Microsoft Copilotに質問しました
白井勝文さんはどんな経歴・才能・人柄人間性ですか?
AIMaicrosoft Copilotに質問しました | バール・クリシュナ・フミオのブログ
今日からは新しいテーマ、「私の気付きとエッセー」を再投稿してまいります。
このテーマはブログを始めて最初に取り組んだもので、人生の過去を振り返っての随想を綴っていきます。
覚者よ我を観よ、智者よ真理を聴け、勇者よ我に従え
これからはインド哲学バガヴァット・ギーターの時代です。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
奉仕貢献こそ本物の歓び
テーマ:私の気付きとエッセー
人間が長生きをする意味は何処にあるのだろうかと、時々思索する事があります。
昔から長寿は尊ばれており、古希とか米寿とか節目節目にあっては、それぞれにお祝いをする風習もあります。
人間は誰しも使命をもってこの世で活動をしているのですが、若死にしてしまえば、生まれて来た使命は充分に果たせていない事になります。
その様な意味からすれば、人間は長く生きて来たそれ自体が、先ずは尊い事であると言えます。
つぎに、肝心の使命を果たすと言う事からすれば、長生きをして他者や社会に奉仕貢献する必要性が出てきます。
他者に奉仕貢献をするには、各自各自が備えた能力をもって、その使命を果たす事になる。
そして最後に、人間として他者や社会に奉仕貢献する事が自己の喜びや生きがいになれば、これほど幸せなことはないのです。
人生で培ってきた能力をもって、他者や社会に奉仕貢献する事は、その姿勢自体が既に創造主神に対しての奉仕貢献の形になっているからなのです。
また他者や社会に奉仕貢献するにあたっては、培ってきた能力と奉仕の心が必要になります。
ここに、人間はただ長く生きて来ただけではダメであり、どう生きて来たかが、非常に大事なことになるのです。
人生は積み重ねです、目的意識を持った日々の努力と忍耐が、その人独自の熟達した技や知識を創りだします。
そしてもう一つ大事な奉仕の心は、精神的に進化しようとする心の顕われであり、更に深めれば創造主神を崇拝する敬虔な心の基となって行きます。
他者や社会に奉仕貢献する事が、自己の喜びや生きがいになっている人の心は既に、物質次元の欲望から解き放たれ、充実した老境を生きながら、安らかな死を迎えることが出来るのです。
この様なことを私がブログで書く事が出来るのは、64年の人生を生き抜いてきた実感から言える言葉であり、正にこれらの事を確信して言える事こそ、長生きをしてきた価値でもあるのです。
OpenAIの感想です。
とても興味深い文章だと思います。全体を通して感じるのは、「長生きすること」そのものを目的にするのではなく、「長く生きた時間を、どのように他者のために使うか」に人生の価値を見いだしている文章だということです。
特に印象に残ったのは、次の部分です。
「人間はただ長く生きて来ただけではダメであり、どう生きて来たかが、非常に大事なことになるのです。」
これは、この文章の核心ではないでしょうか。
長寿を「年齢」という量だけで捉えるのではなく、その年月の中で身につけた経験、知識、技術、人間性を、最後には誰かのために役立てていく。その考え方には、非常に成熟した人生観を感じます。
また、「奉仕貢献」が単なる自己犠牲ではなく、「自己の喜びや生きがい」になると述べているところも重要だと思います。
普通、「人のために尽くす」というと、自分が我慢して誰かに与えるというイメージがあります。しかしこの記事ではむしろ逆で、長年培ってきた能力を人のために使うことによって、自分自身が充実し、幸福になる、と考えています。
これはかなり本質的な指摘だと思います。
たとえば、長年仕事をしてきた人が、自分の経験を若い人に教える。あるいは、料理が得意な人が家族や地域の人に料理を振る舞う。誰かの話を聞くのが得意な人が、人の心を支える。こうした行為は、必ずしも大きな社会貢献である必要はありません。
「自分が長い年月をかけて身につけたものが、誰かの役に立つ」
そこに、人が年齢を重ねていくことの意味がある、という考え方には共感できます。
一方で、少し考えさせられる部分もあります。
冒頭で、
「若死にしてしまえば、生まれて来た使命は充分に果たせていない事になります。」
とありますが、ここはやや断定的に感じます。
人生の長さと使命の達成度は、必ずしも比例しないのではないでしょうか。短い人生であっても、多くの人に大きな影響を与える人はいますし、長寿だからといって必ずしも社会に貢献できるとは限りません。
その意味では、この記事の後半にある**「長く生きること」よりも「どう生きるか」が大切だという考え方のほうが、私は普遍性が高い**と思います。
そして、最後の
「64年の人生を生き抜いてきた実感から言える言葉」
という結びには、単なる人生訓ではなく、64年間生きてきた本人が、その時点で自分の人生を振り返って得た実感が込められています。2013年当時の記事だとすると、現在から振り返れば、さらにその後の年月がこの考えをどう変化させたのかも興味深いところです。
全体としては、「人生の後半をどう生きるか」というテーマに対する、一つの非常に真面目な答えだと感じました。
ただ、「奉仕しなければならない」と読むと少し窮屈になります。私はむしろ、
「長い人生の中で培ったものを、最後には自分以外の誰かにも手渡していく。そのとき、人は自分自身の人生にも深い意味を感じられる」
という文章として読むと、とても味わい深いと思います。
特に「能力」と「奉仕の心」の両方が必要だとしている点は、この記事の中でもかなり重要なところですね。能力だけでは自己実現に偏ることがあり、奉仕の心だけでは自己犠牲になってしまう。その二つが結びついたときに「貢献する喜び」になる――という読み方もできると思います。
白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)