合が極めて高い。怪我が多く「ガラスのエース」と呼ばれる。多彩な変化球を操るがさほど制球力が良くない。元ハム監督・ヒルマンにシーズン10勝をかけた試合で、勝利投手の権利目前(4回2/3)で代えられ、ヒルマン監督に対し「シンジラレナイ~」と言って楯ついて暴言を吐く。対するヒルマン監督からは「アナタヲシンジテマス」と言われ、後日謝罪する事件を起こす。)

ヤクルト・由規(泣き虫王子。先発する度に、指先のマメを潰して、途中交代している。たまに調子が良いときは、速球を武器に押しまって目の覚める様なピッチングを見せる。UFOキャッチャーで日々指先の感覚を鍛えているらしい。キャンプでの投げ込み不足でマメが固まっていないのか、UFOキャッチャーのやり過ぎでマメを潰しているのか定かではない。)

レッドソックス・斉藤隆(元ベイのエース&ストッパー。若い頃は、当時巨人の松井にかなりホームランを打たれていた。巨人戦に先発すれば必ず打たれていた気がする。とにかく失点の大半は、一発によるもので、典型的な「一発病投手」。回転の良い綺麗な速球を投げる為、一度捉えるとどこまでも飛んで行く様にホームランされていた。)

楽天・小坂(守備・走塁でお金を稼げる人。無く子も黙るスーパー遊撃手。とにかく広すぎる守備範囲。通称小坂ゾーン。後輩のロッテ・西岡は小坂の守備に憧れて、小坂とほぼ同じ仕様のグラブを使用している。)

元ダイエー・大越(現某高校野球監督。仙台育英出身。高校時代は1番ピッチャー。早稲田大学進学後、半年で中退。米国マイナーへ野球留学。帰国後、ダイエーよりドラフト1位指名。投手としてかなり期待されていたが伸び悩み、野手へ転向。代走や守備固めで渋い活躍をしていた(現在、ホークスでは荒金がその役目を引き継いでいると思われる。)

巨人・橋本(仙台育英出身。高卒1年目。巧みなバットコントロールで「巨人のイチロー」を目指す。)

他には、横浜・新沼捕手、元横浜・「左殺し」中根選手、巨人・星捕手、巨人・佐藤捕手、ハム・江尻投手が現役でプレーをしています。


球坊主