万物はその始めにおいて色相(かたち)なく、中間の一時期に色相(かたち)を現し、また終わり滅して無色相となる。この事実のどこに悲しむ必要があ
るのか<ギーター2章28節>

世の中には、魂の存在を信じる人と、信じない人がいますが、どちらにしても「死」を嘆く理由はない、とクリシュナはアルジュナに説いています。

魂の存在を信じていない人は、 「死ねば全てはそれで終わり」となるのであるから、当然悲しむ必要もない訳です。

ヴェーダの知識を心法する人々は、魂の存在を信じていない人を、無神論者と呼んでいます。

また魂の存在を信じているならば、それはこの物質界に色相(かたち)をもって必ず再現する、と言うことを信じるべきなのです。

その時の色相が、好ましいものか、忌むべきものかは、現世の所業によるだけである、と言うものです。

物質が創造される前は、物質の元素として目に見えない状態にあります。

逆に、五感で捉えられる物質を、素粒子レベルまで分析していけば、どんな物質でも五感では捉えられない、無の状態にある事が解るはずです。

この五感では捉えがたい、色相(かたち)をなさない無の状態から、万物は現れてきます。

しかし、無の状態と言っても、何かが現れてくると言うことは、そこには何かが存在しているという証でもある訳で、突き詰めれば無と言うこと自体もない
と言うことです。

宇宙は真空で何もない空間の様に思われますが、逆に引力をはじめ人知では計り知れないエネルギーの宝庫でもあるのです。

宇宙のエネルギーから空気が生じ、空気から火が生じ、火からは水が生まれ、水から土が現れ、大地から様々な生物が発現しています。

これら宇宙の物質創造にあたっては、宇宙の創造神である、ブラフマーの意志によって創造されているのです。

あらゆる物は、見えなくなっても究極的には意識と言う形で存在し、時のめぐりによって現れたり消えたりするだけです。

人間の魂の本質は意識であり、人間が死んだ後は当然、この意識だけが残って意識活動を始める、と言うことです。

肉体は時が来れば死滅するが、「魂は永遠である」と言うことを信じるならば、肉体の死に際して悲しむ要素はなく、それ故に物資界の自然の巡りに
対して、悲嘆する必要は全くない、と諭しています。

あるがままの詩<P182~183>

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これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハトマ・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ