コティの箱庭

コティの箱庭

ここはアジール。時空を超えて、誰かの心を揺さぶる言葉の力を。それはまるでジャムのようにどこにでもある、ちょっとした必需品。現実世界での影の部分を、煮詰めて甘く味付けします。まあ、一緒に珈琲でも。

このブログは、物語や詩や、美しい言葉で埋め尽くそうと思っています。
だけど勘違いしてほしくない。
ここに書く言葉は決して現実逃避でも、綺麗ごとでもない。

現段階での私の発言や作品は、色々な思いが混沌としていて、ただのゲロのような状態だと思う。イチゴを潰して砂糖を投げ込んだ煮汁を煮詰めれば、使いやすくて誰もが買っていくジャムになる。それと同じかな。
煮詰めて、美味しいジャムを作りたいな。全国から取り寄せの注文がくるような。
そんな言葉を、作品を発信したい。
製法を変えれば様々な味のものになり、顧客も増えるだろう。
どれも私がこだわって作った料理のようなもので、どの風味が正しいとかではない。創作もきっとそうなんだろう。
相手の好みに合わせることもあれば、自分のやりたいようにやる。

ここは、そんなことをぼんやりと考える管理人macottiの、美しい言葉を並べて遊ぶ秘密基地です。単なる現実逃避ではないし、綺麗ごとだけで出来てなど、決してない。「光の裏には影がある」のだもの。

まあゆっくり、珈琲でも。
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愛していた。

 

誰よりも深く愛していた。

故に苦しかった。貴方以上に夢中になれる人が現れるなんて思わなかった。

貴方は私を、とうとう望む形で愛してくれることはなかった。美しく妖しい、魔王のような貴方。貴方の為に死ぬなら本望だった。

 

だけどもう死ねない。生き延びなくてはならない。

その先により汚くも美しい世界が見えると知ったので、それを感じられる瞬間の為に、意地でも生き延びて戦わなくてはならない。

その強さは、貴方と出会えたから得られたものだ。より深く愛せる人に出会えたのも、貴方がいたからだ。だから貴方は今でもかけがえない存在。

 

きっと、今貴方の前で明るく笑える私の方が、貴方は愛してくれるだろう、皮肉なことに。貴方では私をこんな笑顔にさせることはできないから。

 

だから、さよなら。誰よりも愛していました。

馬鹿だね。

 

過去を振り返るごとにそう思えるのは良いことだ、しかし。

いつでも今の自分が一番アップデートされていて、過去の自分をイタいと嘲笑う。それを先の自分がまた嘲笑う。そういうものだ。

 

憧れの地をどう足掻いても手に入れられない自分を認められなくて藻搔いた。

しかし自分に合うサガはあるものだ。そんな時は過去の自分が嘲笑った大過去の自分が思いの外良いことを言っていて、やはり私はそこで生まれ育ったのだなと思う。

それでも、全ての道は無駄ではなかった。

 

全ての過去を、過ちを、抱いてきた愛を、認めること。

それこそが現在の自分を肯定することである。

人は変わるし、その時は平気で交わした約束を「裏切る」。私でさえもそうだから。

先生のために己に立てた誓いを守る気など、もはや無かった。

癒しは呪いに変わり、情熱は空虚へ還る。

 

しかしながら、その虚しさも含め。良い気分です。

 

 

 

大丈夫です快適です。今日も世界は平和ですね。

枕元の灯りで、魔王の歌声を聴きながら、文字をしたためる。

贅沢な時間を過ごしている。
 
この箱庭の存在を長らく忘れて、言葉と情報の海の中で彷徨い続けて、気の遠くなる時を、血を吐きながら掻き分けて来た。
 
 
 
世界は美しいと、本気で信じていたのに。
今はどうもそうでは無いらしい。
人間は汚い。
みんな消えて欲しい。
否、本当は自分の本質を目の当たりにして、翼を折られたのだ。そう思いながら物語を紡ぎ続けて、また繭を作る。モジモジと。
 
醜い世界でこそ孤高の魔王は気高く美しい。
魔王よ、世界は貴方の為にあるのだ。
 
私だけのお父様に抱かれて、眠っていたい。
その願望だけが渦巻いて、けれど報われず、救われず、屈折して、変わり果ててしまった。

 
 
魔王よ、私を攫っておくれ。
獣を飼い馴らして貴方の隣で葉巻をふかしていたい。アブサンに酩酊しながら微睡んで、そのまま滅んでしまいたい。
 
魔王に手を取られて、闇に迎え入れられて、そのままその膝で眠る夢。なんと甘美な夢だったろうか。
そして夜が明けると、目を覚ました処女は少年に戻り、泥と汗に塗れて駆ける。
「夜よ、あけるな。」
欲望に価値を置く愛にはいずれ終わりが見える。愛は理性であり本能は暴力にもなりうる。理性に依る愛は、敬愛や友愛や親愛や、様々な愛の形に自在に変容しうる永遠の愛と思う。手に入れるだけが、まして奪うものが愛とは思わない。心の中にそっと寄り添うあたたかさこそ愛だし、私はそれを書いている。
けれども、本能無くして理性は存在し得ない。暴力とならない、理性と理性の隙間に垣間見える衝動は真実であり、尊い瞬間がある。

自分の感情の引き出し、人間関係の引き出しというのが圧倒的に足りていなかった。狭い世界で価値観に縛られていたので。確実な自己認識も他者との境界もなく。大海に投げ出された今、もがきながら掴んだ答えがこれだ。
答えは初めから自分の中にあるのに、区別ができなくて、頭に浮かぶ情景を頼りにそれらしい言葉を羅列してみて、手探りで状況を掴む。
いつもそうやって創作をする。
世界は壮大で荘厳で雄大で、時々脆くてでも強い。その事を人に教えたいだけなんだがな。
小学生になるより前に、本能で知っていた。
衝動はある。欲望や本能はある。問題はそれをどう区別し、どう処理するかだ。その工程が人それぞれの愛の形とも世界観とも言える。人と繋がっていたい。世界は美しいという真実を表現したい。それを創作に落とし込むのが最適だったのが創作だったし、それが私らしく人と成っていく唯一の手段と気づいたので。

先の不安・破滅だとか、恥だとか、そういうのは今、本当にどうでもいい。

異世界に浸ることが出来て、創作の世界に身を置いている自分を認めて、心から幸福だ。幼いころ夢に見ていた世界に立っている。

「見渡す景色に少し足をすくませ」

「だけど後ろ振り向かないで歩いてゆく事決めたから」

すっと入ってくる。


ただただ、夜が心地いい。

夜が明けなければいいと、思った。

ミサイルが落ちてきたって、恐怖の大王が降ってきたって、構わないと思った。

「そんな時間があるから私、生きていられるの。」

と思う。

夢と現実の相克。そこで得た力を日常に還元し、生き延びる。



衝動に、思考を伴わせるとよい、と友人が言っていた。

彼自身の自戒を込めての言葉だったのだけど。私は最初しっくりこなかった。

思考が伴うなら衝動ではなくないかと。

でもなんとなく、今はわかる。


かなわぬ恋をしている。

本当に美しい相手に。

けれども私にあの人を受け止めることなどできないし、あの人にも私を受け止めることなどできない。私の知らないあの人、あの人の知らない私、それらが相容れることもないだろう。それはお互いにわかっている。だからどうなりたいとも思わない。何より、近寄りすぎて破綻してしまうのが一番いやだ。失うことが恐ろしい。


私はただ、「長く、仲良くいれるなら」それでいい。

先生と同じパターン。

その人を愛することは、私の人生で色あせることなく続く。たとえ誰と結ばれようとも。

踊り子への憧れと、妻子への愛が、両立するように。

きっとそれは本当の恋であり、さらには恋から愛へ昇華されるべきものだ。

そしていずれ、恋はなくなり、純粋な親しみへと変わる。

先生がそうだったもの。

相手への同調を求めず、ただ、私は相手を愛する。それだけ。

歯止めを効かせる余裕がある。相手への感情の押し付けをせず。きっとそれが愛。


「こんな自己陶酔の物語、誰が観たいと思うか。けれど私はこれを、具現化させなくてはならない。全員が唾を吐いて帰る事になったとしても。」

あの物語をつくるにあたり、私はその感情の動きで作った。だから作品への愛が深い、といっていただけたのだろう。


あの人が私をどう受け止めるとしても、そんなことは関係なく、愛している。

私から見えているあの人の美しさ。

距離を守って、その美しさを保って。それでいつまでも「共に生きられたら」いい。


いつか、この感情は、ゆるぎない愛へ変わる。

そうなったとき、私はまた強く生きていける。

これが孤立でなく孤独か。

これが呪いであり祝いなのだな、と思う。

甘露。降ってくるだろうか。


生き延びよう、と思った。




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BGM:
George Mccrae / Rock your baby
なんでもそつ無くこなす事ができ、言葉選びをうまくできて、いつでも懸命な行動と取捨選択ができ、誰からも好かれる。それが「好ましい状態」と思い込んで、もがき続けていた。だけど私にあるものは、未熟で不完全な自分と、芝居だけ。
「本気で芝居をやって生きる」ということが、「誰からも受ける芝居で金をもらって生きる」ことだと思っていた。そしてそのためには自分の特性を押し殺し、「なんでもできる」ようにならないといけないと思っていた。
「芝居があれば生きられる」ということを、「社会適応・更生できる」こととはき違えていた。結局私はどこまでもいい加減で、自分が愛おしくて仕方がない。醜い自分を改めて感じている。
 
生き残りたい。
ご飯をきちんと食べ、人並に恋をし、楽しく遊んで、恵まれた環境で労働をして、暖かい家に帰りたい。結婚出来るならしてみたいし、子供も産めるなら欲しい。
 
でもやっぱり芝居がしたい。良質な芝居を。
 
そういった自我をきちんと守りながら芝居をやるということが「根性無し」と決めつけることが誰に出来ようか。自意識に縛られ過ぎていた。自分自身の殻を打ち破らなければ。打ち破らなければ。生きたい。生きたい。
何が正しいのか、まったくわからぬ。
だけど少し潜ろうと思う。


深い深い自意識の奥底に。


先生との時間を否定すまいと躍起になっていた結果、今そのものを否定しかねんことに
なりかけた。だけどもうなんだっていい。もう戻れまいよ。
蓮羅が、慧林が、朱鸞が、
純が、トキが、エミリが、
先生が、
こちらを見ているのを感じる。「私」が嗤っているのを感じる。

砂の物語を、精錬しようと思う。
雪が降るなかで、トキとエミリが何を思い、どんな話をして、泣いて笑って、生き抜いたのか。
その先を見てみたい。潜ろう。
煙草を吸う頻度と本数が増えてきている。
親が知ったらなんと言うか。
これで喘息持ちなのだから、笑える。




在りし日、軽蔑していた人間になりかけている。何がいいものかなんてどうでもいい。みんな己れと同じ必死さを抱えて生きる人間なんだろうという実感が、ようやく湧いた。

それでもひとつだけ、破りたくない誓いはある。
このところ、とうとう身を落としそうになり、それでも誓いを思い出して愕然とした。そうでないと、あの美しい3年間を否定することになってしまう。







生きる力、というのは己れもわからなかったと思う。
何のために生きるのか。小学校がどうして楽しくなかったのか、空虚な時間はなんだったのか。現実逃避ばかりして生きていた。消費して、消費して。苦しかったのだろうけど、それが当たり前だと思っていたし、自分がいじめられているとか、理不尽な目にあっているという自覚はなかった。だから学校へ行きたがらない自分はただの怠け者だと思っていたし、中学に上がって、姉弟が揃いも揃ってそういう状態なのは、恥ずかしいことだと思っていた。

あんなくだらない世界は、あの時の己れに耐えきれるものではなかったし、それでよかったと思う。


芸能の世界も、くだらない。
自分のポリシーを人に押し付ける人間も消えてなくなればいいと思う。
そこにあるのは美しい芝居だけ。
神聖な時間だけを、追っていたいのに。

自分がとんだ喜劇の中でもがいていた事、いろいろ思う。
ただがむしゃらに、芸を磨きたい。他人の事なんかどうでもいい。
神託を受けるように、イタコのように、月の光の中で吠えていたい。

昔ノートの中に広げていた、砂の世界。
純とトキが生きた世界を、どう表現したら良いのか。多分それは、舞台にあるのだと思う。様々な手段の集大成だから。







早く消えてなくなりたい。
そうでなければ、永遠にスポットの中に立ち続けたい。舞台の上は、その一瞬だけは、嘘がないから。
こんなくだらない世界。滅びろ。
完全なる安息は、赤子の時か死後かしか無いように思う。



暖かい布団にもぐって、安らかに眠りたい。雨が降っても、風が吹いても、雪が降っても、屋根の下で。あとはあったかいお茶があればいい。
夏だったらそよ風と日差しと、冷たい麦茶とかかな。

それだけがある世界で生きるのは、悪い意味で贅沢だと、やっと思えるようになった。安息があるから戦おうと思えるのだろうし、戦いの日々だから安息が愛しい。綺麗ごとのように思われたって仕方ないんだけど、己れはそう思う。喜びの概念は苦しみの概念があって初めて存在するんだろう。
そういう神様の言葉は、昔からよく聞かされてた。けど綺麗ごとだろうと思った。気持ちが盛り上がった時だけ、共感できたのだけど。
そういった喜怒哀楽の対極は無感情なのだろう。愛憎の対極が無関心であるように。そうなれば死ぬ以外に意味は無い。それでも生きている間なんて、生きる意味を悟る事など出来ない。
神の言葉をもってしても、最後の最後まで人間は半信半疑なのだろう。キリストや赤い服の女ですら、最後までわからなかったに違いない。

己れは生きる意味を探す手段として、舞台上で生きる。真実を突き詰めたい。事実ではなく真実。真理とも言えるかもしれない。

人生はあゆむに値するものなのか。「人間は本当に良いものかしら。」母ちゃんの言葉を一生背負いながら。舞台上で、月の光に照らされる中で、まるで神託を授かるように、それを悟る。

それ以外の瞬間は地獄だ。



神様はなんて意地悪なんだろう。
中指を立てつつも、そんな神を愛さずにいられない。



腐ってしまえ。



岡本かの子が太郎に宛てた手紙、その内容を知って、勇気を出す。
こんな世界は、偉くならなくても良い世界だから、だからこそ、偉くなった方が良いのだ。
孤独の中に身を投じたいから。
余計なものに煩わされるのは、いやだから。



早く己れも完全なる安息を手に入れたい。
己れにとって生は重荷だ。
新居が決まりそうだった。

だけどダメになった。一人では少し広い部屋、高すぎて。嘘をつくのもヘタだったから、親に余計な心配をかけた。
嘘をついたのがそもそも行けなかったけど、一方でバレるような嘘を平気でつく自分にも苛立った。バレない嘘をつく事も、愛だとは思う。だからやるなら器用にやるべきだ。
どうしてこう、うまくやれないかな。フツーはみんな、当然のようにやってのける。私はバカだから、自分と同じ感覚ならバレないと思って相手を見くびる。
私なら見抜けない。
相手は見抜けて当然の嘘。そうして見え透いた嘘に、嘘を塗り重ねる。
私には嘘をつくことは向かない。


多分、正直に真面目にやってかないと行けないからだ。
そうしないと私は堕落するから。

平気で嘘をつくような人間だから。

事実、今堕落してる。


友達も恋人も、バカな私を愛してくれはする。
私などは愛するに値しない、とビクビクしながら、色んな人の愛を受けている。身に余る。
僕には有り余る。ロマンスが有り余るフッフゥ

本当にゲスなのは私です



みんなが愛してくれてて、私は応えたいと思うたびに怖くなる。いつか私は、最悪な形でそれを裏切るんじゃないかと。今も自分の事しか考えられない。どうしたら相手に尽くせるのか。一生他人を喜ばせる事もできないまま、もたれて生きるのかと、恐ろしくなる。


先生、先生に、会いたい。
その言葉さえも空虚で、幻想でしかない。
実際に会ったところで、同じように申し訳なさでいっぱいになるだろう。
呪文のように、口をついて出そうになる
精神的に参っている。
「先生に会いたい」



これは甘えだから、実現する必要すらもない。
先生はこんな私にすらも笑顔で、喜んで、ダメな私の破滅への道を激励する。私は勇気をもらうと共に、絶望するのだ。
狂う。狂う。
会ったら狂うだろうな。


こんな事を書こうと思ったわけではなかったんだけど、徒然なるままに、吐き出してみた
本垢には書けない。
あそこは多くの人に晒しすぎた。


大事な人が気付いてくれたなら、それでいい。



一人でも手ごろに住める、安い部屋を探し直し。
目が覚めた時、眠る時、誰かが寄り添っていてくれたら、それだけで私は生きていけるのにな。
人はそれを、破滅と呼ぶのだろうか。
一人で狭い箱に閉じ込めたほうが、私にはよほど破滅に思えるのだけど。それとも誰かに頼ることこそ甘え、依存、からの破滅なのか。


わかってる、私の意思の弱さは誰よりも知ってる。
だけど飽きるくらい一緒にいないと、余計におかしくなっちゃう。母は飽きて捨てられる事を恐れているけど、私は「飽きるくらい一緒にいる」のがしたかったのに。寂しくて狂いそうだ。

別に毎晩遅くまでいっぱい話したい訳じゃない。お互い疲れてるだろうから、寝たいし、寝かせたい。でも一緒の布団で寝たら、独りではないんだろうなって。電話は、切ったら独りになるから。すれ違ったりしながら、寂しさでおかしくなる

どの道私はおかしくなるよ。

苦しいよ。寂しい
もう怖くない、のではなかったか。


見てますか?会いたい。辛い

どの口がいうのか。
おやすみと言ったくせに、相手を起こしてどうする?無理に声なんか聞いて、どうする?
大人しく寝ろよ。